グラフィック2011.07.21

デザインやレイアウトに 「気持ち・心を込める」と それはかたちに現れ、伝わる

Vol.75
エディトリアルデザイナー/アートディレクター 矢崎進(Susumu Yazaki)氏
 
矢崎進さんです。『dancyu』や『天然生活』といった人気雑誌のアートディレクターとして知られる人で、デザインスタジオyahhos(ヤッホーズ)の代表取締役であります。読者側は、取材を申し込む側は、勝手に大御所と思っているわけですが、本人にそんな気負いがないだろうことくらいは想像してもいます。ただ、そのギャップは、実際にお会いしてみると想像をはるかに超えていましたね。これほど楽しそうに仕事の話をする人は珍しいし、仕事が大好きでたまらないのが手にとるようにわかる方でした。これだけ経験と実績を重ねても、社会に出たばかりの若者とまったく変わらないすがすがしさで、仕事への情熱を語る。とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。

自己分析するなら、 僕は「誠心誠意」だけは疎かにしませんでした。

『dancyu』は、創刊してもう20年くらいになりますね。矢崎さんは、どのあたりから参加しているんですか?

創刊からですよ。1991年創刊だから、ほんと20年経つんですね。途中3~4年抜けた時期もありましたが、基本ずっと、アートディレクターとしてかかわっています。

なんと言うか、押しも押されもせぬ存在、雑誌の歴史に残るような人気雑誌になりましたね。

でも、最初から順風満帆だったわけじゃないですよ。特にスタート時点では、誰も確信は持てていなかった。回を重ねるごとに落ち着いて行ったのを、よく覚えています。

「男子が厨房に入る」――が、雑誌としてこれほど安定して受け入れられるなんて、想像できなかったんでしょうね。

1990年代初頭ですからね。企画に可能性があれば、とにかく出してみる。少々売れなくても、我慢して出しつづける。そういう手法が雑誌創刊の主流でした。

今となっては古き良き時代の思い出ですかね。

ああいうやり方は、難しくなっていますよね。もちろん僕はそういう心配をする立場にはありませんが、一緒に仕事をさせてもらっている編集者たちがそういう部分でいろんな苦労や試行錯誤を重ねているのはわかっているつもりです。

『dancyu』は、矢崎さんのキャリアにとってどんな意味を持つ雑誌なんでしょう。

26歳で初めて本格的な雑誌のAD(アートディレクター)を任された仕事でした。初めてのことで無我夢中で、周りに助けてもらいながら走っていました。とにかく忘れることはできないし、忘れてはならない記念碑的な仕事と言えるでしょうね。

ここまでつづいた。つづけて来られた要因って、何でしょう。

自己分析するなら、僕は「誠心誠意」だけは疎かにしませんでした。その上で局面局面で、このページをどう構築してどう読者に伝えるかに関する「信じるもの」を曲げずにやってきました。そういうことの継続が、ここまでつづいた要因じゃないかと思います。

反応や評価は読者から直接ではなく、編集者へカメラマン、 スタイリストなどからもらって、体感するもの。

『dancyu』や『天然生活』といった人気雑誌のADは、読者との心の交流みないたものが大切なんでしょうか。

あえて言えば、機会が少なくて、ほぼ無い。そういった交流は編集部や編集者に担ってもらうもので、ADやデザイナーはあくまで編集部や編集者からの発注を受けて仕事をしますから、目と心はそちらに向けています。 反応や評価というものも読者から直接ではなく、編集者やカメラマン、スタイリストなどからもらって、体感することが多いように思います。

「自分を出す」とか「やりたいことをやる」ということに関しては、どうでしょう。

雑誌のデザインに関して言えば、もっとも大事なのは編集方針です。そこをおさえた上で、仕事をするべきでしょうね。なんでもいいから好きにつくってと言われると、むしろ戸惑いますよ(笑)。どういう編集方針で、どんな狙いがあってこの写真なのか、この記事なのか。僕は、理解できるまでちゃんと聞かなければ勝手にはつくれないですね。そして、自分が表現したい型というものは実はあまりなくて、伝わるかたちにするのには何がベストかを考えるようにしています。「やりたいことをやる」のは、あまり人と関わらないとても個人的な時間の中でしか存在せず、仕事とか、社会性から外れた意識の中にあります。

アートディレクター、エディトリアルデザイナーとして矢崎さんが大切にしていることはありますか。

できるだけシンプルに、無駄なく伝えようという気持ちは昔から大切にしています。つくる側から言えば、デザインが目立つことのないように、読者にストレスを感じさせない誌面づくり。また、どんなデザイン、レイアウトでも「気持ち・心を込める」ことです。それはかたちに現れ、伝わるものです。伝えられることは、目に見えるものばかりではないと思います。また、スタッフの共同作業という意味では、みんなで楽しみながらつくることでしょうか。

毒具がすべてデジタルに変わった今も、 アナログ時代に鍛えられた思考パターンは変わらない。

ヤッホーズの設立は、何年?

1998年です。最近、有限会社から株式会社に変更しました。

会社としての規模は?

現在は、僕を含めて社員数10名です。

矢崎さんは、デザインのコンピュータ化、いわゆるDTP化はいつごろから?

会社設立の5年前くらいから、Mac(マッキントッシュ)を使い始めていたと思います。でも使い方は今とはまったく違っていて、アナログな版下工程の中でデザインの指定書をMacでつくるというやり方を長くしていましたね。

いわゆるアナログ、版下を知る世代ですね。

製図板、T定規、デバイダー、ペーパーセメント、トレスコープ・・・。それらの道具で仕事をし、それらの道具と共に過ごす時間には、どこか風情が感じられました(笑)。写真もデジタルに席巻される現在ですが、『dancyu』ではポジフィルムが未だ健在です。何とも深くいい色で、印刷上がりも綺麗。そんな文化が段々と少なくなっていくのは、淋しいことです。

もうすでに、デザインを学び始めた時からすべてパソコンでやってきたという世代が現場に大挙している時代ですよね。そういう方々と、アナログを知っている自分たちの違いみたいなものは感じることがありますか?

ありますね。パソコン世代の人たちは、パソコンのアプリケーションですぐに何でもつくれちゃう環境で育っています。パソコンとアプリケーションの中で考え、つくっているから事前の計算や構想というものをあまり必要としないんですね。やってしまった方が、早いから。 でも、「一見できあがったように見えてしまう」危険もはらんでいて、きっと必要以上に「考えなく」なってしまう気がするというか、止めてしまう(諦める)タイミングが早くやって来てしまうことがあるように思います。 それに比べると我々の世代は事前に文字数を計算し、写真のポジをルーペで覗きながらどれくらいの大きさで使えるかを計算し、仕上がりに確信を持ってから仕事を始める訓練を受けています。道具がすべてデジタルに変わった今も、その思考パターン、スタイルはあまり変わらないです。 できあがった誌面をモニターで眺めながらも、「これでいいのか?」、「もっとなにかできるのでは」と問い直すことも少なくはありません。そんな時は、時間を気にせずついネバってしまいます。

わき目もふらずに取り組んでいると、 必ず気づくことがあるはずですよ。

矢崎さんは、どんなきっかけでこの世界に進んだ人なんですか?

大学でフランス文学を専攻していて、仲間とつくった文芸サークルで同人誌を発行することになったんです。もちろん当初は僕も寄稿する立場だったんですが、次第に発刊チームの印刷工程担当としての役割が大きくなっていきました。 印刷の仕組みもレイアウトのしかたも、何もわからないところからの出発だったので、エディトリアルの専門学校に通うことにした。そこで学んだことを生かして同人誌の運営に参加していました。 そして、大学が4年で卒業できないとわかったところでアルバイトを探したところ、専門学校の講師がデザイン会社を紹介してくれました。それが、結局、独立するまで所属した会社でした。

アルバイトから正社員へというパターンですね。流れに身を任せていっちゃったんですね。デザイン会社に入るにしても、どうせなら他の、有名な会社とかを調べたりはしなかったのですか。

何も知らなかったですからね。エディトリアルデザインを仕事にして生活している人がいることさえ、知らなかった(笑)。初めてアルバイトで出勤して、会社で多くの男の人がデザインをしているのに驚いたくらいですから。

自分がこの業界に向いていたと思う点はありますか。

苦しいことに、負けない性質は向いていたと思います。どんなに苦しいことでも、厳しいことでもどこかで楽しんで乗り越えることができたのも良かった。

読者の皆さんに、エールを贈ってほしいんですが。

目新しくもない金言ですが、「苦労は、買ってでもしろ」。若い人たちには、そう言いたいですね。まずがむしゃらにやってみてください。わき目もふらずに取り組んでいると、必ず気づくことがあるはずですよ。悩むこと、大切です。落ち込んでも、いいんです。這い上がってください。安全な気持ちのいい場所にばかりいないで、自ら進んで苦しいところに向かっていくことをお勧めします。

矢崎さんも、がむしゃらにやってきたんですね。

ずっと、がむしゃら。今もがむしゃらですよ。最近歳のせいか疲れやすくて、お酒に走ったりすることも出てきましたが(笑)、20代の頃は特に、先のことなど考えずに、来る仕事は何でも率先してやっていました。基本的にプラス思考というか・・・やはり、がむしゃらなんです(笑)。

で、トーンは落ちたかもしれないけど、今もがむしゃらはつづいている。

まあ、朝の9時半から10時には出社して、終電くらいまでは確実に働いていますからね。

ずっと、現場にいそうですね。

いますね(笑)、ほぼ確実に。

取材日:2011年7月21日

Profile of 矢崎進

矢崎進氏 1963年、長野県茅野市生まれ。中央大学文学部卒業後、エディトリアルデザイン事務所の集合denに入社。書籍・雑誌のレイアウトデザインの世界へ。25歳の頃、講談社『四季の和菓子』豪華本のAD(アートディレクター)を担当。1991年、プレジデント社『dancyu』創刊よりAD業務に携わる。他媒体のADとして、マガジンハウス『自由時間』、『anan』、ゴルフダイジェスト社『Choice』等を歴任。1998年独立し、yahhosを設立。その後、オレンジページ『インテリア』、地球丸『天然生活』ADとして創刊より5年間担当。他、毎日新聞社、小学館、集英社等。 現在はプレジデント社『dancyu』、『七緒』、エンターブレイン社『花時間』のADを務めている。
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