個人制作ゲーム「PICO PARK」が100万本の大ヒット!成功の秘訣は「軸」を曲げなかったこと
2021年10月、国産インディーゲーム(企業の出資などを受けずに個人もしくは少人数体制で作られたビデオゲームの総称)の「PICO PARK」が全世界で100万本以上売れる大ヒットを記録しました。
このゲームの企画から制作、販売までのすべてをお一人で手がけたのが三宅俊輔さんです。届けたいゲーム体験をぶれさせずに抱き続け、コロナ禍という時代性に合わせてアップデートしたからこそ、大ヒットを掴み取った三宅さんに、クリエイターとして大切にしている“軸”をうかがいました。
ゲームは自分でも「作れる」ことを知り、クリエイターへの道を決意
ゲームクリエイターを志したきっかけは、どのようなものだったのでしょうか。
小学生の頃に、従兄が自作のゲームでよく相手をして遊んでくれたのがきっかけでした。紙とペンやサイコロで遊ぶアナログな(非電源式の)ゲームで、私は従兄との遊びを通してゲームは自分でも「作れる」ものなのだと学びました。
ほとんどテーブルトークRPGですね。(テーブルトークRPGは、コンピューターを用いずにあらかじめ定められたルールにしたがって対話で進行する形式のゲームのこと)
具体的に意識したのは、高校生の頃です。父が仕事でプログラミングをしていたことや、私自身ビデオゲームに親しんでいたこと、得意科目が英語・数学・物理と理系寄りだったことから、ゲームのプログラマーを目標にしました。
そうして、大阪電気通信大学に進学されます。
デジタルゲーム学科でデッサンや企画などを学びながらあらためて自分の強みが理系寄りであることを自覚し、プログラミングを中心に知識を蓄えていきました。
「いつか人を楽しませるゲームを作れるようになるため、まずはゲームメーカーへ就職してプログラマーとしてキャリアを積みながら知識と経験を身につける」というのが、当時描いたキャリアプランです。
プログラマーではなく、プランナーの道に進むという選択肢はありませんでしたか?
プランナーは、企画したゲームのおもしろさや魅力を社内でプレゼンする必要があります。自分が思い描く“おもしろさ”を言語化し、言葉だけで人に伝える能力には自信がありませんでしたので、自分の強みを生かす意味でもプログラマーの道を選びました。
大手ゲームメーカーに就職して、学生時代に思い描いていたイメージとのギャップはありませんでしたか?
私は学生時代から“意識が高い”方だったと思います。ライバルは同期の学生ではなくすでに現場で活躍するプロのクリエイターであると考え、高いハードルを自らに課していました。
ポートフォリオとして、ファミコン(ファミリーコンピュータ)の名作ソフトを“目コピー(プログラムを一切見ることなく、ゲームの挙動を見るだけで、再現するプログラムを書くこと)”したり、3DCGに対しての理解を示すため3Dゲームを制作したりして、大学3年生の時には複数の大手ゲームメーカーから内定をいただいていました。
プログラマーという仕事へのギャップはまったくなく、すべてが予定どおりにいったという感覚でしたね。職場ではわからないことを丁寧に教えてくださる先輩や上司に恵まれ、成長させてもらったなと思います。
10人でわいわいと話し合う楽しさをビデオゲームで提供したい
大ヒットインディーゲーム「PICO PARK」の発想のきっかけを教えてください。
社会に出てからクリエイティビティを発揮したい気持ちが強くなり、作るものの方向性を決めるためにおもしろそうだと思うことを何でもやってみることにしました。当時はレトロゲームを収集するのが趣味で、仲間うちで集まってみんなでレトロゲームを楽しむのもその中の一つでした。
今でも深く印象に残っているのが、最大10人で対戦できるセガサターンのゲーム「サターンボンバーマン」です。みんなでひとつの画面を見ながら、わいわいと声を上げて遊ぶゲームの楽しさを知りました。そして、対戦ではなく協力プレーするゲームにしようと思いついた理由は2つあります。ひとつは、大学時代に遊んだニンテンドーゲームキューブの「ゼルダの伝説 4つの剣+」で、協力プレーの楽しさや達成感を感じたこと。2つ目は、私が対戦ゲームで負けて機嫌が悪くなってしまった人を見るのが好きではなかったからです。
だからこそ2つのソフトの魅力を合わせて「10人で協力し合うビデオゲームを作れないか?」と考えるようになりました。
ローカルで協力プレーを楽しめるビデオゲームのプレー人数は、4人までというものが多いと思います。10人という大人数に対応したものは、なかなか思い浮かびません。 (ビデオゲームにおけるローカルプレーとは、インターネット回線を用いずに遊ぶ行為を指す。プレーヤーが複数人である場合は、必然的に顔を突き合わせるほどの身近な距離で遊ぶことを意味する。)
おっしゃるとおり、10人でローカル協力プレーを楽しめるゲームは類を見ません。だからこそ、自分で作ろうと思い立ちました。2人や4人という少ない人数で協力プレーを楽しむゲームは、私が作らなくとも数多くリリースされていますから。
「PICO PARK」を制作する中で「ヒットするだろう」というような確信や自信はありましたか?
成功するかどうかは、ほとんど気にしていませんでした。自分がおもしろいと思うゲームをきちんと形にして世の中に発信することが、一番大切であるという思いが強くありました。
仕事ではなくプライベートで制作していいたからこそ、成功を気にせずつくりたいものがつくれたのですね。
加えて、最初からうまくいくとは思っていませんでした。トライ&エラーを丹念に繰り返し、いつか大きく受け入れられるものが作れたらいいな……という気持ちでしたね。
そして16年4月に、PCソフトダウンロード販売プラットフォームのSteamで世界各国に向けて「PICO PARK」の販売が始まりました。当初のユーザーの反応はいかがでしたか?
セールスはからっきしでした(苦笑)。実際に遊んでくれた方からの反応は非常によいものでしたが、10人集まらなければいけないハードルの高さが上回ってしまったようです。多人数プレー専用のオフラインゲーム(インターネット回線に接続することなくプレーできるビデオゲームの総称)というジャンルの難しさを思い知りました。
コロナ禍にヒントを得た“新たな形のローカルプレー”がブレイク
その後、19年にはNintendo Switch版をリリースしました。ユーザーの反応に変化はありましたか?
やはり、思ったほどの反応は得られませんでした。「遊んでくれた方の評判はよいものの、手に取ってもらうまでが難しい」というSteam版と同じ壁を乗り越えられませんでした。しかし、Nintendo Switch版はオンラインマルチプレー対応への転機ともなりました。
ゲーム機のオンラインサービスでダウンロード購入したゲームは返金が難しい場合があり、購入してくれた方たちの一部から「オンラインで協力プレーができると思って購入したけれど、そういう仕様ではなかった」と残念がるご意見をいただいてしまったからです。
私も購入してくれた方のご期待に添えないのは心苦しいので、オンラインマルチプレーに対応させるべきか……と思案していた頃に、コロナ禍が到来しました。
感染拡大を防ぐために“巣ごもり”という概念が生まれ、ビデオゲームにかぎらずリモート化が一気に進みましたね。
私も、ビデオチャットができるソフトを使って友人たちとのリモート飲みを経験しました。そしてある時、コロナ禍は「離れたところにいる友人たちと、対面しているかのように気軽な会話をしながら一緒にゲーム遊べる環境」を急速に整えたのだと気がつきます。いわば、令和の時代における新たな形のローカルプレーですね。
リモート飲みをヒントに、「インターネット回線を用いたローカルプレー(仲間内で対面しているかのようにビデオチャットしながら楽しむプレー)」という新たな発想にたどりついたのですね。
面識のない人とも気がねなく遊べるようゲーム内に定型文チャットを用意していますが、基本的には仲間うちで会話しながら遊んでもらうスタイルを想定しています。
そうして、21年にSteam版がオンラインマルチプレーに対応すると、やがて世界中で大ブレイクを果たしました。当時のことを振り返ってどう感じられますか。
オンラインマルチに対応した直後の伸びは緩やかなものでしたが、3カ月ほど経ったある日、突然中国で大ヒットして売り上げが大きく跳ね上がりました。まったく想定していませんでしたので、突然のことに言葉が出てきませんでした。
23年7月現在では中国のゲーム人口は6億6800万人におよぶとのことで、世界でも屈指の市場規模です。 (出展:https://sp.m.jiji.com/article/show/3005557 )
やがて、Twitter(現名称はX)でプレー動画を公開してくれる人が出てきて、日本・北米・南米……と広がっていきました。各国のストリーマーやインフルエンサーが楽しみながら広めてくれて、嬉しかったです。
私は学生の頃から「大人数が一つの画面を見ながらわいわいとゲームで協力プレーを楽しむ」光景が好きでした。ストリーマーの方たちが仲間や配信視聴者と本作を楽しむ姿はまさにそれと同じ光景で、私が皆さんに届けたかった楽しさと、時代の流れがうまくマッチしてくれたからこそのヒットだと捉えています。
コロナ禍による時代の変化を追い風にできたんですね。
クリエイティブは「譲れないコンセプト」を固めることから始まる
時を同じくして、独立を果たされました。「PICO PARK」の成功を受けてのものでしょうか?
実は、独立は大ブレイク前から決めていました。当時の私は仕事が忙しく、自分のクリエイティブの時間を取れなくなっていました。35歳という転機をむかえたこともあり、妻の理解を得たうえで大手ゲームメーカーを辞して自分のゲームを作るぞ……と思っていた矢先に、先ほどお話しした大ブレイクが起きました。
会社を設立したのは、大ブレイクを受けてのことです。おかげ様でゆとりができましたので、マイペースでクリエイティブに取り組んでいくつもりです。
TECOPARKの公式サイトには「ゲームの枠を超えた新たな体験作り」に向けて取り組んでいると書かれています。
私が最も目指したいのは「自分にしか作れない体験や楽しさを届けること」です。それが達成できそうであれば、ビデオゲームという形にこだわるつもりはありません。ただ、私のプログラミング技術を活用する意味でも、デジタルなエンターテイメントにはなるであろうと思います。
今の三宅さんが思う「クリエイターとして優先すべきこと」はどのようなものですか?
譲れないコンセプトを最初に決めて、とことん大事にし続けることです。「PICO PARK」であれば「8人、10人という大人数でわいわいと話しながら協力プレーを楽しむ」独自の体験価値を提供することですね。
芯がぶれることなく保たれていたからこそ“チャットツールで遠隔の仲間と対面しているかのようにゲームを楽しめる”ように「PICO PARK」がアップデートされ、大ヒットにつながったわけですね。最後に、クリエイターを目指す学生や若手クリエイターへのメッセージをお願いします。
若い頃から頭角を現すクリエイターの方もおられると思いますが、会社でキャリアと経験を積みながら、プライベートでクリエイティブに取り組むのもやり方の一つだと思います。
また、自分の創作意欲をすべて仕事で満たせるようであれば、それもまたすばらしいことです。会社での仕事内容、自分の年齢、プライベートの時間などを秤にかけながら、自分なりの最適解を追い求めるのがよいと思います。
取材日:2023年9月11日 ライター:蚩尤 スチール:幸田 森 ムービー:(撮影)村上 光廣、(編集)遠藤 究
同年に独立してTECOPARK株式会社を設立し、ゲームの枠を超えた新たな体験作りに向けてパートナー企業とチームを組んで指揮を取っている。
TECOPARK株式会社 https://tecopark.com/