続けるよりも、続いてしまうことに、意味がある。アーティストが「ビル景」を40年描く訳
アーティストの大竹伸朗氏は、絵画、写真、映像、音など、ジャンルにとらわれない多彩な表現活動で、デザインや文字フォントなど多くの分野に影響を与えてきた。その中から約40年描いている大都市の仮想風景「ビル景」を集めた展覧会が、水戸芸術館(茨城県水戸市)で、10月6日まで開かれている。大竹氏は「『ビル景』を続けようと思ったことはない」というが、いったい何が創作の原動力となっているのか。
漫画家を目指して挫折 中学生でレンブラントの絵画に出会い油絵を始める
大竹さんがアーティストを志したきっかけを教えてください。
僕が子供のころは「巨人、大鵬、卵焼き」の時代で、将来の選択肢は野球選手か漫画家という感じだった。絵が好きなので、「漫画家になるしかない」と思ってマンガを描き出したんだよ。
漫画の描き方が分かる本を買ってきて、Gペンがいるとか、起承転結が必要とかを知ってから、小学校3年の時に「がんばれ!三ちゃん」という野球漫画を描いたんだ。物事を端折る能力がないから、三ちゃんが朝起きて、布団を畳んで、歯を磨いて、という場面をちゃんと描いていったわけ。
でも、俺は試合の決勝戦の9回裏2アウトから描きたいわけよ。だけど三ちゃんは新入生だから3年分の朝ごはんの場面を毎日描かなきゃならないのかと思っちゃった。「これじゃ何万ページになるか分からない」って挫折しちゃった。
漫画の次は、何をやろうとしたのですか?
中学1年の時、うちのお袋がレンブラントの絵画展になぜか連れて行ってくれた。親父は素人レベルでものを作るのが好きで、お袋は三味線をやっていたけれど、親戚にも芸術家とかデザイナーはいない。だから、なんでお袋が俺をレンブラント展という高尚なものに連れていってくれたのか、いまだに分からない。
レンブラントを当時は知らなかったけど、魔法を見ているような気分になったんだろうね。油絵というのが「なんでこんなに出っ張って見えるように描けるんだろう」と思ったんだよ。
それを見た後、お袋に「油絵の道具を買ってくれ」って頼んだんだ。そうしたら、一番安い3,000円くらいの油絵の道具セットを買ってくれた。それから見様見真似で油絵を描き始めた。当時は、静物画や画集を見て描いていた。
油絵は誰かに習ったわけではないのですね。
そういうのは嫌なのよ。みんなで絵を描く絵画教室みたいなのは、嫌いなわけ。だったら運動していたほうがいいわけよ。その頃、俺の中は「ロックとサッカー」で、そこに絵が加わって、三本柱になった。
静物画に飽きたころ、ポップアートに遭遇「何を描いてもいい」
それで、リンゴとか風景画とか描いていたんだけど、つまんなくなってくるわけよ。「なんかこう違うな」って。手本にしている画集のピカソとかセザンヌも、その当時だってだいぶ前のものじゃない。そんな中、俺が高校の時に兄貴がテレビ局でバイトしていて、音楽とかアートが好きだったから、洋書とかレコードの洋盤とかを借りてくるわけ。
それで、ポップアートの洋書とか見るようになって、「格好いいじゃん」と思ったわけ。俺が思う静物画の世界と、本の中のポップアートとはまったく別世界だった。その本でアンディ・ウォーホルとか知ったんだ。
ポップアートの第一人者ですね。影響を受けたのでしょうか?
ウォーホルの作品なんか「これでアートなの?」っていう反則技がバリバリ出てきて、日本と全然違う状況が進行形であるというのが分かるわけよ。それで、「別にちゃんと描かなくても、何でもいいんだな」ということを知るわけ。
それも若気の至りなんだけれども、若気の至りで思い込むって誰でも大事なんだよね。そこからポップアートとか色々な美術があるということを知って、色々と見出すわけよ。その当時、見たことないのは、全部影響受けた。だから、特定の誰かに影響を受けて、その人だけを追求して見たということは、あまりないね。
それから「別に自分が面白いと思ったブロマイドを油絵にしたっていいんだ」という開き直りみたいなのが生まれた。だから、「お前は現実を見て描いていない」と大人に言われても、「こいつ遅れているな」としか思わないわけよ。
人の言うことを聞いたら、絵は絶対に面白くなくなる
その後、美大に進まれました。
学校で学んだことは、はっきり言ってないね。断言するけど。俺が学校で学んだ教訓は、先生の言うことを聞いたら、絵は絶対に面白くなくなるってこと。
一度、「絶対に良くなる」と先生に言われて、迷った末にその通りにしたことがあるのよ。やってみたら、台無しになって、「こいつのアドバイスなんて聞かなければよかった」と後悔したわけ。だから、自分がやりたいようにやるのが一番いいわけよ。人の言うことは聞かないほうがいいね。
結局、美大に入っても、絵は独学だったわけですね。
油絵学科に入ったけど、大学に入ってからは、銅版画とか学校の設備でしかできないことをやっていたのよ。油絵の授業なんて出ないわけ。油絵なんて家で描けるじゃん。
例えば、ウォーホルの作品を見ると、技法は「シルクスクリーン」と書いてあるんだよ。で、「シルクスクリーンって何だよ」って興味を持ったら、自分で勉強するんだよね。結局、(自分の中で学びたいという)心の衝動が起きないと、人から教えられてもダメなんだよ。人から中途半端に教えられると、逆に好奇心が失せちゃうんだよね。
美大では刺激を受けるような才能の人に出会わなかった?
出会わなかったよ。そんなのいないって。みんな、やめちゃうもん。本気で一生作っていこうなんて奴は、ほとんどいないんだよ。
何かを続けようと思っても、そう簡単にはいかないじゃない。色んなことがあるし、俺の家も金持ちじゃないからバイトとかしたよ。そんな中で好きなことを続けようと思っても、なかなか続けられないじゃない。だけどやめる奴って結局ダメなんだよ。本当にやりたいと思ったら、続けるしかないじゃない。
「その先に絶対に何かがある」 証明するには40年かかる
今回、音を使った作品がありました。大竹さんは昔からジャンルを越えて活動されていますね。
俺の若いころは、一つのことを極めろという風潮があって、絵だと「平面をやるか立体をやるか決めろ」と言われる時代だった。色んなことに手を出していた俺は、すごく胡散臭い奴に思われていたと思うよ。「物事を極めない」「一貫性のないつまみ食い野郎」なんて実際に言われたりもしたし。
でも俺は、漠然とだけど、「その先に絶対に何かがある」というのは、確信しているわけよ。ただ、進行形の時には、それを証明しようがない。
「その先に絶対に何かがある」。どうやったら証明できるのですか。
状況としてそれを示すしかないじゃない。それを証明するのには、俺みたいに最低40年間ぐらいかかるよ。言葉でごちゃごちゃ言うんじゃなくて、それを証明する状況を作る以外、反論はできないわけよ。
だから、「世の中の理屈と違うんじゃないの」と言われても、「そうだよ、違うよ。違うけれど、ここには何かがあるんだよ」と思って、やるしかない。
今の人は、すぐに結果を求めたり、「どうすればいいか」というマニュアルを聞いたりするけれど、「お前の人生なんて知らねぇ」という話だよ。そんなの自分で決めてやるしかないじゃん。大失敗の人生が待っているかもしれない。でも、好きなことをやり通したら、それに関して、後悔はないと思うんだよね。
だからといって、若い子で「好きなことをやって、有名になる」と話している時点で、終わっている。だいたいさ、「絵で生活できるようになる」と考えること自体が不純なんだよ。食えるか食えないか分からない。もう(好きなことをやることは)究極の博打なんだよ。そこに自分を賭けるのか賭けないのか。たいてい失敗すると思うよ。9割は失敗するよ。
大竹さんは博打に勝ったということでしょうか?
俺もさ、負け覚悟でしかないよ。でも、俺はそれ(アート)しかできないし、俺、絶対に会社員なんてダメだもん。一日でクビだと思うよ。
バイトした時も、「いらっしゃいませ」が言えないから、接客業だったはずなのに、「お前がいると逆効果だから、見えないところにいろ」って言われて、棚卸し担当になった。で、やってみると棚卸しの方が楽しいわけよ。段ボールとかが余るから、段ボールに「絵が描けるな」と思うんだから。
何かを作っていないと退屈 上手くいった瞬間が一番楽しい
大竹さんにとって、何が創作の原動力となっているのでしょう?
俺はアートを極めたいとか考えているわけではない。何かを作っていないと退屈なんだよ。作るのが一番楽しいわけ。だから俺は休暇とか欲しいとか思ったことないのよ。いまだに曜日の感覚が分からないしね。
作っている時の上手くいったという瞬間が、やっぱり一番楽しいわけよ。休暇で温泉に行ったって、面白くもなんともないわけよ。温泉に行ってもスケッチしているほうが楽しいわけ。
ただ、若い子が「楽しんできます」と言うのとは、ちょっと違う。そもそも「楽しむ」って達人にしか言えない言葉だと思うんだよね。「楽しい」という感覚は、言葉にするのはなかなか難しい。
どんなに無意味だと言われても、続いていっちゃうものには、意味がある
最後にこのサイトを見ているクリエイターにメッセージをお願いします。
続けるものじゃなくて、自分の中で続いちゃうものを、やめないことじゃないの。周りからどんなに無意味だと言われようとも。続けるということも大事なんだけど、続けるとか続けないとかいう意志を越えて、本質は“続いていっちゃう”ものなんだと思うのね。
例えば「ビル景」なんかも、続いちゃった結果なのよ。俺は「ビルというコンセプトで作品を作ろう」とか「ビル景を極めよう」と思ったことは一度もないのに、「ビル景」は単純に続いちゃったわけ。続けようとは一回も思わなかったのに。
だけど俺は、そういうのは、信じられるんだよね。だから、どんなに無意味だと言われても、続いていっちゃうものには、そいつなりの意味があるんだと思うのね。
誰にでも「いい出来事」と「悪い出来事」があると思うんだけど、「いい出来事」が「いい結果」に結びつくとは限らないわけじゃない?きょう最悪のことがあったら、30年後に何かに繋がっていくことがあるわけ。
それを見極めるには、続けるしかないわけよ。どんな状況でも続けるしかないわけよ。それで、絶対にやめざるをえない状況ってのが、来るわけよ。それでみんな、やめちゃうんだよ。やめる理由っていうのも、聞けば最もなもので、だけど傍から見れば「そうですか」で終わりなんだよね。
だから俺は、人へ送れるアドバイスはないのよ。人それぞれ色んなことが起きるし、一概には言えないから。「こうすれば続いていっちゃう」なんてアドバイス、ないじゃない。
取材日:2019年7月12日 ライター:すずき くみ スチール:橋本 直貴 ムービー:(撮影)王奔 (編集)遠藤究
「大竹伸朗 ビル景 1978-2019」
会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー
開催日:2019年7月13日(土)~10月6日(日)
開催時間:9:30〜18:00(入場は17:30まで)
休館日:月曜日
※ただし7月15日、8月12日、9月16日、9月23日(月・祝/振)は開館、7月16日、8月13日、9月17日、9月24日(火)は休館
HP:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5048.html
お問合せ: 029-227-8111
「ビル景」とは、現在の風景をそのまま描いたものではなく、大竹氏の中に記憶された、香港、ロンドン、東京といった様々な都市の、湿度や熱、騒音、匂いがランダムにミックスされ、「ビル」という形を伴って描き出される仮想の風景。今回、多数の未発表作品から最新作まで800点以上を調査し、ビルシリーズ全作品集の発行とあわせて、可能な限り展示することで、「ビル景」シリーズの全貌を明らかにする。