異物と出会い、世界の広さを知る。空間を丸ごと作品にする、インスタレーション・アーティスト
空間と対峙し、音や光と影、空気や風などを駆使して、そこでしか表現し得ないインスタレーションをつくり上げる。鑑賞者が作品を見て楽しむだけでなく、まるで自分が作品の一部になったかのような体験を生み出す芸術家・大巻伸嗣さん。
2023年11月~12月にかけて開催された個展「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」の会場である国立新美術館でインタビュー。インスタレーションを手掛け始めたきっかけや、多種多様な表現の源泉、若いクリエイターに対して期待することなど、さまざまに語っていただきました。
空気の密度、流れ、温度や湿度を確かめながら、ベストな表現を探る
大巻さんは大学時代に彫刻を学んだことが、アーティストの道を歩むきっかけだったのですよね。
幼い頃からものをつくることが好きだった私に、母が勧めてくれたのが河合塾美術研究所でした。そこで出会ったのが、講師を務めていた奈良美智さんです。進路選択の面談の際、奈良さんに「君は彫刻家になるのがいいよ」と突然言われたのです。僕はそれまで彫刻などやったことがなく、ミケランジェロやロダンくらいしか知らなかった。「この人はいったい何を言っているんだろう」と、母と顔を見合わせました。
でも、昔から木を彫ることも好きでしたし、おもしろいかもしれないなと。奈良さんに言われるまま、彫刻科へと進んだのです。今思えば、あの時の奈良さんのひと言が僕の運命を決定づけましたね。
その後、「ものをつくるだけでは表現に限界がある」と感じ、インスタレーションをはじめたと聞きました。
大学院の時の先生が風景彫刻家で、それがインスタレーションの道へ進むきっかけの1つだったと思います。風景彫刻は、食卓ほどの台の上に、ミニチュアのような風景をつくり上げる。そこには遺跡があったり、馬がいたり、イマジネーションを広げるような本があったり。小さな空間に、いろいろなものが混ざり合ったイリュージョンの世界が広がっているのです。そういったものを学生の立場で数多く見ていました。
人体彫刻をつくる際、足元にある程度の高さの粘土を盛り上げた「地山」と呼ばれる部分を設けます。先生は「地山」が、人体彫刻が空間や風景につながっていく大切な要素であることを教えてくれました。それも、空間と一体となる作品づくりのヒントになったように思います。
私は空手をやっていましたが、相手と対峙している時は、自分を空間に放り投げて、客体から綱を張っているような見え方になる。それがいわゆる「間合い」と言われるもので、敵の動きを気配で感じ、ピリッとしびれているような感覚があるのです。そういうものを以前から感じていて、空間そのものへの興味がもともとあり、先生が言うことをよく理解できました。それが自然とインスタレーションへと表現が向いていったきっかけだったように思います。
ひとつとして同じ美術館、ギャラリー、パブリック空間はありません。だからこそ、その空間でしかできない表現が生まれるのだと思います。大巻さんは、どのようなアプローチで創作を進めるのでしょうか?
同じような四角い空間でも、その場所を形成している空気の密度や流れ、温度や湿度などすべてが違います。まずは、それをつかむことからはじめるのです。お香を焚いて、空気がどのように抜けていくか、どう流れるかなどを丁寧に調査します。それをこれまで手掛けてきたインスタレーションの経験と照らし合わせて、その場所で表現できるストーリーを想定する。そうして、そのストーリーを表現する方法を少しずつ試しながら、ベストなものを探っていきます。
国立新美術館では、36.8m×15mのポリエステルの布を、ファンの風で揺らめかせる作品(Liminal Air Space-Time 真空のゆらぎ)を発表しました。布を使った同様の表現は、2012年の個展から何度も続けていて、台湾の美術館では25m×8mの布を使うなど、空間によって大きさを変えています。
この作品で表現されているのは「波」です。この空間ではどのような「波」を生み出したいのか。「波」を表す形容詞を場所によって調整していくようなイメージです。今回は葛飾北斎の浮世絵に出てくるような大きな「波」。表と裏がひっくり返って価値観の変容が起こるような「波」をつくりたいと思いました。大きい「波」をつくる時でもまずは、小さな布からはじめます。1度気温があがるとどのくらい布が上昇するのかなど、目には見えない空気の状況を検証しながら、36.8m×15mの布へと発展させていきました。
細やかな調整を重ねて、一つの作品をつくり上げているのですね。
僕らは自分がいる空間のことを、知っているようでまるで知らない。それに、日々空間と密接に自分の身体を関わらせているのに、空間の一員であることを理解していない。それは、現代社会と人間との関係性を表しているようだと思うのです。自分の認識が、社会とは別のところにあるような感覚を誰もが持っているのではないかと。
たとえば、ある人が「あの政治家はダメだ」と言ったとします。でも客観的に見たら、その人だって日本社会を形成する一員なのだから、ダメだと言っている政治家と同じなのです。さらに大きく言えば、誰もが地球の一員である。世界は絶えずつながり合っていて、自分もそこに大いに関係する存在です。そのことを、作品を通して表していけたらと思っています。
物質的に光を捉え、「不在」の足跡を焼きつける
印画紙に直接焼きつける「フォトグラム」も、大巻さんが取り組み続けている表現手法ですよね。
フォトグラムのシリーズは、6年前に台湾で開催した個展(「Gravity and Grace」Mind Set Art Center/2017年)ではじめて発表しました。フォトグラムは、光の実体と影の実体が交錯して入れ替わり、光と影という相反する2つの価値を存在として捉えることができる手法だと思っています。国立新美術館の企画展では、はじめて人体のシルエットを焼きつけました。(今回は、美術館で撮影したフォトグラム作品を発表した個展「moment」Art Front Gallery(2023年11月3日-26日)もあわせて開催した。)
広島に原爆が落ちた時、その場所にいた人の影が焼きついた階段や、東京で空襲が起きた時、焼けてしまった人の脂が染みついた橋……。このような痛みの残響のような軌跡が残っています。人間は不在だけれども、その場所に存在が記されている。そのようなイメージから始まりました。今はいなくても、過去にその場所にいた。時間がすぎるとそこに「不在」が生まれる。その不在の足跡を表現できたらおもしろいのではないかと思いました。
実際に撮ってみると、人間の中にあるもう一人の人間というか、人間の奥にある何か、影の中の影のような、影の中の光のような……。そうしたものが写り込んでいるように見えて、非常に奥行きを感じました。フォトグラムが写し出そうとしているものは、実体ではなく非実体。人間の内面に潜むもう一つの精神、宇宙空間のような深いところにある震源とつながっているように見えたのです。
人体を撮ってみて、これまで以上にフォトグラムのおもしろさを感じたのですね。
そうですね。被写体となる人には、決まったポーズをとってもらったのですが、仕上がったものは意図とは違ったものになっていました。決めたポーズではなく、その人の「なり」でシルエットが決まる。その偶然性がおもしろいと思いました。
何万分の一の銀の粒子が反応して、宇宙のような奥行きをつくり出している。それが豊かなグラデーションとなって見えてきて、非常に美しいのです。「物質的に光を捉える」というフォトグラムの真髄を体感できました。
無駄なことなど何もない。すべては未来につながっている
これから、どのような表現をしていきたいと考えていますか?
難しい質問ですね。これからのことは、あまり考えていません。やはり、直感が生み出すものを大切にしたい。何をするかを決めてしまうと、予定調和でつまらなくなってしまいますから。最近は言語学の研究者にインタビューを重ねて、「言語」をリサーチしています。そういった新しい領域に手を伸ばしながら、作品をつくり続けていきたい。
2023年は、美術館で3回(※1)も個展を開催しました。必然的に、コロナ禍を経て、再生するといった意味において、2020年までの作品や表現をまとめたような展示になりました。ですが、コロナの時代が終わったわけではありません。これから僕たちはどう生きていけばいいのか、人間の存在とは何なのか。それを考え続けることは変わらないでしょう。しっかりと考え続けながら、ゆっくりやっていきたいなと思っています。
※1 「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」国立新美術館/東京(2023年11月1日~12月25日)
「THE DEPTH OF LIGHT」 A4 ART MUSEUM/中国四川省成都(2023年8月19日~11月19日)
「大巻伸嗣ー地平線のゆくえ」弘前れんが倉庫美術館/青森(2023月4月15日~10月9日)
インスピレーションを生み出すためには、悪あがきもしますよ。いろいろなところへ足を運んだり、リサーチをしたり。無駄が多い。無駄だらけと言ってもいいでしょう。でもそれがどこかで何かに結びつくことは大いにあるわけです。
一見、無駄に見えるようなことを重ねていくと、何かとつながる。その考え方はおもしろいですね。
僕は大学時代、彫刻を学びながらラグビー部と空手部に所属していたんです。先輩に誘われて入部したのですが、ラグビー部の先輩には芸術家として尊敬できる人がたくさんいて。なぜこの人たちは、彫刻だけでなく、ラグビーをやっているんだろうと、単純に疑問がわいたのも入部理由の一つです。
そこでわかったのは、彫刻だけを学んでいては、世界は理解できないということ。先輩に連れられて新宿へ行くと、アートイベントをやっていて、みんなで覆面をかぶって街を徘徊するとか、わけのわからないことをたくさんやらされました。後に、それは「新宿少年アート」という若手作家による自主企画展に発展しました。
学内の狭い世界で、彫刻の技術や安全に彫るテクニックを身につけるだけでは見えるものが限られてしまう。これまでに見たことのない異物と出会うことで、彫刻を学ぶことのアカデミックな価値がわかってくる。多くの人とコミュニケーションをとる中で、一つの方向性だけで物事を見ないことの大切さを知りました。
本を読んだり先生に教わったりすることもあるけれど、学ぶことの本質は、違うもの同士が混ざり合って可塑的に変化していくことだと思います。そこからそれぞれの独自性が生まれていくのです。
世界の広さ、価値観の多様さを経験して、作品に生かす
大巻さんは東京藝術大学で教鞭を執っていらっしゃいますが、若い世代のアーティストに期待することは何ですか?
その時代ならではの価値観を、作品に落とし込んでいってほしい。僕は大学時代、先生に「私はもう、あなたの作品はわからない」と言われたことがあるのです。そういう作家が出てくると、おもしろいだろうなと思いますね。僕には理解できないような、新しい価値観が生まれるのを見たい。新しいものが生み出される社会や、人間の可能性に興味があります。
人間がものをつくるには、相当なエネルギーが必要です。だから、排他的な人間にはできない部分がある。あらゆるものを否定ではなく肯定しながら、創造のためのエネルギーに変えていくことが大切です。そういう素質を持った人たちの中から生まれてくるものと出会って、自分の中にもこれまでとは違うイメージがわいてきたらいいですね。それが叶うクリエイターの世界であってほしい。
僕は学生に教えることなんて何もなくて、話したり、ご飯を食べたり、いろいろなことを一緒に経験することに注力しています。学生を僕と同じ「表現者」だと思っているから、「学生」という言い方はあまりしないようにしているのですよ。僕はただ少し早く生まれただけ。先輩として社会のルールは教えながら、ともに切磋琢磨できる仲間であれたらいいなと思っています。
読者の中にも、多くの若いクリエイターがいます。ぜひメッセージをお願いします。
ありきたりなことを言うようですが、若いうちは失敗をたくさんした方がいい。そして、たくさん世界を見た方がいい。自分の価値観だけがすべてではないことを、早くから知っておくのは大切なことです。僕らの時代は海外へ行くハードルは高かったですが、今は違う。シームレスに世界と繋がれるようになっているけれども、なぜかうちにこもろうとする人が多いように思います。
心を許せる仲間としか関わらないから、それ以外を受け入れられない状況になっている。異質なものを批判したり、無関心でいたりするままでは、日本は世界の中で置いてけぼりになってしまうでしょう。
インターネットではなく、自分の目で、耳で、身体で、直に体感しないといけない。そういう経験がないまま身体性を失うと、おもしろい作品は生み出せません。テクノロジーによって、何でもありなものをつくることはできるけれど、リアリティがなく、無重力感があるものになってしまう。もっとリアルと対峙して、現実世界に対する自分なりの問いを立てること。そしてその問いを、作品に昇華させるのです。
世界に目を向けて、世界の広さを感じ、客観性を持つ。そうした経験をなるべく多く、積み重ねてください。
取材日:2023年12月21日 ライター:佐藤 葉月 スチール:島田 敏次
影や闇といった身近であるが意識から外れてしまうもの、対立する価値観の間に広がる境界閾、刻々と変化する社会の中で失われてゆくマイノリティーなどに焦点を当て、「存在」とは何かをテーマに制作活動を展開。主な作品として、『ECHO』シリーズ、『Liminal Air』、『Memorial Rebirth』、『Flotage』、『家』シリーズ、『Gravity and Grace』ほか。2024年7月13日~11月10日にかけて開催される『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024』では、《影向(ようごう)の家》の展示が再開される。