「日本の切手はいいね」と 100年先でも思ってもらえるクオリティを
- Vol.111
- 日本郵便株式会社/切手・葉書室 主任切手デザイナー 玉木明(Akira Tamaki)氏
「切手デザイナー」の仕事を知ったのは大学の先生から 長く残っていくデザインは「面白そう」と入省
切手デザイナーになったキッカケは?
美大に通っていましたが、就職を考える頃はちょうどバブルの末期で、学生はみんなイケイケになっていた時代でした(笑)。グラフィックデザインを学んでいたので、仲間はメーカーや広告代理店など大手企業に就職が決まり、自分も大手メーカーの宣伝部や代理店など、広告に携わる仕事に漠然と憧れていましたね。そんな時、大学の先生から切手デザイナーの募集がある、と聞いて、ちょっと面白いかな、と思ったんです。
どんなところが面白いと思ったんですか?
広告やパッケージは、世の中に出ている期間は短いですが、切手はいわば“賞味期限"が長く、ずっと残っていくデザインです。コレクターの世界があることも知っていましたし、郵便がある限り、切手は使えるものとして残っていくところが面白そうだと感じました。
当時は郵政省に国家公務員として「入省」することになりますが、事前に仕事に対するイメージはあったのですか?
今は郵政省が民営化されて「切手デザイナー」と名刺に職種が書かれていますが、当時は「技芸官」という職種名で、その言葉も入省して初めて知ったくらいで、まったく何も事前に調べなかったし、知りませんでした(笑)。特に切手が好きだったわけではなく、集めたこともなく、真っ白な状態でしたね。
世界中の切手に触れて興奮! 初の切手は「農業試験研究100年記念切手」
郵政省に入省して、まずどんな仕事をしたのですか?
最初から切手のデザインをさせてもらえるわけではなく、まずは発行する切手の一覧を載せたリーフレットや、発行周知切手のポスターやチラシのデザインをしていました。また、いろいろな国の切手が届くので、その整理も仕事のひとつでした。それまで切手にほとんど触れたことがなかったので、世界中の切手を目の前にして、とても有意義な時間でしたね。
世界中の切手に触れて、どうでしたか?
切手はその国の文化に裏打ちされたもので、深い世界だと興奮しましたね。切手に対する基本的な考え方、微妙な価値観が自分の中で形成された貴重な時間でした。
初めてデザインした切手は?
1991年に入省して、1993年の「農業試験研究100年記念切手」で、初めてデザインが採用されました。それまでも何度かデザインを提案する機会はあったんですが、当時若手はコンペで参加するんです。それに立て続けに落ちてしまって。若いですから「もうダメだ、俺は向いてない」くらいに落ち込んでいたので、採用されたときはそれはそれは嬉しかったですねえ(笑)。
デザインコンペがあるとのことですが、切手はどのようにデザインが決まるのでしょうか?
まず年間の記念切手発行スケジュールを決めるのですが、その際に各省庁から記念切手にふさわしいイベントの推薦を受けます。例えば、「来年は農業試験研究の100周年」と農水省から推薦があったり、「○○国際会議」と外務省から推薦があったりするわけです。推薦の中から日本郵便(旧郵政省)の基準で絞り込み、年間の発行スケジュールを決定します。
その後、それぞれの記念切手について、推薦した省庁から内容について詳しくレクチャーを受け、どんな切手にしようかディスカッションをしながら方向性を考え、外部も含め何人かのデザイナーにオーダーし、その中からデザインを決定します。もちろん、1人でデザインすることもありますよ。
どのくらいの期間で完成するのですか?
スタートから3~4ヶ月はかかりますね。デザイン案が決定した後も、図案考証などの微調整を繰り返します。常に複数のプロジェクトを抱えている状態です。
時間もなく、使命感のある中で 想いを込めた「東日本大震災寄附金付」切手のデザイン
印象に残っている切手は?
1994年の関西空港開港記念は、旅客機らしく見せるデザインに気を使いました。旅客機が旅客機らしく見える理由は、尾翼の部分に企業ロゴなどが入っていることが大きいのですが、当時の郵政省では特定の企業・団体を前面に出すことはできませんでした。無地の尾翼では旅客機らしくないので、尾翼部分に“NIPPON"と切手の料金額を入れたんです。
確かに、尾翼の切手料金がロゴのように見えて旅客機らしいデザインですね!一見すると、切手価格に見えないくらいにハマっています。
しかも、縦に連刷したデザインも初だったんですよ。1シート横4枚×縦5枚の20枚が当時の標準シートだったので、縦に連刷すると1枚余りますから。この「余り」の部分も違和感のないようにデザインしたり、切手という制約の中でいろいろとチャレンジができて、面白い仕事でした。
また、1999年の「高校定時制通信制教育50周年記念」切手も印象に残っています。定時制の象徴で「夜」をイメージしてフクロウ、通信制の象徴で鳩をモチーフにしています。黒板を使ったポップな雰囲気で、定時制や通信制であろうと学校は明るく楽しいところだというメッセージを伝えたいとデザインしました。 さらに、シートで見ると黒板全体になるという仕掛けもしています。
2011年6月に発売された「東日本大震災寄附金付」切手も、大きな反響があった仕事ですね。
寄附金付切手はこれまで何度も発行されたことがあるのですが、それまではすでに決定しているデザインに「+10」などの寄附金額を付加する形式でした。東日本大震災は3月11日の金曜日に発生し、週末を挟んだ14日の月曜日に出社したらすぐにミーティングがあり、寄附金付切手をオリジナルで発行することが決定しました。震災がテーマで何をモチーフにするのかまったくの白紙、通常は3~4ヶ月かかるデザイン作業なのに入稿まで10日しかない、何が何でも買っていただいて寄附金を集めなくてはならないという使命、あらゆることにおいて前例がない仕事で、立ち止まる暇もなく突っ走りました。
その時間のない中、そして自分自身も不安定な精神状態の中、「頑張れ!」という強さよりも見守る優しさ、大げさなものではなく、いつもの切手に付加される20円の温かみを伝えたいとデザインしました。
2013年から発行されているシリーズ切手「野菜とくだもの」もカワイイですね。
このシリーズは自分で企画し、野菜とくだもののかわいらしさを表現しています。作家さんの、絵の魅力も大きいと思います。 女性タレントさんがテレビでこの切手を「カワイイ!」と褒めてくれたり、行きつけの飲み屋さんで「よくぞ青梗菜の切手を作ってくれた」と喜んでもらえたり(笑)。反響があって嬉しいですね。 他にも国際文通週間や切手趣味週間など、日本郵便が企画する記念切手には企画段階から携わっています。
切手は国の文化を象徴する一面も 100年後も「いいね」と言ってもらえるクオリティを保つ
切手をデザインする上で心がけていることは?
日本郵便も民間企業になりましたので、売れる切手を作ることは大切です。ですが、切手は公共性が高いもので、日本の文化を象徴する一面があり、そして残っていくものですから、100年先でも「日本の切手はいいね」と思ってもらえるクオリティを保つように心がけています。
「切手は日本の文化を象徴する一面がある」とのことですが、玉木さんが好きなのは、どの国の切手ですか?
やはりイギリスですね。切手そのものの完成度も高いのですが、イギリスは切手収集が「趣味の王様」と呼ばれるだけあって、切手にまつわるノベルティなどのクオリティが高く、日本とは切手の立ち位置が違うと感じます。
求められているデザインを考えることが大切 自分らしさや個性はその結果のご褒美
切手のデザイナーになるために必要なことは?
募集がほとんどないので、運やタイミングが一番必要かもしれません(笑)。ただ、少なくとも言えるのは切手デザイナーとしての技術は必要ありません。そもそも私は技術のある学生はいないと思っていて、技術があるとしたら大学の課題の中で有効な技術があるだけです。技術は教えられるので、デザインに対する情熱を持っていてほしいですね。
最後に、若手クリエイターにメッセージをお願いします。
私は「こんなデザイナーになりたい」「こんなデザインがしたい」と目標を持ったことがないんですよ。デザインはクライアントとお客様の間を取り持って初めて成立する職業なので、自分の表現より求められているデザインを一生懸命考えることが大切だと思います。自分らしいデザインや個性は、求められていることを必死にやった結果のご褒美だと思います。自分らしさに凝り固まるよりも、芸風を広く持ってほしいですね。
取材日:2015年1月8日 ライター:植松
Profile of 玉木明
美大を卒業後、1991年に郵政省に入省。技芸官として切手デザインに携わる。 2007年10月の郵政民営化後の郵便事業株式会社、そして2012年の「郵便局株式会社」と「郵便事業株式会社」会社統合後の日本郵便株式会社で、切手・葉書室 切手デザイナーとして数多くの切手を世に送り出している。