WEB・モバイル2014.06.25

コミュニケーションの形が変わるような 新しい仕掛けを作って行きたい

Vol.104
exonemo アーティスト 千房けん輔(SEMBO KENSUKE)氏
スピードの速いインターネットの世界で、1990年代の黎明期から常に注目を集める作品を発表してきたアートユニット「exonemo(エキソニモ)」。このexonemoのメンバーでもあり、さらに個人としても多くの広告賞を受賞するなど、メディアアート界をけん引する、千房けん輔さんの登場です!国内だけでなく海外でも評価の高い作品を制作してきた千房さんのこれまでのキャリアや、今後の展望、さらにメディアアートを志す人へのメッセージなどをお聞きしました!
 

制作会社でのアルバイトがWebとの出会い Web黎明期で混沌とした状況の中で学ぶ

千房さんがインターネットと出会ったのは?

学生時代はスケートボードと音楽しかやってこなかったので(笑)、卒業後にたまたまWebも手掛けている制作会社でアルバイトをしたのが最初の出会いです。簡単なアルバイトで、毎日HTMLを「コピペ」ばかりしているような仕事でしたが、その中でWebの仕組みを面白いなあと感じ、自分で勉強してタグを書いてWebを作ってみたりしていました。

HTMLのタグには抵抗がなかったのですか?

子どもの頃、親にPCを買ってもらい、プログラミングのようなことをやったりして遊んでいたので、あまり抵抗なく入っていけました。バイトをやっていた当時はまだWebの黎明期で、これが本当に仕事になるのか誰もわからず、インターネット全体が壮大な実験場でしたね。その中で自分なりに勉強して、ある程度技術を付けて、1996年に制作会社であるTYOのWebチームに派遣社員で入ったんです。

「ある程度の技術」とは、どの程度の技術だったんですか?

今の人たちに比べたら全然たいしたことないのですが、当時はまだ手探り状態だったので、多少プログラミングができてタグが書ければ重宝されたんですよ。必要に応じて勉強すれば、それがそのまま仕事にできる時代でした。プログラミングもデザインも企画も全部やってましたし、やらざるを得ない状況というか(笑)。今から思えば混沌とした状況でしたが、毎日が新鮮で楽しかったです。

メディアアートが注目されロッテルダム映画祭へ 国内外の広告賞も多数受賞

その当時から、exonemoとして作品をインターネットに発表していたんですよね?

仕事とは違って、気楽に本能のまま作ったものをインターネットにアップしていました。当時はWebチャットが全盛期でしたが、言葉に依らずにコミュニケーションできる、ネットでしか体験できないものを作りたいとJavaで軽く動く「KAO」という作品を発表したら、当時の「Java表現大賞」を受賞しました。そこから少しずつ作品を作っていくうちに注目されてきて、2000年にはロッテルダム映画祭に呼ばれて、特別枠で初のインスタレーションを発表する機会に恵まれたり、メディアアートの活動が軌道に乗ってきました。

アート活動の他にお仕事は?

2000~2004年くらいまではアート活動が主でしたね。派遣の仕事もやっていましたが(笑)。以前に働いていたTYOのつながりで、「Uniclock」などユニクロのWebプロジェクトで注目されていたプロジェクターの田中耕一郎さんや、今はPARTYをやっている伊藤直樹さんと仕事をするようになったのが大きな転機で、広告の仕事も積極的にやるようになりました。

数々の広告賞を受賞していますね。

2006年に渋谷の街を舞台にした巨大な影のインスタレーション「BIG SHADOW」、表参道のイルミネーションとWebサイトを連動させた「表参道 akarium Call Project」など、カンヌ広告祭でも入賞するようなプロジェクトにも携わることができました。徐々に広告分野でも認知されてきて、「Webで実験的な新しくて面白いことをしたいなら声をかけてみよう」という存在になれたのかな、と思います。

ツイッターと連動した「IS Parade」は文化庁メディア芸術祭でエンターテインメント部門大賞を受賞しました。

「IS Parade」はプランナー兼クリエイティブディレクターとして入った作品です。広告の仕事をする時は、僕自身は純粋な広告畑の人間ではないので、他の広告畑の人とは違う部分を大切にしています。広告ですから、クライアントの要望が大前提なのですが、それを落とし込む表現法や方法論が広告畑の人とは少しずれているかもしれません。違っているのが当然ですし、その違いを求められてプロジェクトに入っていると思うので、一人だけずれた方向を向いていても気にしないでやっています(笑)。

福岡を拠点に新しい仕掛け ビデオチャットロボットも開発!

広告でのご活躍が目立ちますが、他の活動は?

メディアアートの作品は発表し続けていますし、2011年からは拠点を福岡に移しました。福岡だからこそできることがいろいろとあって、「秘密結社IDPW(アイパス)」というインターネットの実験グループのようなものを作り、「インターネットヤミ市」などいろいろなイベントを仕掛けています。「インターネットヤミ市」は、インターネットに関するものを売り買いするフリーマーケットのイベントなのですが、各方面から好評で、ベルリンでも開催したんですよ。

スマートフォンビデオチャットロボの「nubot」も面白いですよね!

もともと、福岡と東京でSkypeミーティングをするために作ったロボットです。Skypeのダイヤルパッドで操作して、おじぎしたり手を振ったり、妙なリアリティがあるところが面白いですよね(笑)。値段がまだ高いので、廉価版の量産品にチャレンジしたのですが、いろいろと難しくて…。ですが、このnubotを作ったことで話題になり、新たなつながりができたりして、仕事は広がってきましたね。

「とんがっている」部分のインスピレーションを大切に 新しいコミュニケーションの仕掛けを作りたい

千房さんのご活躍は多岐にわたっていますが、今後はどのような活動をメインに考えていますか?

これまでは表現の手法や見せ方で新しいものを作ってきましたが、今後は新たに開発したものをビジネスとして成立させることにチャレンジしたいです。具体的には新しいコミュニケーションの仕掛けを作りたいですね。インターネットやスマートフォンが産まれて生活や仕事のやり方が変わったように、これまでのコミュニケーションが変わるものを作り出したいです。また、福岡にいるからこそできることもたくさんあって、行政を巻き込んで仕掛けていくハードルが東京より低いですし、ITのスタートアップが好きな人もたくさんいるので、東京とは違ったこともいろいろできると思っています。

どんな人と組んでいきたいですか?

センスや価値観が近い人でしょうか。「会社を大きくしたい!」という気持ちはあまりなくて、IT技術によって、会社である必要性や資本力などに縛られずに、いろいろできるようになってきています。自分のアイデアを形にするために機動力を高めて小回りの利く体制でやりたいし、それでやれるということを証明したいです。実は人に物を頼むことは得意ではなくて、いわゆる「ディレクション」だけをやる仕事のやり方は性に合わないんですよ(笑)。たとえばプログラミングのわずかな按配などでテイストが変わるし、そこはちゃんと丁寧にやっていこうと心がけています。センスや価値観が近いと、トラブルが起きても乗り越えられますし、そんな人と一緒にやっていきたいです。

千房さんのような活動を志す若いクリエイターへメッセージをお願いします。

プランニングをするときは、競合リサーチやマッピングをしたりしますが、あまり同じ業界を研究しすぎないほうがいいと思います。リサーチしすぎると型にはまってしまいますから。成功例に固執し過ぎると、新しいアイデアは生まれてきません。たとえばWebのアイデアを考えるなら、ひたすらネットサーフィンするよりも、演劇や映画、動物園や海に行って、「いいな」と思える「とんがっている」部分を、あえてWebという領域に翻訳してみる。自分が無意識に感じている問題意識を探ったり、インスピレーションを大事にして、ちゃんと自分の立ち位置からアイデアを展開していくことが大切だと思います。

取材日:2014年4月28日 ライター:植松

Profile of 千房けん輔

exonemo 千房けん輔氏

1996年より赤岩やえとアートユニット「エキソニモ(http://exonemo.com)」をスタート。インターネット発の実験的な作品群を多数発表し、ネット上や国内外の展覧会・フェスで活動。テクノロジーによって激変する「現実」に根ざしたコンセプトから繰り出される、独自/革新/アクロバティックな表現において定評がある。またネット系広告キャンペーンの企画やディレクション、イベントのプロデュースや展覧会の企画、執筆業など、メディアを取り巻く様々な領域で活動している。アルス・エレクトロニカ/カンヌ広告賞/文化庁メディア芸術祭など異なる領域の国際コンペで大賞を受賞。IDPW正会員。

 
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