想像できない出来事に ワクワクする、と思える 若い人に志してほしい。
- Vol.83
- 映画監督 長谷川三郎(Saburo Hasegawa)氏
「ニッポンの嘘」を暴きだした写真家はチャーミングで魅力的な人
初の映画監督作品である「ニッポンの嘘」は、「福島菊次郎」という一人の人間を追いかけたドキュメンタリー作品ですね。福島さんのことは以前からご存知だったのですか?
いえ、実は詳しくは知りませんでした。福島さんが報道写真家として最も精力的に活動されていた時期は1960年代ですので、1970年生まれである私は、リアルタイムに福島さんの写真家としてのメッセージを感じたことはありません。ですが、福島さんの原爆被災者を撮影した写真を見て、原爆の後遺症に苦しむ被災者の方が、ここまで自分の“むごさ”を福島さんにさらけ出したということに、衝撃を受けました。同じドキュメンタリーに関わるものとして、どのように取材対象と向き合ったのか。どうやってカメラを向けたのか。カメラに写っていない時、どれほど濃密な時間を過ごしたのか。非常に興味をかき立てられたのです。
取材を始められた当時、福島さんはすでに88歳で、報道写真家としては「伝説の人」だったわけですよね。
ずっと反骨の精神を持ち続けて、「ニッポンの嘘」を写真で暴きだしてきた人ですからね。初めて会うときは、怖い人なのではと思って本当に緊張しました(笑)ですが、福島さんは快く受け入れてくれて・・・ユーモアを交えながらいろいろな話をしてくれて、90歳になっても食べることや愛犬との日々を楽しみながら生きている。福島菊次郎、という人間にすっかり夢中になってしまいました。あまりにチャーミングで魅力的な人柄なので、この映画の女性スタッフはみんな菊次郎ファンになってしまったくらいで(笑)
福島さんと過ごした幸せな時間を映画館で体感してほしい
わかります、私もファンになりました(笑)とてもすてきな人ですよね。
「ニッポンの嘘」を暴く報道写真家としての精神が全くぶれていないんですよね。90歳を過ぎても生活保護や年金を拒否し、子どもの力も借りずに一人で自活していく誇り高い精神。自分が高齢になったとき、果たして福島さんのようなカッコいい暮らしができるのか。福島さんの生き方には、若い世代の人たちにとっても、今後の日本や自分の未来を考えるヒントがあると思います。
福島さんの撮影してきた写真は、日本人が向き合おうとしない現実を突きつけ、心の芯に突き刺さるパワーがありますが、映画全体からは「重さ」よりも「軽快」な印象を受けますね。福島さんのメッセージはしっかり心に残るのですが、見終わってあたたかい気持ちになりました。
そういっていただけるとうれしいです。福島さんの「人」としての魅力ですね。この映画は2年かけて福島さんのもとに通って撮影したのですが、福島さんと過ごした日々は、とても幸せな時間でした。この幸せな時間を、映画を見ている人に感じて欲しい。ドキュメンタリーに関わって15年ほど経ちますが、今の自分が持てるものすべてを注ぎ込んで、この映画を作りました。せっかく2時間という時間を映画館でいただくのですから、豊かな時間を過ごしてほしいと願っています。
子どもの頃から映画好き。特撮からドキュメンタリーの世界へ
長谷川監督は、もともとドキュメンタリーの世界を志していたのですか?
ドキュメンタリーの世界、というよりは、もっと広く「映像」の世界を志していました。小さな頃から映画が好きで、大学時代は映画サークルに所属していました。そこで、先輩や仲間と一緒に映画を作ったり、エキストラのバイトをしたりしているうちに、やはり映画の現場に入りたい、いわゆる「映画の中の人」になりたい…と思っていたところ、縁があって円谷プロに入社したんです。
円谷プロといえば、特撮で有名ですよね。リアルな世界を追うドキュメンタリーとは対極にあるような気がしますが・・・
円谷プロでは特撮映像を制作する部署に配属になり、毎日が本当に面白かったんです。「夢の世界」を作る特撮の現場は、多くのプロフェッショナルが集結して、ワンカットのために1日かける職人の世界でした。円谷プロには1年ちょっとしかいなかったのですが、たくさんのことを学ばせてもらって、所属していたことを誇りに思っています。
そこからなぜドキュメンタリーの世界に?
ドキュメンタリーは「事実」を撮っているわけですが、事実には決められた筋書きがなくて、思いがけないストーリーの連続です。しかも、普通ならばカメラで撮影されたくないような「事実」がドキュメンタリーとして制作されていますよね。建前ではない葛藤だったり、醜いけど本心から来る争いだったり。カメラが回っていない現場では、取材対象者と制作者の間でどんな時間が流れているんだろう。完成イメージに向けて職人が作り上げていくフィクションの世界と違う映像表現をしてみたい。若かったこともあって思いは止められず、ケジメを付けるために、会社を辞めてしまいました。
ドキュメンタリーの醍醐味は、新たな出会いに魂が揺さぶられること
大手プロダクションをスパッと辞めてしまうなんて、すごい決断力ですね。
工事現場でアルバイトしながら、ドキュメンタリージャパンに参加するようになり、リサーチ業務に携わるようになりました。そこでひたすら企画を考えて出していたところ、その企画メモが目に留まって、1年後くらいには制作進行の現場に入ることができました。たまたま、CS放送が始まったばかりで、ドキュメンタリー専門チャンネルができたりして、番組の本数が求められていた幸運もありましたね。そこで最初にディレクターとして作った番組で、いきなりドキュメンタリーの面白さに気づかされてしまったんです。
どんな番組だったんですか?
今まで出会ったことのない人に出会いたいと思って、とある右翼団体の若者を取材しました。これまでまったく接点のない人たちでしたが、彼らの話を聞いているうちに、自分自身も問い直されることが多くあったし、魂が揺さぶられたんです。予定調和ではない出会いがあって、世の中や自分自身を違う視点で見つめることができる。最初に手がけた番組から今回の映画まで、いつもドキドキしていますよ。
常に刺激がある魅力的な現場ですね!
もちろん、大変なこともあります。今回の映画は2年かかりましたし、家族といるよりも福島さんといる時間の方が長かったように、休みはあまりないですね(笑)それでも、カメラマンや音声、ADたちのスタッフと一緒に作り上げていく作業は楽しく、想像できないことが次々と起こります。そんな出会いが楽しい、ワクワクする、と思える若い人にドキュメンタリーを志してほしいですね。ドキュメンタリーの制作には、若い人の感性や視点も重要です。僕も先輩から折に触れて意見を求められ、それを聞いてもらいました。これから僕と一緒に仕事をすることがあれば、どんどん自分の思いを話して欲しい。そこからドキュメンタリー制作の楽しさが広がっていきますし、たくさんの若い人と出会ってこの楽しさを共有したいと思っています。
取材日:2012年7月9日
Profile of 長谷川三郎(はせがわさぶろう)
法政大学卒業後、円谷プロダクション入社。ドラマ、CMなどの特撮スタッフとして制作に関わる。1996年ドキュメンタリージャパン参加。「TIME OF LIFE・青春~右翼青年22歳~」の演出でデビュー。以降、NHKや民放を舞台にディレクターとして活躍。「ザ・スクープ~1999釜ヶ崎、無情~」「真剣10代しゃべり場」「課外授業ようこそ先輩」「ステキな宇宙船地球号」「ガイアの夜明け」「NNNドキュメント'05~ゲームのなかの戦争~」「NONFIX シリーズ憲法~第24条・男女平等『僕達の“男女平等”』」「ザ・ノンフィクション~弁護士たちの街角 シリーズ~」「旅のチカラ~意志ゲバラの夢を追う~」など、ドキュメンタリー番組を多数演出している。- 『ニッポンの嘘』公式サイトより