テキスタイルデザインの魅力に惹かれ 広告デザインの第一線から、留学、独立へ
- Vol.113
- サーフェイスパターン / グラフィックデザイン・イラストレーション 赤羽美和(MiwaAkabane)氏
そこで今回は、テキスタイルデザイナーとしても幅広く活動する赤羽美和さんにインタビュー!広告会社サン・アドでグラフィックデザイナーとして充実した日々を送っていたのにも関わらず、新たにスウェーデンの大学院へテキスタイルデザインを学びに留学した経緯、テキスタイルデザインならではの魅力、そして今後の展望など、さまざまな質問をぶつけてみました!
サン・アドにグラフィックデザイナーとして勤務 広告サイクルにどっぷりとはまる充実した日々
赤羽さんはグラフィックデザイナーとしてご活躍されていましたが、デザイナーを志した経緯は?
もともと絵が好きな子どもで、イラストレーターに漠然と憧れていました。好きなことを学びたいと美大を志して、親を説き伏せるためにも(笑)、将来就職にありつけそうだと思ったデザイン科に進学しました。グラフィックデザインを主に学び、在学中からデザイン事務所でアルバイトをしている友だちも多くいるような環境でしたね。
広告業界への就職を考えたキッカケは?
物事をひねって考えることが好きだったので、友だちから「広告系に進むのがいいんじゃない?」と言われて、何となくその気になっていました。広告代理店や制作会社が大学で開催する会社説明会に参加したりしていましたが、サン・アドのことは知らなかったんです。たまたま友だちが葛西薫さん(サン・アド在籍のアートディレクター)の作品集を持っていて、素直に「すごいな!」と感じる表現だったんですね。葛西さんを通じてサン・アドの存在を知りました。毎年の採用はないとのことでしたが、採用があるならば連絡をくださいとハガキを出したんです。
自分からハガキを出すなんて、行動力がありますね!
いえ、友だちが出したから、一緒に出しただけです(笑)。たまたまその年サン・アドでも新卒募集があり応募しましたが、最終選考で落ちてしまいました。ですが幸運なことに、その後行なわれたサントリーの宣伝制作部に受かりサントリーに入社しました。その後、部全体がサン・アドに出向することになり、そのまま転籍しました。
サン・アドに移ったのは、何年目ですか?
3年目でしたね。それまではサントリーの仕事だけでしたが、サン・アドに移ってからは、ファッション、航空、デジカメ、携帯電話など、様々な業種の仕事に関わることができました。大きなキャンペーンの仕事もあり、いい経験でしたね。本当に忙しくて、ぜんぜん家に帰らず、どっぷりと広告の仕事サイクルにはまっていました。
充実した日々だったんですね。
そうですね、離れてみてサン・アドは本当にいい会社だったと思います。力のある人が多いし、仕事に情熱を持って取り組んでいる人ばかり。みんなが忙しく働いている中で、同じように忙しく働いていることが楽しかったです。
激務と並行して留学準備 テキスタイルデザインを学びにスウェーデンの大学院に留学!
そんなグラフィックデザイナーとして充実している日々の中、現在手がけているテキスタイルデザインとの出会いは?
徐々に仕事に慣れてきて、周りを見る余裕ができたころ、他のデザインもいいなあ、と思い始めたんです。社内にプロダクトデザイナーがいて、広告とはまったく違う流れの中にいて、こういう仕事もあるのか、と感じていました。そのころ、1人でフィンランドに旅行に行き、そこでテキスタイルの展示会を見て衝撃を受けました。
どんなところに衝撃を?
大胆な色柄の長い布が天井からつり下げられた様子が圧巻でした。同じ柄でも切り取られ方や見る方向によってまったく表情が変わるのが面白いと思いました。美大に通っているころ、テキスタイルを学ぶ学科があったものの、これは私とは違う世界だなと思っていたのですが、テキスタイルデザインを見る目が変わりましたね。プロダクトデザインは使っているソフトも違うし、グラフィック一辺倒だった自分には遠い存在だけど、テキスタイルならば近い部分もあるし、学んだら世界が広がるのではないか、と考えるようになったんです。
テキスタイルデザインに興味を持ち、どのように学んでいったのですか?
織りの基礎が学べるコースを見つけて通ったり、自主制作でパターン模様を作ったりしていました。ちょうど北欧に留学経験のあるデザイナーが社内にいて「留学が似合いそう」と言われて、それまではまったく留学に興味がなかったのに、就職のときと同様に何となくその気になって(笑)。わからないながらも、大学院の教授にコンタクトを取ったり、旅行中に知り合った人にメールをしたり、作品づくりをしたり、留学の準備を始めました。また、同時並行で英語の勉強もしていました。
それは、広告制作の激務と平行しての準備ですよね?
仕事をある程度コントロールできるようになった時期だったので、無理矢理時間を作り、何かに駆り立てられるようにやっていましたね。周りからも徐々に「あいつは違うことを考えている」と思われるようになっていたかもしれません。だからこそ、仕事は他人にも自分にも文句を言わせないように、今までと同じく、もしくはそれ以上にしっかりやるようにしました。準備を始めて1年目は落ちましたが、2年目でスウェーデンの大学院に引っかかり、留学が実現したんです。
大学院に合格したら、スパッと仕事は辞める決意だったのでしょうか?
ある意味「スパッと辞める決意」だったのかもしれません。この場合「会社を」ですが。仕事はずっと続けたいと思っていたので。 留学準備中も漠然と、合格したら会社は辞めなきゃいけないんだろうな、とは思っていたんです。ただ、会社と相談してみて、もし残れる道があるならいいな…と、淡い希望もありました。元々デザインの幅を拡げたくてテキスタイルや留学を考え始めたわけで、広告はもうやりたくないとか、サン・アドにいたくないというわけではなかったので。結果的には、大学院留学の「最低2年」という期間は、「休職」とするのには長いということで…「行かないより行った方がいい」=「会社を辞める」という判断になりました。
留学して、どうでしたか?
周りは若い子ばかりで、自分のように30歳過ぎてから来た人は少なくて。学生に"戻ってしまったんだ"という気持ちが少し湧きました。 今まで平面ばかり見てきたので、見たことのない作品ばかりで刺激的な日々でしたが、「何でこんなところに来ちゃったんだろう」「何とか落とし前つけないと」と必死で、留学当初はネガティブに悩んだりもしました。でも来てしまったからには辞めるわけにいかないので、2年間ひたすら駆け抜けましたね。「Stockholm Furniture Fair」に出展したり、テキスタイルメーカーにプレゼンしたり、オランダのテキスタイルラボで制作したり…本当に色々なことにトライしたんですよ。修了した時には達成感がありました。
2年間必死に駆け抜けて大学院を卒業 使った人の“もの”になるところがテキスタイルならではの面白さ
卒業後は日本に帰国されたんですよね。
そのままスウェーデンに残って仕事をする道もありましたが、達成感もあり、一度帰った方がいいかな、という気持ちになりました。 帰国後はサン・アド時代のつながりでイラストを書く仕事をしたり、テキスタイル作品を発表していく中で声をかけてもらって、去年の秋にラグマットを商品として出すことができました。
商品づくりはいかがでしたか?
質感を出すためにメーカーや工場の方とやり取りをして、「こんなやり方もありますよ」と提案をしてもらったり、とても新鮮な経験でした。 布ならではのプリントの染みていく雰囲気など、テキスタイルならではの面白さがあります。
グラフィック広告で活躍されてきた赤羽さんにとって、テキスタイルデザインならではの魅力とは?
テキスタイルデザインのもつ永続的なストーリー性に惹かれます。テキスタイルは手にした人、使った人の“もの”になっていきますよね。デザイナーが込めた思いやストーリーに、手にした人の思いがさらに加わり…という、「ずっと続いていく感じ」に面白さを感じます。
コンペに通ったホスピタルアートで空間を表現することにやり甲斐 ルールにとらわれることなく、表現を広げていきたい
今後、力を入れていきたい仕事は?
帰国後にスウェーデンのホスピタルアートのコンペに応募して、採用されました。デザインしたパターンを建築空間で表現できる場を与えてもらって、とても刺激的でやり甲斐のある仕事です。 スウェーデンは公共建築物を建てるときは、コストの1%をアートに使うことが法律で決められていて、アーティストが活躍できる場があり、さらに人の役に立つことができます。このような、空間を自分のデザインしたパターン模様で彩る仕事は機会があればもっとやっていきたいです。大きいもの作りたいですね(笑)。
留学されたことで、広告の世界から活躍の場が広がっていますね。
そうですね。留学前からフィールドを拡げたいという一心だったので、グラフィック、テキスタイル、空間の仕事と色々携われるのはうれしいです。仕事で経験を積み重ねるうちに何か見えないルールにとらわれていたのかもしれませんが、留学して色々な刺激を受けることで、そのルールから解き放たれ、1回自分を壊すことができました。長年積み重なった垢でも落としたような(笑)。テキスタイルを選んだことで、いろいろな“もの”になることができます。ルールにとらわれることなく、さらに表現や活動の幅を拡げていきたいです。
取材日:2015年3月2日 ライター:植松
Profile of 赤羽美和
サーフェイスパターン / グラフィックデザイン・イラストレーション
1977年生。武蔵野美大卒。サントリー宣伝制作部を経て、広告制作会社サン・アド。 テキスタイルデザインの持つ永続的なストーリー性に魅せられ、10年余携わった広告制作の現場を一旦離れ、北欧スウェーデンへ渡る。2012年夏、KONSTFACK/スウェーデン国立芸術大学大学院修了を機に帰国。 デザイナー、イラストレーターとして活動をすると共に「パターン模様から始まるスパイラルコミュニケーション」をコンセプトに作品制作を行う。 HP:http://www.miwaakabane.com/