つづくかどうかは、 絵が上手いかどうか以上に大事
- Vol.69
- アニメーター/OZAWA DESIGN WORKS AMUSEMENT代表/バンタン電脳ゲーム学院・バンタン電影アニメマンガ学院講師 尾澤直志(Tadashi Ozawa)氏
アニメーターは厳しい世界ですが がんばれれば夢が叶う世界です。
アニメーターになったきっかけをお聞きしようと思っていたのですが、尾澤さんの表情がちょっとシニカルになるんですね(笑)。
だって、中学生のときに好きだった女の子がアニメファンだったのが唯一の動機だから。その子にいいところを見せようという不純な動機以外、なにもなかったですからね。いや、ある意味一番純粋な動機だったのかもしれません(笑)。
いいじゃないですか、ティーンエイジャーの行動原理としてはむしろ、健全ですよ。
で、東京に出て専門学校に入ったわけですが、まあ、かなりふらふらした若者で、勉強よりも表参道でロックンロール踊ったり、バイクに乗ったりの方が忙しかった。
アニメーター一直線というわけではなかったのですね。
まったく(笑)。アニメーション制作の世界に入ったのも、今度は専門学校で好きになった女の子を後を追って会社に入ったからという具合なんです。なんとも純粋? でいい加減(笑)なんですよ。
で、その会社にはすぐに入れたわけですか。
面接をしたら、「じゃあ尾澤くん、いつから来る?」という感じでしたね。ただ、それは僕が才能ある人材だからということじゃないんですよ。アニメの世界というのは基本、来る者は拒まない。入れてみて、つづく者だけ残すという手法は、当時も今も変りません。つづくかどうかは、絵が上手いかどうか以上に大事な部分なんです。
つづけることができて、描けるようになれば、お金も手にできる?
その側面は、当時も今もまったく変りません。厳しい世界ですが、がんばれれば夢が叶う世界です。僕が業界に入った最初の年は、たしか年収が60万円でしたが、すぐに数倍、十数倍になっていきましたから。
今振り返れば、後に評価を高めた 凄いスタッフが結集した作品ばかりですね。
そんな不純な(笑)成り行きで業界に入ったわけですが、すぐに『風の谷のナウシカ』の動画チェックという記念すべきお仕事と出会っていますね。
当時は宮崎駿さんの名前なんて知る人は少なかったし、関係者でヒットを確信している人は皆無じゃなかったかな(笑)。もちろん僕をはじめとしたスタッフの間では、「あの宮崎さんが、いよいよオリジナル作品をつくる」とかなりわくわくする状況ではありました。 そういう意味では、作品に関われてラッキーだという気持ちはありましたが、後の宮崎さんやジブリ作品の隆盛まで予想できたわけではありません。
尾澤さんのお名前はその後、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や『AKIRA』、『パトレイバー the Movie』など、コアファンに高い評価を得る作品にどんどんクレジットされていきます。
どれも、いい作品ですよね。僕も大好きですし、関われて幸運だったと思うものばかりです。今振り返れば、後に評価を高めた凄いスタッフが結集した作品ばかりですね。
そういう、作品との出会いの幸運というのはどんなところから生まれるのでしょう。
なんとも言えないですね。僕の体験を言えば、結局そういう諸作品はどこかで微妙にスタッフが被っているので、口コミで「こういう仕事があるけど、やる?」といった情報が入ってきていたんです。あの時代にあった、そういう信頼感のつながりで生まれた幸運ということになるのでしょうね。
デジタル技術が普及してもベースになる「つくる」に関して、 何かが変ったということはないと思います。
尾澤さんはアナログ、つまりセルアニメ時代からたった今のデジタル制作主流の時代までずっと一線でやってこられている。その部分でのお話しにとても興味があります。やはり、制作現場は大きく変ってきていますか?
どうなんでしょう、僕にはクリエイティブの本質に何の変わりもないように見えますが。確かに技術が進んで「できること」が増えたし、「色の表現域」が広がったし、3Dだって使いこなせるようになった。でも、ベースになる「つくる」に関して、何かが変ったということはないと思います。
なるほど。
さらに言えば、監督を志向する人と、職人としてのアニメーターでありたいと思う人の役割分担の違いも以前からずっと一緒と思います。 僕の場合は明らかに後者で、そういうタイプは常に「描くべき絵をどう描くか」にこだわっている。極論すれば、作品全体の表現は監督に任せて、ワンカットの仕上がり、ワンカットの動きにこだわりつづけているタイプの職人ですね。そういうアニメーターにとってアナログもデジタルも、あまり違いはありません。伝統工芸の作家に近い感覚ですよ。
最近はアニメのメイキング映像を鑑賞する機会も多いので、おっしゃっていることはわかるような気がします。
たとえば「手を振る」という動きひとつをとっても、同じ秒数、同じ動画枚数であっても振っている先の手首をどうやって、どれくらい動かすかで動きの柔らかさが全然違ってくる。そういうところにこだわっているアニメーターがたくさんいますし、それが日本のアニメの底力になっています。
バンタン電影アニメマンガ学院講師として、そういったことを学生に教えているんですね。
そういうつもりで教壇に立っています。ただ、ちゃんと教え切れているかについてはいつも悩んでいますが。
楽しくなければつづかないし、いい作品もできません。
アニメーター育成については、海外でも活躍されているようですね。
ドイツを中心としたヨーロッパにはもう10年ほど定期的に教えに行っていますし、上海やソウルでも何度も教鞭をとっています。中国、韓国には制作会社であるマッドハウスの協力会社のスタッフ育成の任を負って、足を運んでいました。
海外にも教え子がいるって、責任も大きいけれど、楽しみも大きそうですね。
ヨーロッパには日本ほどのアニメ産業がありませんし、スタジオも多くないのでアニメーターとしての活躍の場は限られています。だから僕の講義を受けた人が後に漫画家としてデビューするなんていうケースも生まれています。
ヨーロッパにもそういう人材がいるという事実は、本当に興味深いですね。
僕はいくつもアニメの技術論を扱った本を執筆していますが、発行部数は日本でより北米、欧州での方が断然多いんですよ。
では最後に、読者であるクリエイターのみなさんにエールをお願いします。
アニメの世界の人たち、世界をめざす人たちに向けてエールを送るなら、「楽しくやってください」その一言に尽きます。楽しくなければつづかないし、いい作品もできません。アニメ作品というものは、携わった人たちの「楽しい」という気持ちの総量が作品の質を決めていくものだというのが僕の持論です。だからみなさん、とにかく「楽しく」作っていってほしいと思うのです。
取材日:2011年1月11日
取材協力:ワークスコーポレーション『CG WORLD』 バンタン電脳ゲーム学院・バンタン電影アニメマンガ学院
Profile of 尾澤直志
北海道標津郡中標津町出身。専門学校東京デザイナー学院に入学し、アニメーションの制作を学ぶ。 宮崎駿が監督を務めた『風の谷のナウシカ』にて、スタッフとして参加し動画チェックを担当した。宮崎らがスタジオジブリを起ち上げると、それ以降はスタジオジブリ作品にも多数携わっていく。スタジオジブリが初めて制作した『天空の城ラピュタ』では、『風の谷のナウシカ』同様に動画チェックとして参加した。その後、マッドハウスに仕事の場を移し、アニメーターとしてだけでなくプロデューサーとしても活動するようになる。また、バンタン電脳情報学院の講師なども兼任するようになる。 のちに、オザワデザインワークスを設立し、ブロッコリーの『ちょびっツ ~ちぃだけのヒト~』などゲームの制作なども手がけるようになる。近年では、『CGWORLD』に記事を連載したり、アニメーションの入門書を上梓したりと、執筆活動を精力的にこなしている。特にキャラクターデザインに関する書籍を多く著している。