好きじゃないと続けていけない 作り続けて、ああ、楽しかったって生き切りたい

Vol.129
アートディレクター/グラフィックデザイナー 渡邉良重(Yoshie Watanabe)氏
デザイン会社、ドラフトで、様々な広告やプロダクトブランド「D-BROS」を手掛け、独立後は、KIGI(キギ)として植原亮輔氏とともに、企業のブランディング、プロダクトデザイン、ファションデザインなど、さまざまなクリエイションに携わる渡邉良重さん。クリエイターからも支持される今最も注目のクリエイターの一人です。渡邉良重さんのデザインのルーツはどこにあるのか。デザイナーになるまでの軌跡とDRAFT時代のこと、モノ作りについて、東京・白金にあるKIGIのショップOUR FAVOURITE SHOPで、お話をうかがいました。
 

生徒が絵を描いているのを見ている時に 「この時間がもったいない」と思ってしまったんです

グラフィックデザイナーのお仕事を始められたきっかけは?

もともとは、山口大学の教育学部で中学校の美術の先生を目指していました。山口県から出るつもりがなかったので、自活できる職業を考えたときに、先生か公務員だと思って。絵が描きたかったけれど、別に画家として生きていけるとも思っていなかったので、中学校の美術の先生が一番絵を描く環境があるなと思ったんです。

山口県で先生を目指していらしたのに、東京に出てきたというのは、何かきっかけがあったのですか?

大学3年の秋、付属の中学校に40日間教育実習に行き、教育実習が終わって大学にレポートを提出するときに、まず1行目に「私は、教師になるのを辞めました。」と書きました。 人前でしゃべるのは苦手だし、別に面白いことも言えないし。そして何よりも、生徒が絵を描いているのを見ている時に「この時間がもったいない」と思ってしまったんです。

もったいない?

要するに、自分が描く時間じゃなくて人が描いているのを見てまわるこの時間がもったいないと感じ、自分で描いたほうがいいなと思ってしまったんです。こんな気持ちで中学校の先生になるのは良くないと思ったので、その40日の間に、進路を変更して、私はデザイナーになるんだと決意したんです。 デザイナーは、デザイン事務所に勤めればお給料をもらえるから。子どもの頃から、自分で食べていくために「手に職」って思っていました。現実的で、地道なんですよ。イラストレーターも考えましたが、いきなりイラストレーターで食べていけるとは思えなかったので、とにかく就職できるデザイナーを目指しました。

デザイナーを目指して筑波大学の研究生に

渡邉良重(Yoshie Watanabe)

美術の先生から、デザイナーへと進路を変更されて、大学卒業後は、すぐにデザイン事務所に就職されたのですか?

大学を卒業して、その後、筑波大学の研究生になりました。 研究生は、卒業するわけではないので、試験もありません。それでも院生と同じ部屋で、自分のテーブルをもらえるんです。大きなテーブルで、授業のないときは、他の院生とそこでしゃべったり、作ったり、とても楽しい充実した2年間でした。

そこでの2年間で、どんなことを勉強されたのですか?

授業は、イラストレーション、タイポグラフィ、パッケージなど実習もあれば、講義もありました。 今になって考えてみると、大学で何か身についたのかな?と思いますが、デザイナーを目指す人達に出会えたり、東京が近くなって遊びに行ったり、展覧会を観に行ったり。今思えば、そういう時間も大切でした。

時間も出来たことだし、これは1つ海外にでも行ってみるかと

研究生を終了されて、いよいよ就職された?

最初に就職した会社は、研究室の先生に紹介していただいたデザイン事務所でしたが、4ヶ月くらいでクビになってしまいました。 美術館のカタログを作っていた時に、徹夜して作った版下が初稿の段階でズレていることが発覚して「もう明日から来なくていい」と言われてしまいました。

初稿で?ずいぶん、厳しいですね。そのときは、どうされたのですか?

驚いたというか、呆然として、周りに相談する人もいなくて、そういうものかなと思って、クビになったことだし、これは1つ海外にでも行ってみるかと。 それまで海外に行ってみようという発想はなかったんですけど、就職してしまったら、長く海外に行くこともできなくなるので、せっかくだからと思って、姉にお金を借りて、40日くらいヨーロッパへ行きました。イギリス、ベルギー、フランス、スペイン、スイス、イタリア、ドイツ、オーストリアを巡って、最後にオランダに行って帰国しました。

これはもう、作っているモノを見て 自分がいいと思うところに行くしかないと思ったんです

帰国後は、気持ちを新たに、リスタートできましたか?

ふたつめの会社に就職しましたが、自分が目指していた方向とは少し違うなと感じていました。そんな時、ふと雑誌を見ていて、あるポスターに目が留まりました。それが、宮田識デザイン事務所(現、株式会社ドラフト)のもので、ちょうど『コマフォト(コマーシャル・フォト)』と『イラストレーション』という2冊の雑誌に記事が載っていたんです。その頃は、まだ、社員が5人くらいしかいない小さなデザイン事務所でした。「今まだ人を入れるつもりがなくても一応面接だけしてください。後ほどお電話します」と手紙を書きました。ちょうどその頃、宮田識デザイン事務所では、男の子を採用したいという話が出ていたそうです。私の名前は「よししげ」とも読めるので、「男の子から手紙が来た」と思って会ってみようという話になっていたそうです。それで、私が電話をしたところ、女の子だとわかって、がっかりされたらしいのですが、それでも一応、会ってくださって面接していただき、デザイナーとして勤めることになりました。

雑誌を見て、自分からお手紙を書かれたということですが、すごい熱意ですよね。

それしか方法がないですから。これまで人に紹介してもらっても、環境や作りたいモノが、自分の求めていたモノとは違っていたので、これはもう、作っているモノを見て自分がいいと思うところに行くしかないと思ったんです。

OUR FAVOURITE SHOP

デザイナーになると決めていたので、不安はありませんでした

渡邉さんには、とても慎重なイメージを持っていたのですが、先生からデザイナーへの転身やヨーロッパ旅行など、お話を伺って、トラブルや困難をとても軽快に乗り越えていく姿に、驚きました。

こうと思ったら、あんまり不安はないですね。この先どうやって生きていこうとか。山口県から東京に出て来る時も、私はデザイナーになると決めていたので、不安はありませんでした。別に、自分のデザイン力とかに自信があったわけでは、全然ないですけど。でも、不安もなかったです。

不安になることはないんですか?

あんまり、不安に思わないですね。 KIGI(キギ)では、植原(植原亮輔氏)という人がいて、一緒に会社もやっていて、例えば難しそうな仕事が来ても、一人だったらたぶん緊張するんだけど、2人だから何とかなるだろうと思えるんですよね。それがリラックスになるんです。緊張ばかりしてると体が悪くなりますよね。だけどこの人も何か考えてくれるだろうって思うと不安は半分に減るんです。一人だったら、絶対、お店なんてやらないし。ブランド作りましょうっていうのもまあ、大変すぎて、ちょっとやらないかもしれませんね。もう一人大変な人がいると思えば、高い山も登っていけるという感じですかね。

ドラフトに、D-BROSというものができなかったら、 こんなにプロダクトのお仕事はできなかったと思います

KIGIでは、プロダクトデザインもされていますが、プロダクトデザインをされるようになったきっかけはなんですか?

ドラフト内に、D-BROSというものができたことが大きいですね。 D-BROSがなかったら、こんなにプロダクトのお仕事はできなかったと思います。私がドラフトに入って10年目ぐらいに突然、ドラフトの代表である宮田さんがD-BROSを作りました。D-BROSは、ドラフトが手掛けるプロダクトブランドで、そこでプロダクトデザインに出会いました。プロダクトデザインとグラフィックデザインの違いなど、そこで学んだことが今の私とかKIGIにもつながっているので、宮田さんにとても感謝しています。

そういう環境って、普通はないですよね。

ないですね。すごいことなんです。 最近は、グラフィックデザイナーにもプロダクトを作る人が増えましたけど、その当時は、デザイン事務所がメーカーを経営するなんてありえませんでした。やったとしてもすぐに止めてしまうことが多いのですが、宮田さんがすごいのは、大変ながらも、それをやり続けているというところです。グラフィックデザインのほうがずっと安定した収入になるので、会社を経営する上で、メーカーを作って製品を売っていくというのはとても大変なことなんです。

そうまでしてやるプロダクトデザインのおもしろみややりがいを教えてください。

プロダクトにも、依頼を受けて作るプロダクトと自社で作るプロダクトがあって、依頼を受けて作る場合は、その発注者側が、主導権を持っているので、その人が止めますと言えば終わりになってしまいますが、自ら作るものは、自分たちでがんばってやり続けようと思ったら、自分たち次第で続けていくことができます。 グラフィックデザインというのは、もっとクライアントありきで、相手に左右される度合いが高いので、そこに左右されないモノを作るっていうことに意義があります。

KIGIのプロダクトには、どんなものがありますか?

例えば、KIKOF(キコフ)は、滋賀県の職人達が集まる組織「マザーレイクプロダクツ」と一緒に立ち上げたブランドです。信楽焼きの陶器や家具、麻織物、縮緬(ちりめん)の商品があります。それから、UMEBOSI(ウメボシ)は、伝統工芸をもとに、新しい技法と美意識でデザインした日用品を提案する「WISE・WISE」と日本の伝統工芸の職人さんたちと一緒にものづくりをするプロジェクトです。風呂敷や切子のグラスといった商品があります。 KIKOFもUMEBOSIも、日本のいいものを今のライフスタイルに合わせてモノづくりをしていこうという主旨で、やっています。たまたま縁があって、一緒にブランドを作りましょうと、声をかけていただき実現したプロジェクトです。

商品である陶器や机などを ちゃんと見てもらえる場所が欲しかったんです

このお店、OUR FAVOURITE SHOPを始められた理由は?

もともとの理由は、KIKOFというブランドを立ち上げて、商品である陶器や机などをちゃんと見てもらえる場所が欲しかったんです。商品の見せ方というのは、扱ってくださるお店に左右されるものなので、自分たちが思う見せ方で、ちゃんと見てもらえる場所を作りたかったんです。最初は、ショールームみたいな場所を考えていたのですが、この場所が見つかったので、だったらお店をやろうということになりました。だいぶわかり辛い場所ではあるけれど、1Fで、近くにいい商店街があったり。自分たちが思うように商品をディスプレーして、ギャラリースペースを作って仲間が来て展覧会をやるとか、いろんなことを発信できる場所にしていきたいと思って作ったお店です。

お店の中にキッチンカウンターがあってびっくりしました。

キッチンカウンターは、結構活用していて、これがないとイベントができないんですよ。例えば、沖縄県のセルプセンターを介して県内で暮らす障害のある人たちと一緒に沖縄の食材の商品開発からパッケージまでを作っているのですが、この「琉Q(ルキュー)」の商品を紹介するために、それを使った料理をここで作って、KIKOFの食器で食べてもらうイベントをやりました。 人が集まる場所としても、商品を紹介するためにも、このキッチンカウンターは、必須なんです(笑)。

渡邉さん自身は、こちらには、よくいらっしゃるんですか?

イベントの時や打ち合わせなどで、よく来きています。

OUR FAVOURITE SHOP

モットーは、「好きこそものの上手なれ」と「継続は力なり」

クリエイターに向けて、ご自身が日々思っていることや気をつけていることなど教えてください。

私のモットーは、昔からずっと変わらず「好きこそものの上手なれ」と「継続は力なり」という2つことわざです。そして、2つのことわざをつなげたような「好きじゃないと続けていけない」という言葉も。 私にとって、「好きなこと」と「続けること」は繋がっていて、1つ良いものが出来ることよりも、長く続けることのほうが大事だと思うんです。 それから、後悔するのが一番嫌です。がんばってやりきれば、たとえ出来なかったとしても、もはや後悔はないです。私は、とにかくがんばって駄目だったら、そこであきらめることにしています。 私の人生の目標は、元気で長生きなんです。元気で長生きするためには、好きなことを続けることが大事です。死ぬまで仕事がしたいんです。仕事じゃなくてもいいんですけど、作ることは死ぬまでやりたいです。 元気に作り続けて、最後は、「ああ、楽しかった」って生き切りたいそれが人生最大の目標です。

取材日:2016年6月9日 取材:クリステ編集部

渡邉 良重(わたなべ よしえ) 渡邉良重(Yoshie Watanabe)

山口県生まれ。 植原亮輔と共に2012年にキギを設立。数多くのグラフィックデザインの他、2003年から販売し続けているD-BROSのプロダクト・ビニール製フラワーベースは、毎年新しいデザインを発表し、現在80種類以上のラインナップがある。現在もプロダクトブランドD-BROSのディレクターを勤めながらも、糸井重里氏が主宰する「ほぼ日」と洋服のブランドCACUMA(2013年〜)を、さらに滋賀県の伝統工芸の職人たちと、陶器・家具・布製品などのブランドKIKOF (2014年〜)を、立ち上げた。また、デザインワークの流れの中で作品制作をし展覧会を行っている。東京・白金にキギの生み出すデザイン製品等を販売するショップ&ギャラリー「OUR FAVOURITE SHOP」を昨年の夏、オープンさせた。絵本『BROOCH』(文・内田也哉子)や『JOURNEY』(詩・長田弘、ジュエリー・薗部悦子)、『UN DEUX』(文・高山なおみ)、『ぬりえの赤ずきん、くるみ割り人形、不思議の国のアリス』(文・安藤隆)、及び、作品集『キギ/KIGI』『KIGI_M』をリトルモアより刊行。

KIGI(キギ) http://www.ki-gi.com/

OUR FAVOURITE SHOP(アワ フェイバリット ショップ) 東京都港区白金5-12-21 TEL:03-6677-0575 FAX:03-6310-1927 OPEN:12:00~19:00 CLOSE:月・火(祝日を除く)

 
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