ソーシャルの海を 自由かつ等身大に泳ぎ回って 社会を少しでもよい方向に変革する
- Vol.72
- シニア・クリエーティブ・ディレクター/ソリューション・ディレクター 佐藤尚之(Naoyuki Sato)氏
この社会を少しでも良い方向に変革することに 自分が持つスキルや意欲を使ってみたい。
佐藤さんはご自身も阪神大震災で被災されていて、こういう災害時にじっとしてはいられなかったようですね。
地震がなければ、退社後まずニューヨークにでも旅行して、心の整理をしてから活動を始めようと考えていたんですけどね。起こってしまったのだから、仕方ない(笑)。いてもたってもいられず、できることを始め、怒濤の流れに飲み込まれてしまいました。 でも、いてもたってもいられなかったのは僕だけじゃありません。本当に多くの方が、瞬時に行動を始められていることは、すぐにわかりました。 僕は僕で、できることをした。職能を生かし、微力ながら貢献できてよかったと思っています。
佐藤さんの毎日は、毎日更新のブログ「さなメモ」でかなり把握できます。かなりお忙しそうですし、「助け合いジャパン」の活動は今もかなり大変そうですね。本業の方には、力を割けていますか。
4月中旬の現時点では、ほとんど(笑)。でも昨日くらいから、やっと実質的な稼働を始めています。
では、そちら方面のお話を聞かせてください。元来、広告会社のクリエイティブ/ディレクターでありながらブロガーであり、ベストセラーの執筆者でもありと、多方面に活躍されていた方ですが、独立後の活動は何がメインになるのでしょう?
ブログに「ソーシャルの海を自由かつ等身大に泳ぎ回って、この社会を少しでもよい方向に変革することに自分が持つスキルや意欲を使ってみたい。」と書いたとおりです。その枠以上に方針を縛るものはありませんし、今後についてはいつも、「何をするか、わからない」状態です。 僕の仕事は、会社在籍時からすでに広告なのか、広告じゃないのかわからない、コミュニケーションなのかコミュニケーションじゃないのかもわからない、「もにゃっ」とした分野、「もにゃっ」としたものになっていて、個人的な相談も含めて、入ってくる仕事に対応しようとすると会社の枠組みを超えてしまうようなことがどんどん増えていました。それが、独立の動機になったのですが、今後はそういう事柄にどんどん手を伸ばしていくことだけは確実です。
マスメディアのネットの二元論なんて、ナンセンスです。
いただいた名刺に、「ツドウ」、「ツナグ」、「ヒビク」とあります。
ツドウは非営利団体に、株式会社ツナグはコミュニケーションを中心にしたさまざまなソリューション活動に、株式会社ヒビクは出版やアプリケーションサービスに、と分け、僕の活動の全体をくくろうと考えています。
活動の中心は、「ツナグ」になりそうですね。
ソーシャルネットワークの大海に、ツナグのニーズはかなりありそうですね。実は、ツナグにはもうひとつ意味と目的があって、それは世代間のつなぎ役になれたらという思いです。 僕(1961年生まれ)の世代を境にその前と後では、コミュニケーションの手法がまったく違ってきます。前の世代はマスメディア全能の時代に育っていますし、後の世代はインターネットのコミュニケーションが前提になっていて、生まれたときからインターネット環境で育った人もどんどん増えている。両方を知っている僕には、間をつなぐ役割が求められていると考えています。
佐藤さんは、1995年というなんとも早い段階で、サイトを始めた方として知られていますし、評価されています。当時のことを思い出していただけますか。
インターネットと出会って、かなり興奮しました。これは、すごいことになると。誰もが情報を発信する立場に立てるんですからね。実際、1996年に立ち上げた「ジバラン」というレストラン評価サイトは口コミで評判になり、朝日新聞の社説で取り上げられたり、単行本になったり、すごく話題になりました。 なんとなく広告クリエイティブの世界で劣等生の自覚があった僕が、この世界で25年以上やってこられたのは、インターネットとの出会いがあったからと言って過言ではありません。1990年代後半には、自分で手をあげて、社内にウェブ制作部門も立ち上げました。
ただ、佐藤さんはマスメディアの完全否定論者ではありませんね。
もちろんです。マスメディアとネットの二元論なんて、ナンセンスです。どちらにも、それぞれに長所がありますし、上手に補完させればいろんなことができます。大切なのは、「伝える」ことで、伝えるために「伝わる」メディアを選んで、組み合わせていけばいいんです。
パソコンひとつ抱えて、打ち合わせに飛び回り、 その合間合間に考え、つくり、情報発信しています。
だったら佐藤さん、独立する必要はなかったような(笑)。所属会社内で、部局を立ち上げるというような選択肢もあったのでは?
僕のやろうとしていることは、ヒエラルキーの中ではもう限界だらけだったんですよ。「個」として生活者とフラットな関係性の中で活動することが絶対的に必要だったのです。もともと会社にはかなり自由な活動を許してもらっていて、周囲から「退職する必要なんて、ないじゃん」と言われました。 もちろん独立にはリスクがつきものですが、このタイミングを逃したら後悔するなと感じたので、思い切って決断しました。
で、その「個」の日常は、楽しいですか?
まだ、「助け合いジャパン」しかやっていない状況なので、何も言えないですね。ただ、24時間を自分の責任で使えるのは、かなり解放感のあるものだとは実感しています。
仕事のスタイルは?
事務所を構えない、ノマド(遊牧民)です。パソコンひとつ抱えて、打ち合わせに飛び回り、その合間合間に考え、つくり、情報発信しています。
どんな方とお仕事をしていくのですか?
それはもう、案件ごとに必要な方と。どんな方に出会って、どんなお仕事ができるのかをとても楽しみにしています。 ただ、コミュニケーション・デザインの分野は、まだまだ層が薄いです。僕が電通とコラボレーションしているプロジェクト「電通モダン・コミュニケーション・ラボ」では、その人材育成も大きなテーマになっています。
読者の広告クリエイターたちに、エールを贈っていただきたいのですが。
今は大丈夫ですが、5年後、10年後を考えると、これまでの職人的な意味でのクリエイティブは通用しづらくなってくると思います。きれいなポスターをつくり、美しいコピーを書けば何かが伝わるという時代ではなくなりつつある。ですから皆さんは、誰に何を伝えるかを考え、そのためにはどんな仕組みを使ってどう伝えるかまでをしっかりと意識できるようになる必要があると思うのです。これまでのマスメディア絶対は、もう通用しません。かといって、ソーシャルメディアを利用すればすべてがクリアされるということでもありません。両方を上手に使い分け、長所を組み合わせる。常にそんな意識を持って、がんばっていっていただきたいと思います。というか、ちょっと上から目線の言葉になってません?
いえ、全然。ちゃんと響くと思いますよ。先達として少々教訓的なこと言っても、佐藤さんなら問題ないですよ。
先達ですか…。僕の中ではもうずい分まえに、そういう上下関係、前後関係はなくなっているので、なんか不安なんですね。ネットで知り合う人とは、年齢差の意識もないので。僕に「タメ口」きいているのが、高校生だと後からわかったり(笑)。ネットに長く関わってきたせいか、それがまったく気にならないんですね。そういう意味でも会社というヒエラルキーと馴染まなくなってきていたのかもしれませんね。
取材日:2011年4月12日
Profile of 佐藤尚之
1961年6月1日東京生まれ。ハンドルネーム・ペンネーム:さとなお 1985年、株式会社電通入社。14年間、関西でCMプランナー&コピーライターを務め、2000年に東京へ転勤。ウェブ・プランナーを経て、コミュニケーション・デザインを主な領域とするシニア・クリエーティブ・ディレクターとなる。2011年3月、同社退社。 在職中は、ACC賞、JIAAグランプリ、カンヌ銅賞、日刊新聞広告賞グランプリなどを受賞。内閣官房「国民と政治を近づけるための民間ワーキンググループ」にも参加した。著書『明日の広告』は、10刷のベストセラーとなっている。