チャンスをしっかり抱きしめてやれ!映画予告編にはクリエイターの人生がすべて出る
『トップガン』や『ボディガード』『おくりびと』『花束みたいな恋をした』など、新旧の名だたる映画の予告編を手掛け、大ヒットに導いてきた映画予告編制作プロダクション「バカ・ザ・バッカ」を率いる池ノ辺直子(いけのべ なおこ)さん。
「大ヒットさせる」ことを第一命題に、「面白さをどう伝えるか」を突き詰める池ノ辺さんは予告編の映像制作だけでなく、映画の予告編が常時スクリーンで流れるスペースと健康的な食材を使った料理を提供する「Café WASUGAZEN(カフェ・ワスガゼン)」の経営や映画専門ウェブマガジン「otocoto(オトコト)」の運営など八面六臂の活躍。業界内での信頼はあつく、求心力のある人物です。予告編づくりなど映像制作を仕事にしようと考えているクリエイターにも「必ずチャンスは来るから」と励ましの言葉をかけてくれました。
「作品紹介から広告へ」の変化のただなかに予告編業界入り
もともと予告編の制作者になろうという具体的な夢を抱いていたんですか?
何かが動く時っていうのは、目の前にあるチャンスをどう掴むかということですよね。私はなんだかふらふらしているような女の子だったのですが、うちで働かないかというプロダクションがあって、たまたまそこがコマーシャルや予告編を作っている会社だったのです。21歳からそこで働き始めました。
映像制作の会社ですか?
そうです。そこで予告編をつくる部署に配属されました。昔の映画の予告編は監督さんが「今度こういう作品を作ったよ、こんな役者が出るよ」と映画を紹介する、製作者発信のお知らせだったのです。だから紹介するだけで良かった。それが、ある時期からは、観客に向けて「この映画を見てください」という広告になっていきました。ちょうど変わっていった時期だったのです。私は広告としてクリエイティブな発想をいろいろと活かせる面白さにとりつかれました。
そのプロダクションの社長が、「これからは女性の時代で、どんどん世の中が変わっていく。男性社会である映画界も変わっていくから、お前にいろいろ教えてやろう」と言ってくださって、勉強させていただきました。結局24歳で独立しましたが、この会社で働いていた時に、私のことを覚えてくれた人たちもいて、お仕事をいただくことができたのです。
とにかく私の場合、最初のチャンスを面白いと思ったんです。チャンスを生かして、動かしていこうと思ったら、それが予告編で、映画で、なおかつ27歳での「池ノ辺事務所」という会社の設立だったということですね。
10周年を機に「バカ・ザ・バッカ」という社名に改称されました。刺激的な名前ですね。
「映画が好きなバカばっかりの集団」の意味でつけました。最初は「バカバッカリ」とするつもりだったのですが、「俺たちはバカなのか?」とスタッフに言われたので、一人一人に位をあげて、冠の「the」を付けて「バカ・ザ・バッカ」に。ちょうど2000年になるころで、「自分はバカだよ」って思いながら好きなことをやっていこう。そして、そんなふうに思える人たちが集まれる場所があれば、もっと楽しい。そういう場所を提供したり、環境を作ったりすることも私の仕事かなと思っています。
御社は予告編制作のクリエイターの集団なんですね。
はい。私たちは映画の予告編を作る職人集団です。90秒の予告編の中でストーリーを作り、その出来によって映画をヒットに導く。たくさんの人が感動したり、喜んでもらえるものを提供する会社でなくてはならないし、新しい時代が来てもそのニーズに合わせたものをクライアントに提供できるかどうかが常に問われています。それは一人の力ではできなくて、チームとしての会社があってはじめてできるものだと思います。
予告編制作のクリエイターはどうやって育てるのですか?
入社してから2、3年はアシスタントとして先輩らに付いて、徹底的にノウハウを叩き込まれます。上司と同じ作品で同じように予告編を作らせますが、上司の予告編にあって自分の予告編にないもの、足りないものが何なのかを考えてもらいます。予告編にはそのクリエイターが人生をどう送ってきたかが全部出ます。つまり、ものを作るというのは、全く何もないところから新しく作るのではなくて、自分の人生の経験値から出てきた発想をどうやって材料として提供できるかを考えるということなのです。弊社には25人ほどのクリエイターがおり、指名で依頼が来ることもあります。特に指名がない場合は、マネージャーチームがスケジュールなどを見て誰が担当するかを提案させていただいています。
思いのある人々を説得できる材料を持つことが大切
発注が来た後、シーンをどうつなげていくかは最初に決めるんですか
マーケティングのミーティングが終わると、各ディレクターが構成を立てていきます。その後その構成にしたがってストーリーを組み立てます。フィルムの時代と違って今はパソコンで簡単にシーンをつなげられますから体裁としての予告編はだれでも作れますが、映画にはいろいろな人の思いが込められています。クリエイターは予告編として一つの作品にまとめる際に、こうした思いを抱いている人たちを説得できる材料がないといけません。そうした対応力と説得力を持って制作することがプロの仕事だと私は思いますね。
宣伝計画がきっちり決まっているものが来ると、自分のクリエイティビティ―をあまり発揮できないのでは?
広告として全体を通してどう売っていくかというのは、やはり自分なりに咀嚼していかないといけないと思います。違うと思ったら、もう一つ作ればいいんです。そして見せればいいんです。
私たちはリサーチ会社と業務提携していますので、データから今の人たちが面白がる部分というものが分かります。それを分かった上でクリエイティブをしていくのと、分からないでクリエイティブしていくのとではまた少し表現の奥行が違ってきます。そういうのも取り入れてやっていくのも大事かなと思いますね。
それにしてもウェブメディア「otocoto」を運営したり、カフェをやったり、大活躍ですね。
「otocoto」は、1年半前にお話をいただいて、弊社が引き継ぎました。とてもやりたいメディアだったのです。監督や俳優にインタビューをしますが、写真や動画にこだわっています。このメディアが宣伝の役割も担うようになって、リリースや情報が来るので、記事を書いたり、コラムにしたりしています。
カフェでは映画の最新予告編を上映し、チラシも置いています。劇場でも、ネットでもない場所で、単館系、ロードショー、関係なく予告編を流しています。映画というものが生活の一部になればと思ったのです。様々なことを時代に合わせてやっていますが、根底にはすべて映画の予告編があるんです。
「otocoto」のラインナップに登場されるのはビッグネームばかりですね?どうやってインタビューを実現させているのですか?
それは私が長年この仕事をやっているからです(笑)。おかげさまで、今年2022年に弊社は35周年を迎えました。
池ノ辺さんご自身にも同じことを感じるのですが、御社は、自然に人が集まってくる場所なのですね。
そういう場所を提供したいというのが私の理想にあります。
実は、2011年の3月、東日本大震災が起きたときに私は日本に居ませんでした。 ニューヨークこども映画祭に行くために日本を旅立って3時間後に、大震災が起きたんです。ですからその時に日本がどうなって、どれだけ大変だったかを私は経験していないんです。10日後に帰ってきたとき、自分に何ができるか考えました。まずはみんなに炊き出しの豚汁を作って、そして、会社は引っ越そうと思いました。当時、数カ所に点在していた事務所を一つのビルのワンフロアに集めました。私の目の届くところでみんなを見守っていたいと思ったのです。
毎日だった炊き出しはやがて週に1回になり、「金曜日はカレーの日」として、みんなにふるまうようになりました。そのうちクライアントも遊びに来るようになって、そこから、社員食堂であり会議室であり、さらに多くの人たちが集えるような場所を提供したいということで、今の形のカフェになったんです。
自然な流れですよね。
予告編で自分が培ってきたものはベースとして大切にしつつ、その時代時代に合わせた背景の中で問い掛けられることに「できることはやらせていただきます」という姿勢でいます。仕事も基本的には断らないとスタッフには言っています。予告編を作るという形ではお手伝いできないというときでも、なにかできることを考えてご提案をするようにしています。
チャンスが来たら飛び込んでもまれてみて
予告編を評価する賞はないのですか?
私たちの仕事は映画という作品を大ヒットに持っていくツールの一つなので、黒子の役割ですね。だからありません。時々、企画ものは番組でやっていただいたりします。
賞でなくても、なにか評価があってもいいのでは。
映画が大ヒットすれば、それが評価につながり、「一緒にやりませんか」というクライアントからの言葉につながります。次の仕事をいいただくことこそが、私たちにとっては評価になりますよね。
専門学校で「予告編」という教科はありませんよね。
予告編専門に学ぶことはないですが、映像を作るとか、広告を学ぶという教科はあります。ただ、時々私が講義に行っている学校のように、撮影した映像とは別に、映画から予告を作ってみようという試みをしている学校はあるようです。弊社にも、学校で予告編を作ったら面白かったのでやりたいとか、長い本編より、宣伝という部分で映像制作にかかわりたいという人たちから、就職したいとの問い合わせが来ます。
今、日本に「予告編ディレクター」はどのぐらいいるのですか。
50人、いや70人ぐらいかなあ。わからないな〜。会社の数としては東京だけで(私が知ってる限り)10社ぐらいです。フィルムの時代は、フィルム編集機材がなければ仕事ができないため、機材がある会社に行かなければ制作できませんでした。今はデジタルのデータをパソコンで操作できるようになって、制作できる人の間口が徐々にひろがり、いろいろな人が作れるようになりました。
一方で私たちは映像を60秒、90秒に編集し作品の面白さを伝えるというノウハウを持っているので、コンパクトに的確なメッセージを伝える動画を必要としているクライアントから、予告編以外のお仕事をいただけるようになりました。いろいろな人が予告編をつくるようになったけれど、私たちも、劇場用だけでなく様々なところから依頼が来るようになりました。
本気で予告編クリエイターになりたいと思っている人に、アドバイスはありますか?
来年弊社に入社する4人の新卒は、大学で4年間、映像制作を勉強してきた学生ですが、今はなんでも一人でできてしまう時代ですから、「やりたい」という思いがあれば、それこそ中学生くらいから自分で映像を作る楽しみも経験できてしまいます。
とにかく、やりたいことがあるならば、チャンスはかならず来ますから、チャンスが来たら遠くで手を振るんじゃなくて、それをしっかり抱きしめてやれと言っています。チャンスが来たら飛び込んでみせろと。例え失敗しても、そのときの出会いが新たなチャンスを生み出してくれます。怖がらずに飛び込んで、そこでもまれてみろと言いたいですね。チャンスが来たときにキャッチできるかどうかは、その人がどういうところにアンテナを張っているか、張っていないかの違いだけだと思います。若いうちはそういうチャンスがたくさんあります。チャンスを活かして、仕事に就き、それが失敗に終わっても、また新たなチャンスを受け取れるような、若い人たちにはそんな人間であってほしいなと思います。
取材日:2022年12月7日 ライター:阪 清和 スチール:橋本 直也
これまでに手がけた予告篇は、『ボディーガード』『フォレスト・ガンプ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ『マディソン郡の橋』『トップガン』『羊たちの沈黙』『シェイプ・オブ・ウォーター』『スリー・ビルボード』『ノマドランド』ほか1100本以上。 最新作は『イニシェリン島の精霊』。
著書に「映画は予告篇が面白い」(光文社刊)がある。
WOWOWプラス番組審議会
予告篇上映カフェ「 Café WASUGAZEN」の運営もしている。
バカ・ザ・バッカ https://www.bacca.net/
Café WASUGAZEN http://www.bacca.net/wasugazen/
映画情報サイト otocoto 編集長
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https://otocoto.jp/interview/interviewcat/ikenobe/