美術というのは 特殊なファンだけのものでは いけないだろうという危機感と反省
- Vol.63
- ミュージアムエデュケーションプランナー/有限会社イデア代表取締役 大月ヒロ子(Otsuki Hiroko)氏
博物館の変化の兆しを見て、 それまでまったく興味を持てなかった学芸員の世界に、 「面白そうだ」という気持ちが湧いてきました。
こういうお仕事、美術館や役所から離れたところでやっていらっしゃる方がいるとは思いませんでした(笑)
それはそうでしょうね。多くはないですよ。
大月さんは、ずっとフリーですか? どこかの美術館に所属されていた?
1979年に東京都の板橋区立美術館に、新卒で学芸員として採用されました。そこで教育普及の仕事を手がけ、7年後に独立して現在に至ります。
現在、学芸員のお仕事は大学を出てもなかなか就職できない狭き門と聞いています。
希望者が増えて、競争率が飛躍的に上がっていますね。私の時代もそもそもポストそのものが少なかったので、そんなに簡単に採用されるものではありませんでした。私の場合はいくつかの出会いがあって、たまたまこの道に進むことになりました。
たまたま、ですか。
卒業した美大で単位を履修していたので、自動的に学芸員の資格を得ましたが、自分の進む道とは思っていませんでした。事実、私は油絵を勉強していた学生で、当時は実技系から学芸員に進むケースなかったのです。この世界は、初めからそっちをめざした美学や史学を勉強した研究畑の人々のものと思われていました。
そんな大月さんが、学芸員の世界に興味を持ったきっかけは?
当時、上野の科学博物館が変わり始めていたんです。かび臭い展示から、やわらかでオープンなものになってきていて。つまり、敷居を低くという意識が出てきていたって事だと思います。それまでまったく興味を持てなかった学芸員の世界に、「面白そうだ」という気持ちが湧いてきました。そんな時、板橋区立美術館が教育普及担当の学芸員を設けるというお話があり、幸いにして採用されるに至りました。
教育普及が注目されるというのは、どんな背景があってのことですか?
特に公立美術館の場合、税金で運営されている施設の割には広く市民に開かれていないだろうということですね。当たり前ですが、図書館などは、誰でも、サンダル履きで気軽に利用できます。ですが、美術というのは、特に当時、とても敷居が高く感じられていて、誰もが気軽に楽しむものになっていなかった。専門家だけ、特殊なファンだけのものではいけないだろうという危機感と反省に立っての教育普及への注力ですね。
当時としては斬新な企画を進め、 区役所から「それはちょっと」とクレームがついて、 ポスターが発禁処分になったこともありました(笑)。
板橋区立美術館は1979年に23 区初の区立美術館として誕生し、教育普及にも力を入れる美術館として知られていますね。
そんな美術館に、当時はまだ珍しかった教育普及担当を設けたわけです。担当者は私だけで、周りには教育普及の経験者はいませんでした。私も、美術館も、まったくはじめての取り組みに、手探りで出発したわけです。
苦労も多かったのでしょうね。
楽しかったですよ。私はとにかく、一般的な学芸員の仕事にはまったく興味がなかったので、約束されていた教育普及の仕事にゼロから取り組むことを苦労と感じた記憶はありません。
具体的には、どんなことをやっていたのですか?
幅広いです。さまざまな学齢の子どもを集めたワークショップをしたり、大人向けの教育普及目的イベントも多く企画しました。当時としては斬新な企画を進め、区役所から「それはちょっと」とクレームがついて、ポスターが発禁処分になったこともありました(笑)。
そんな学芸員生活に区切りをつけたきっかけは?
ひとつは、美術館の枠組みからもっと自由になりたいという思いがあったこと。もうひとつは、区の美術館に勤めていると、休日の月曜日は他の美術館も全部休館日で(笑)、在職中の7年間は、他の美術館がどんな企画や展示を行っているか、まったく見ることもできなかった(笑)。
現在、大月さんが有限会社イデアとして展開しているお仕事は、いわゆるコンサルタントと言えると思います。当時、独立すればそういう仕事があるとわかっていた?
いえいえ、まったく。とにかく、美術館を辞めたくなって辞めただけでした。ちょっとした、燃え尽きでした。コンサルタントとしてやっていこうなどという思いなど、なかったですね。
でも、すぐに仕事の依頼が来た。
藤沢の湘南台文化センターにこども館をつくる計画があり、建築家を通してプランニングに参加する要請をいただきました。
それは、かなり幸運な展開ですね。
結局のところ私の人生は、興味のあることにこだわっていると次々に展開があって、今に至っています。美術館や博物館が開かれていくといいなと思っていると板橋区立美術館に採用され、チルドレンズミュージアムは美術と一般社会の接点として重要だなと興味を持って調べていると、その分野のお仕事をさせていただく機会がある。「面白いな」と感じることが、次々につながっていった日々でした。
一番怖いのは、仕事がルーティーンになることですかね。 そうなると、明らかに私は、興味を失うはずです(笑)。
美術館や博物館のコンサルタントというのは、確立された仕事なのでしょうか。
そうは言い切れないでしょうね。ですから、いただくお仕事の報酬は、文字通りピンからキリまでです。
ギャランティの過多で、仕事を選んだりはしないのですか?
しません。面白そうだと思えるお仕事は、基本お断りしません。報酬は、二の次です。結局のところ、仕事を断ったことは、ほとんどないですね。
仕事を選ばないと、忙しい時にはかなり忙しくなるのでは?
はい、その通りです。「死ぬかもしれない」と覚悟したこと、何度もあります(笑)。 私はやり始めたら、とことんやるので、必要と感じたらどんな些末な仕事でも自分でやってしまいます。ワークショップの材料集めなども誰かに頼んでおいても、結局は自分でもやる。丁寧に神経を行き渡らせたいんです。自分で、絵を描くこともあります。とても手間と時間のかかる子ども向けの美術の絵本をつくったこともあります。
そういう生活、面白い?
性に合っていると思います。「死にそう」(笑)になりながらがんばっていると、ワクワクするような貴重な体験もできます。 大手企業が教育普及やチルドレンズミュージアムの手法に注目してプロジェクトを任せてくれる案件などでは、かなり意欲的な取り組みもできていますから。
ちょっと大げさですが、そういう仕事における半生、振り返ってどう感じますか。
日常がスリルとサスペンスに満ちていて面白かった。これからも、そうだといいなと思っています。一番怖いのは、仕事がルーティンになることですかね。そうなると、明らかに私は、興味を失うはずです(笑)。
現在、もっとも興味のあることは?
ライフワークに近いものですが、ワークショップ知財研究会の座長を務めています。ワークショップや関連のプロジェクトでは、結果的にいろいろな知的財産が生まれるのですが、それに関する意識やルールがまだまだ成熟していないことに危機感を持った人たちと、ゆるやかなコミュニティの創出を考えています。
では最後に、読者の皆さんにエールを送ってください。
自分のセンサーにひっかかったものを大切にしてほしいですね。そして、それを追求し、徹底的にこだわる。そうするとひっかかった3つ、4つがつながって何か新しい分野や、新たな仕事として立ち現われてくる時が来ます。自分の感覚を信じて、情報に惑わされずに活動していけば、いつかきっと大きな成果が得られるのではないでしょうか。
取材日:2010年7月28日
Profile of 大月ヒロ子
岡山県倉敷市生まれ。板橋区立美術館学芸員として、数多くのワークショップや、「二十世紀末美術展」、「都市に棲む-ネコのひたいに建った家」などを企画。独立後、有限会社イデア設立。大阪府立大型児童館ビッグバン総合プロデューサーを経て、現在はミュージアムのコンサル、コミュニケーションデザイン、デザインマネージメント、コミュニケーションを誘発する新しい学びの場のデザインにも取り組んでいる。企業の新規開発プロジェクトでは、キッズワークショップを効果的に取り入れた新手法を構築。 主な仕事に:絵本「まるをさがして」福音館書店iBby-Outstanding Books for Young People with Disabilities賞、ワークショップ及びツールデザイン「Fastening Experience 」YKKインドネシア グッドデザイン賞、研究「こどものためのワークショップ その知財はだれのもの?」ワークショップ知財研究会 キッズデザイン賞、空間監修「東京大学情報学環コモンズ」グッドデザイン賞 など
有限会社イデア代表取締役・ミュージアムエデュケーションプランナー JDCA(日本デザインコンサルタント協会)会員・キッズデザイン賞審査委員
有限会社イデア公式サイト http://www.idea-inc.jp/