物事を見る視点を大切に 「当たり前」を、違う角度や視点から見てみる
- Vol.132
- インテリアデザイナー 橋本 潤(Jun Hashimoto)氏
工学部工業意匠学科で空間デザインを学び 内田繁さんの事務所に就職。
橋本さんの現在のお仕事について教えてください。
スタジオ「フーニオデザイン」を構え、インテリアデザイナーとして活動しています。住宅や店舗、商業施設、展示会場などの空間設計がメインですが、住宅に関するプロダクトの開発も手がけています。また、多摩美術大学の准教授として週に2~3日ほど大学で学生を指導しています。
多摩美術大学は母校なんですか?
いえ、私は工学部出身なんです。小さい頃から絵を描くことが好きだったので、それを仕事にしたいと考えていたのですが、美大に進学するには高校生活のすべてを絵に捧げなければ合格できないと思い込んでいたんですよね(笑)。それで、大学は学科試験だけでなく、得意な絵の実技試験もある千葉大学の工業意匠学科(当時)に進学しました。
美大に関する誤解はいつ解けたんですか?
大学に入ってすぐに間違いだと気づきました(笑)。ですが、入学した千葉大の工業意匠学科では、人間工学や材料工学なども含めたデザインの様々な側面を広く学ぶことができました。その中でも空間デザインに惹かれ、環境デザイン研究室に所属し大学院まで進みました。 就職を考える時期になり、以前から考え方や作品に感銘を受けていた内田繁さんの事務所で働きたいと思いました。
内田繁さんといえば、高名なインテリアデザイナーですよね。
「インテリアデザイナー」という職能をつくった人です。作品集を提出し面接を受け、最初はアルバイトで働く予定でしたが、ちょうど社員のデザイナーの方が辞めることになり、運良く社員として採用されました。
「お祓いしろ」と言われるほど失敗を重ねたミラノサローネ 10年プレイヤーの兄弟子から仕事のイロハを学ぶ。
社会に出て、これまで学んできたこととのギャップはありましたか?
空間デザインを専門にしていちおう大学院まで出て、自分はそれなりにできるだろうと思っていたのですが、社会に出て、実際に仕事をしてみて叩きのめされました。何がわからないのかもわからないんですよ。とにかく失敗ばかりの毎日でした。忘れられないのが、内田さんがミラノサローネに招待されて展示会をすることになり、その担当になった時のことです。先に現地に入りして準備をしたのですが、のろわれているのかと思うほど次から次へと失敗ばかりで、内田さんから「お祓いに行け」と言われる始末でした。よくクビにならなかったと思うほどです。 落ち込みながら、他の展示を見たところ、世界中の若手デザイナーが参加する「サテリテ」というアワードで素晴らしい作品が発表されているんですよ。ダメな自分と同世代で素晴らしい才能を開花させている人、その両者がミラノサローネの場にいる現実をつきつけられて、落ち込むと同時に世界にはこんなにも様々な人が居るという高揚感を感じ、様々な感情が混ざった何とも言えない気持ちを味わったことを覚えています。
大きな仕事を手がけるデザイン事務所だけに、学ぶことが多かったのではないでしょうか。
アトリエ系のデザイン事務所としてはめずらしいのですが、長い期間働き続けている兄弟子が多く、私のように在籍10年という人も珍しくありませんでした。図面の書き方などのスキルから、プレゼンテーションに臨む際の心構えや仕事に対する姿勢まで内田さんや兄弟子から学んだことは数限りなくあります。そして何よりも「これしかないものを作るためにどれだけ粘れるか」を叩き込まれました。いろいろと教えてもらうことで、デザインに対する姿勢を身につけることが出来たと思います。 海外の展覧会に直接連れて行ってもらったことも良い経験になりました。「見る」だけでなく、内側からスタッフとして「作る」ことは、なかなかできないことですから。 また、クライアントワークだけではなく、デザイナーとして自分の作品を発表する機会にも恵まれていました。事務所のスタッフやOBが発表する展覧会があるので、そこに向けての作品づくりを通して、自分がデザイナーとして何を表現したいのかを常に考えていました。
その頃、主にどんな仕事を手がけていたのですか?
住宅関連の仕事が多かったですね。当時はデザイナーズマンションという言葉が生まれ、いままでの住宅とは違う考え方や視点が求められていたので、とても面白い仕事でしたね。
10年を区切りとして独立。 ミラノサローネのアワード受賞で認知度アップ。
徐々にデザイナーとしてのキャリアを積んできたわけですが、独立しようと考え始めたキッカケは?
入社して7年目にチーフデザイナーとなり、若いデザイナーへ伝える立場になりました。経験も積んでスタッフも育ってきたのでひと区切りつけようかな、と自然に考えました。
独立するときに、「ここが自分の強みとなる」と感じていたポイントはありましたか?
営業トークやプレゼンがうまいわけではないし、自然と人が寄ってくるカリスマ性があるわけでもないし……。そう考えると、やはり自分を知ってもらう必要があると思い、大失敗して落ち込んだミラノサローネで作品を発表しようと考えました。当時、衝撃を受けた「サテリテ」に出品しようと、入社以来貯めてきたお金をつぎ込んで、人生を賭けて作品を作りました。
そのアワードで、見事受賞されましたね。
内田さんは、「デザイナーとして何を考えているのか作品を通して表現し続けなさい」と、常々言っていました。その教えがあり、同じコンセプトで作品を何年も作り続けていたので、自分でも手応えはありました。受賞したおかげでそれなりに名前も認知され、著名なデザイナーである内田さんの事務所で10年以上経験を積んだことによる信頼感もあり、そこから仕事が来るようになりました。人との出会いにも恵まれましたね。
住宅関連のプロダクトデザインも手がけているそうですね。
富山県高岡市の企業と、雨樋(あまどい)の一種の鎖樋(くさりとい)※を開発しました。鎖樋は昔からある寺社などを中心に使われていますが、現代の建築でも使えるデザインを考えました。普段はプロダクトを使って設計する立場なので、「あったらいいな」と思っていたプロダクトを実際に作ってみたところ、他の設計者が選んでくれて採用されていることが多いようです。プロダクト中心で考えるよりも、空間や環境の中でプロダクトはどうあるべきかを考えているので、その視点が評価されているのかもしれません。 ※建物の屋根から地面に向かって、雨水を導く鎖状の樋。雨水が鎖を伝うように排出されるのを目で見て楽しむ、日本で発祥した古くからある建材。
「当たり前」を違う角度から見ることが大切。 言葉や作品で、自分の思いを伝える努力を。
橋本さんは、大学の先生として若手クリエイターを育てる立場でもありますね。
多摩美術大学の環境デザイン学科で教えています。家具、インテリア、住宅、店舗、公園、都市など人間を包括する「空間」を学ぶ学科で、インテリアデザイン論やデザインの演習を受け持っています。演習では、学生にアドバイスしながら一緒に作品作りをしています。
学生に教える際に気をつけていることは?
1年生から院生まで担当していますが、基本は同じですね。図面を描くなどのスキルやプレゼン能力を習得することも大切ですが、アウトプットに至るまでの考え方やモノを見る視点を大切にしています。よく話すのは、「当たり前」だと思っていることを、違う角度や視点から見てみること。物事をどのように見て、どのように組み立てていくか、視点を変えることをアドバイスするようにしています。
仕事や作品づくりに悩んでいるクリエイターにアドバイスをするとしたら?
迷っているなら、やってみろ!ですね。この仕事は感性も必要ですが、それよりもまずは「やってみた」経験が重要です。失敗しても、それを糧にすることができます。また、法規やモノづくりの知識も必要。座学でも学べると思われるかもしれませんが、本当に必要な知識は経験を積み重ねることでを学ぶもの。常識を知らないで、常識を破るのは、ただの世間知らずですから。 また、やりたい仕事に巡り会うためには、やりたいことを他者に伝える努力も必要です。自分はどんなデザイナーなのか、何を考えているのか。言葉だけでなく作品こそ、それを伝えるものであるべきです。私も独立当初はうまくいかないこともありましたが、自分のやりたいことを人に伝えたり、作品を作ったりと、動いたからこそ、今があります。
取材日:2016年10月3日 ライター:植松織江
橋本 潤(はしもと じゅん)
インテリアデザイナー 多摩美術大学准教授
プロダクト・家具から住宅・オフィス・商業施設まで、空間に関わるデザインを中心に活動。 人とその周りを取り巻く環境の関係を見つめ、考察し、可能性を広げるデザインを目指しています。
1971 東京生まれ 1994 千葉大学工学部工業意匠学科卒業 1996 千葉大学大学院工学研究科工業意匠学専攻修士課程修了 株式会社スタジオ80入社 内田繁・西岡徹・三橋いく代に師事 2007 フーニオデザイン設立 2008 ミラノサローネサテリテ デザインレポートアワード受賞 [うすいいす] 2009 ELLE DECO YOUNG JAPANESE DESIGN TALENT 受賞 [iida LIFESTYLE PRODUCTS] 2010 ミラノサローネ UMUL2010に選定 [くものすのいす] 2011 千葉大学大学院工学研究科 非常勤講師(2014年まで) 2012 多摩美術大学 美術学部環境デザイン学科 非常勤講師 2013 多摩美術大学 美術学部環境デザイン学科 准教授