「BodySharing」で感覚を共有すれば、誰かの体験はみんなの体験になる
テクノロジーの進歩が加速し、かつてSFの物語で描かれた世界は現実のものになりつつあります。そんな中、AR(拡張現実)とVR(仮想現実)の技術により、人とコンピュータ、人と人とが相互作用する「BodySharing(ボディーシェアリング・身体共有)」という新しい体験を実現しようとしているのがH2L株式会社の玉城絵美(たまきえみ)さんです。研究者、エンジニア、経営者として技術開発や製品作りに取り組む玉城さんの頭の中には、思い描く未来像がくっきりと見えているよう。その未来の景色を、少しだけ私たちもシェアさせてもらいます!
ずっと部屋の中にいたいから、部屋の中から体験できる装置を作りたかった
玉城さんが世界で知られるきっかけになったのが、米国Time(タイム)誌が選ぶ50の発明に選ばれた「PossessedHand(ポゼストハンド)」です。「PossessedHand」とはどのようなものでしょうか。
2011年に発表した「PossessedHand」は、筋肉を動かす信号と類似した電気刺激を腕の筋肉に与えて、手指の動きを制御する装置です。14チャンネルの電気刺激により筋肉が収縮すると腱が引っ張られ、指が動く仕組みになっています。手首から先の関節を制御することで、複雑な多くの動きを生み出すことができることに加えて、指がどの位置にあって、どれくらいの強さでものを押しているかという「位置覚」を擬似的に与えることを目的としています。
「操られる手」という意味を持つ「PossessedHand」を開発しようと思ったのはなぜですか。
私は昔から外に出ることが嫌いで、ずっと部屋にいたいタイプでした。高校生のときに長期入院をしていたときですら快適だったほどなのですが、隣のベッドの方が家族との思い出が作れなくて悲しそうにしていたのを見て、部屋にいながら外の世界でさまざまな経験をすることができないかと考えたのがきっかけです。真っ先に思いついたのが自分の代わりになるロボットでしたが、当時ロボットとコミュニケーションする方法といえば画像や音声だけでした。それでは体験にならず、むしろ羨ましいだけです。体験と呼べるものにするためには、自分の体を使ってインタラクションして外界に影響を与える必要がある。しかし、当時そのような製品はなく研究も進んでいないようでしたので、自ら研究者になるしかないと工学系に進みました。そこで、人間の「固有感覚」について研究する中で「PossessedHand」を開発しました。
「固有感覚」というのはあまりなじみのない言葉ですが。
聴覚や視覚と同じような、人間の感覚のひとつです。手を挙げている、指を閉じている、足を曲げているといった、体の位置に関する位置覚、重さや抵抗を感じる感覚などをまとめて固有感覚と呼んでいます。ロボット制御でも視覚や聴覚については多くの方が研究しているので、私は外界と相互作用するための固有感覚をコンピュータに入力したり、コンピュータから出力することを研究テーマとしました。また、研究成果を社会に普及させるためには製品化する仕組みが必要だと気づき、自ら起業してH2Lを設立しました。そして、筋肉の動きを検出してコンピュータにインプットしつつ、コンピュータから手指を操作して触覚を再現する「UnlimitedHand(アンリミテッドハンド)」や、スマートフォンと組み合わせてVRやARアプリケーションを腕で操作する「FirstVR(ファーストVR)」を作りました。
一緒に歩んでくれる仲間が見つかったことが、一番のブレイクスルー
工学系への進学が、「PossessedHand」開発につながるわけですが、もともと理系志望だったのですか?
英語が苦手で数学が少し好きだったので理系がいいかなとは思っていましたが、進路を決めたのは高校3年生くらいでした。機械やコンピュータに詳しかったわけでもなく、できるだけ部屋の中で生活したい一方で、いろいろな経験を取得したくて、そのための装置を自分で作ろうと思ったことが工学系に進んだ理由です。
大学時代はどのような研究をされていたのでしょうか。
学部時代に最初に入った研究室は複雑系工学でした。今でいうAIのようなソフト寄りの研究ですが、専攻自体はソフトもハードもやりますし、デジタル・アナログ回路設計、サーバまで何でも勉強しました。その後修士課程のときにロボット制御とコンピュータビジョンを、博士課程になってからは今と同じヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)という分野を研究しています。
これまで取り組んできたのは世界でも類を見ない「固有感覚のデジタル化」という研究ですが、ブレイクスルーになったものはなんですか?
一緒に仕事をしてくれる人が見つかったということですね。それが弊社代表の岩崎健一郎です。岩崎は博士課程のときに同じ研究室にいた後輩で、ノンバーバルコミュニケーション(非言語情報の伝達)の研究を通じて世の中に貢献したいという夢を持っていました。また、研究成果を世の中に出すために起業しようと考えていたので、同じように起業を目指していた私と一緒に始めることになりました。私にとっては岩崎との出会いは本当にラッキーでしたし、ありがたいことに彼も私との出会いをラッキーだったと言ってくれています。
玉城さんも岩崎さんも、自分で作りたいものは自分で作ってしまおうというタイプのようですね。
少なくとも私と岩崎はそうですね。しかし、一人でできることなど限られていて、その後集まった会社のメンバーたち、投資家、ユーザーさん、大学で研究している学生さん、共同研究者の方々が「やはり固有感覚は必要」「ノンバーバルコミュニケーションはすごく重要」ということで賛同してくれました。自分たちが作りたいと思っているものに社会的に需要があるのかどうかを知るために、プロジェクトの支援を募る「Kichstarter(キックスターター)」というコミュニティーサイトでクラウドファンディングを募ったときには、約22時間で目標を達成することができました。それだけ多くの支援者や仲間がいることが分かったのが何よりもうれしかったのです。
5G通信がスタートすることで、研究も一歩先へ進む
誰も作らないから自分が作るという状態からスタートして、仲間が集まり、どんどん成長しているとは、とても理想的な環境に思えます。
本当にありがたいことです。2020年1月にH2LとNTTドコモとの共同研究により開発した「Face Sharing(フェースシェアリング)」は、顔の中でも口の動きをシェアしてノンバーバルコミュニケーションを作っていこうという研究成果です。これもいろいろな方が、私たちが取り組む「BodySharing」という概念に賛同してくれて、できたものです。
現在、言語翻訳というと言葉の翻訳でしかありませんが、日本語では控えめな表現で通じても他の言語ではもう少し強い表現が必要になる場合など、“表情の翻訳”まで実現できればと考えました。
「Face Sharing」では、頬に装着したデバイスが口の周りの筋肉に電気刺激を与えて、他者の口の動きを再現しつつ、その口の動きの3D映像を自分の顔に投影します。この技術を使って、難しい外国語でのコミュニケーションが可能になるほか、口の動かし方を学ぶことができます。
玉城さんが製品を実現しようとするうえで、テクノロジー面での課題などはありますか?
かつては通信技術の問題がありましたが、次世代通信ネットワークの5Gの登場によりかなり解消されます。これまで特に問題となっていたのが、データの入出力のときに生じるタイムラグでした。数秒というわずかなズレでも、これが自分の体であると感じる“身体所有感”や、自分自身が動かしていると感じる“身体主体感”と呼ばれる感覚は失われてしまいますから、通信プロトコルはとても重要です。その点、5Gならば遅延が少なく大容量の情報通信が可能なので、従来は難しかった遠隔地でのリモートワークやリモート観光も実現できるのではないかということで研究を進めています。
リモートワークは一般的になりつつありますが、リモート観光も実現すると楽しそうです。
今実験しているのは5Gによる通信環境を想定した「カヤックロボット」で、これもNTTドコモとの共同開発となります。遠隔地にいるユーザーさんがパドルをこぐ動きを検出して、ロボットが実際のカヤックを動かして水上を進むというロボットです。ユーザーさんはパドルが水をかくときの重さやカヤックの揺れを感じることができますし、VRゴーグルを通じて視界を共有することもできます。
たとえリアルタイムだとしても、ロボットが観光地に行った映像を見るだけでは観光とは言えません。自分が動かして外の世界に影響を与えて、そのときの水の重さを感じるというインタラクションが起きることで「体験」と呼べるものになるのです。
これまでに開発された技術は、どれも「BodySharing」がコアになっているようです。玉城さんが「BodySharing」を重要だと考えるのはなぜでしょうか。
「BodySharing」というのは、視覚や聴覚、固有感覚も含むさまざまな感覚を保有した状態で、自分とロボット、バーチャルなキャラクター、他者などと体の動きの情報をシェアし、結果として体験をシェアするものです。すでに世の中では、FacebookやInstagramなどのSNSでたくさんの体験がシェアされていますよね。誰かが体験したことをSNSにアップすると、たくさんの「いいね」がついてその体験の価値が高まっています。ただし、それは映像のシェアでしかないので、体の動きなどもシェアすることでもっと人生を豊かにできないかと思っているのです。誰かがビーチで楽しんでいたら、それを見ている数十人、数百人も体験できるようにする。それが「BodySharing」です。
誰かの体験を共有するという発想はユニークですね。
今でも、面白いことをしているYouTuberの動画を見て楽しんでいる人がたくさんいますよね。発想自体は、それと変わらないと思います。世の中には私と同じように外には出たくはない、または出ることはできないけれど、楽しい体験をしたいという人がたくさんいるはずです。そういう人たちもさまざまな体験を共有して、外に出ている人たちを応援できるような世の中を作っていければと思っています。
自分と仲間、社会の思いが重なる部分を探していく
玉城さんは研究者や経営者という肩書きをお持ちですが、新しいプロダクトや新しい価値を作ろうとするときにはクリエイターとしての側面もあります。もの作りにおいては、何をポイントに進めていますか。
何かを作るときには、自分が作りたいものとマーケットが求めるものがちょうど合致するものを、という点はすごく意識しています。マーケット動向はどんどん変わってしまうので、いいタイミングで出せるよう出すタイミングも調整します。ありがたいことに、「BodySharing」を研究し始めた16年くらい前に比べると、今はかなりやりやすい環境になってきたと思います。当時は引きこもりは悪、会社には絶対に行かなければいけないという風潮でしたが、今は生産性が高まればどんな働き方でも認められるようになってきたので、製品を出しやすくなりました。
今、玉城さんが個人的に興味を持っているのはどのようなことですか。
技術面ではかなり成熟してきたと感じているので、この技術が普及したときにユーザーさんに与える影響や、必要な規制について考えています。例えば、ゲームは1日に何時間までしていいのかという議論にもつながります。世界中の人が「BodySharing」をすると、リアルな世界に人間は存在しているものの、デジタルを通じて別の世界に行ってしまって意識の過疎化が起こると思うのです。そのような状況をシミュレーションして、過疎化が起きずにみんなで繁栄していける予算配分や必要な規制のあり方を考えたりしています。
最後に、何かを作り出して社会実装するときに大切なことなど、クリエイターを目指す人へのアドバイスをお願いします。
自分でやりたいと思うこと、一緒に仕事をしている人がやりたいこと、社会が求めるものは同じではないので、それぞれに違うものであることを前提に、ディスカッションを深めながら、現時点の世界で必要なことを見つけていくことがとても大切だと感じています。クリエイターの皆さんにも作りたいものがあると思いますが、ユーザーさんが欲しいものや世の中が求めているものをうまく捉えられると良いのではないでしょうか。
取材日:2020年1月17日 ライター:牛島美笛、スチール:橋本直貴、ムービー:村上光廣(撮影)、遠藤究(編集)