大切なのは、継続していくこと。 複合文化施設「スパイラル」の館長が描く、これからのクリエイターとの関わり方

Vol.174
スパイラル館長・シニアプロデューサー
Hiroyuki Kobayashi
小林 裕幸

今年35周年を迎える東京・南青山の「スパイラル」。1985年の創立当初から「生活とアートの融合」をテーマに、現代美術やデザインの展覧会をはじめ、コンテンポラリーダンスの公演やアートフェア、若手クリエイターの発掘・支援・育成を目的としたアートフェスティバルなど、多岐にわたり活動してきました。建物内には、ギャラリーやカフェ、多目的ホール、レストランバー、生活雑貨のショップ、ビューティーサロンがあり、「スパイラル」だからこその提案をし続けています。そうしたスパイラルの企画はもちろん、外部施設のコンサルティングやアートプロジェクトを約30年手掛けてきた館長の小林裕幸さんに、プロデューサーの仕事について、そしてこれからのアーティストやクリエイターとの関わり方についてお聞きしました。

アーティスト支援の新たな形を求めて

SICF
撮影 TADA(YUKAI) 写真提供 スパイラル/株式会社ワコールアートセンター

「スパイラル」のプロデューサーになった経緯をおしえてください。

「スパイラル」ができて3年目の1988年、それまでのノウハウやネットワークを生かしたプロデュース事業が立ち上がりました。プロデューサーの募集に応募して1989年に「スパイラル」を運営・管理している株式会社ワコールアートセンターに入社しました。それ以前は西武流通グループ(後のセゾングループ)の外食事業の会社に6年ほどいましたが、ずっと文化的なことに携わりたいと思っていたんです。

プロデューサーとして、どんな仕事をされましたか。

僕に求められたのは、「スパイラル」が培ってきたノウハウやネットワークを使って新しいビジネスを作っていくことでした。当初は「スパイラル」内部の企画を作るというよりも、外部の仕事をプロデュースすることが多かったですね。例えば二子玉川の玉川高島屋ショッピングセンターが1989年に20周年を迎えたときに、ホールとシアターレストランをつくるプランがあって、展覧会イベントのコーディネイトとプロデュースを依頼されたり。横浜市からもいろいろとお仕事をいただいて、アートスペースを備えたレストハウス「象の鼻テラス」(横浜市中区)を運営しています。

「スパイラル」というブランドをどのように確立されたのでしょう?

オープン当初はバブルになっていく段階で予算もあって、イベントや展覧会、お芝居なども大々的にやっていたのでインパクトがありました。問題は、そこからどう継続していくか。1994年以降は徐々に経済的に厳しい時代になっていったので、内部を整えようということになりました。そして2000年を境に、リ・ブランディングというか、これからどのようにスパイラルを運営していくといいのかを、外部の意見もいただいて、企画を整え直したのです。

具体的に、どう変えられたのでしょうか。

例えばファインアートの世界では、パトロンがいたり、企業がアート作品を購入したり、メセナ(文化支援)になったり、アーティストを支援する形は昔からずっとありました。では、これからの時代はどのような形で関わったらいいのか。キュレーターやプランナーと議論するうちに、その関わり方は一方向ではないだろうということが見えてきました。単に企業が支えるのではなく、アーティストたちと企業、そしてお客さまが三位一体になるという考え方です。

ちょうど2000年に立ち上げた若手クリエイターの発掘支援のアートフェスティバル「SICF(SPIRAL INDEPENDENT CREATORS FESTIVAL)」は、そうした関係性を象徴していると思います。ホールを50ブースに分けて、アーティストやクリエイターには出展料をいただく。主催する僕たちもお金を出しPRし、グランプリをとったアーティストの個展を開催して支援します。鑑賞者にも入場料でアーティストやアートフェスティバル自体を支えていただく。三者がお互いに対等な立場でクリエイションに関わることが、これからの支援のあり方じゃないかと考えました。

分野を横断した多様な仕事

プロデューサーである小林さんのお仕事の内容を具体的に伺えますか。

音楽やコマーシャルのようなビジネスとして成立している世界では、プロデューサーの仕事の内容はある程度決まっていると思いますが、我々がいる業界は、仕組みそのものができあがっていない世界です。特に僕の仕事は、分野を横断してコーディネートやディレクションを行いますし、プロデューサーとして最終的な予算の責任も負うので、多様な側面がありますね。そのせいか、僕のようなプロデューサーはほとんどいないのが現状です。

アートの世界ではキュレーターがそうした役割だと思いますが、求められる内容も時代とともに変化しています。例えば行政がやっている美術館のような場所も、今は入場者数にシビアですし、空いているスペースでプロモーションを行うなど、これまでとは違う役割も求められるようになってきました。それは、まさに我々がずっとやってきた“文化の事業化”ですね。

ジャンルをまたぐような発信は、今の時代こそ増えましたがスパイラルは先駆けですね。

クリエイションをしている人たちの方が、進んでいるところがありますよね。アートなのか、エンターテインメントなのか、プロダクトなのか、音楽なのかといった具合にジャンルを意識せずに創作するカテゴライズされない人たちが増えています。我々は、それに応えなくてはいけないと思ってやってきました。ただ、応える側が追いついていない部分もあると感じますね。

どんなときも、ホスピタリティを大切に

この35年で、特に記憶に残ったできごとはありますか。

やはり2001年の同時多発テロと2011年の震災は、意識することがすごく変わるインパクトのあるできごとでした。われわれがずっとやってきたことは無駄だったのではないか、社会にとって必要だったのかと自問して。今もコロナのことがあって、これから展覧会やイベントをどうやってつくっていくのか、社会に対してどんなメッセージを発するのか、何を残していくことになるのかは、すごく考えますね。

これまでで、とくに印象深いと思われるお仕事をあげていただけますか。

まず、思い浮かぶのは米国『VISIONAIRE(ヴィジョネア)』というファッション、アート誌の仕事です。毎号テーマがあり、コラボレーションブランドがあって、いろんなアーティストがクリエイションに携わっているアート本です。その『VISIONAIRE』の39号で、ソニー・コンピュータエンターテインメント(現、株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント)がプレイステーションの本を作るのをプロデュースすることになり、2泊4日で編集部のあるニューヨークに滞在しました。2001年のテロからちょうど1年後の「9月11日」で、まだグラウンド・ゼロの場所も全然片付いていませでした。

そんななか、『VISIONAIRE』の事務所に打ち合わせに行くと、私の席に名前入りのプレートが置いてあったり、ホテルの部屋にシャンパンとメッセージカードつきの花束が用意してあったり、朝はあたたかいクロワッサンとおいしいコーヒーで出迎えてくれたりする。すごく忙しかったのですが、とても気持ちよく仕事をさせてもらいました。まだテロの傷が色濃く残っているのに、こうしたホスピタリティを忘れない人たちなんだ、だからこそすばらしい本がつくれるのだと思いました。プロデューサーにとって、アーティストやクライアントに対して、細かいところに気付くことやホスピタリティの部分はすごく大事です。だからとても勉強になりましたね。

コンテンポラリーなものが、やがて普遍性のあるものに変わる

粒子 撮影 菊地敦己 

特に印象に残っているクリエイターとの出会いはありますか。

僕はアーティストやクリエイターと関わるときに、今の時代に合っているからということよりも、その人の持っているものがずっと残っていくのかを大切にしています。生活雑貨を扱っているスパイラルマーケットのコンセプトは、“エターナルデザイン”ですが、それは普遍的なものを提案していくということ。今の時点ではコンテンポラリーだけれど、それを我々が世の中に提案し、発信していくことで普遍的なものになっていけばいいという思いがあります。そうしたクリエイションをする方を探していますし、一緒に仕事がしたいという思いが強くあります。

2002年に、皆川明さんのファションブランド「ミナ ペルホネン」の展覧会「粒子」を開催したことも印象に残っています。まだ、設立から7年目くらいの頃で、ブランド名も「ミナ」、社員も10人にならないくらいの規模でした。皆川さんはそれ以前から存じ上げていましたが、展覧会をやりたいと相談を受けたのです。当時から皆川さんはミナを「100年続くブランドにしたい」とおっしゃっていて、単なるファッションブランドではないと感じました。その考え方や思いが、スパイラルの「生活とアートの融合」という活動テーマにすごく近いと思いましたね。「ぜひ、ご一緒しましょう」ということで、「粒子」展を開催しました。そして、これまで「ミナカケル」など3回の展覧会をご一緒にさせていただいています。

文化活動や文化の支援に、終わりはない

今後の展望についてお聞かせください。

本来、2020年はオリンピックイヤーで、もっと盛り上がっていくタイミングだったと思います。でも、僕は、2021年以降のオリンピック後が大事なんじゃないかと思っています。例えば、2015年に青山円形劇場が30周年のタイミングで「役割を終えた」といって、閉館しました。ちょうど劇場とコンテンポラリー・ダンスのフェスティバルを一緒にやっていたのですが、「なくなるのはおかしい」と思いました。文化やアートにとっていちばん大事なのは継続していくことです。企業は、1カ月や半年、1年という短いタームで結果を求めますが、文化やアートはそうしたタームでは動けません。文化活動については役割が終わるということはないし、文化の支援にも使命が終わるということはないという意識を常にもっています。だから続けていくことが何よりも大事なんです。

スパイラルは今年で35周年を迎えます。建物には寿命がありますが、そこで働いていた人や見てくださった方の意識やマインドは絶対に消えません。いつかハードがなくなったとしても、スパイラルの活動理念やコンセプトは人々をつないでいくと思います。そのためにもきっちりとした発信と、アーティストたちとの関わりを保ち続けないとと感じています。

最初に見るのは、その人の人間力

クリエイターが世の中に出るために、何かアドバイスをいただけますか。

大切なのは作品を作り続けることです。自分の思いや信念をかたちにすることがすごく大事だと思います。そして作品を発表すること。僕らはプラットフォームでもあるのでそうした場であり続けたいし、場を作るのは大事だと思っています。いかに提供してくかは、支援する側の責任ですね。今はインターネットを使っていろいろな発表もできますが、生のライブ感やリアルさは味わえません。

小林さんが考えるクリエイターに必要な要素は?

自分の作品が社会に受け入れられるかという視点はすごく大事ですね。人や社会のこともちゃんと理解できているかどうかで、クリエイションの幅が違ってくると思います。ひとりよがりのアーティストはなかなか世の中に出られない。人間力がとても大切です。クリエイターが僕を信用できるかというのもありますが、僕のほうもその人を信用できるかが重要です。だから、アーティストやクリエイターに会ったときにまず見るのは、その人の人間力なのです。

取材日:3月10日 ライター:天田 泉、スチール:橋本直貴、ムービー:遠藤究(撮影・編集)

プロフィール
スパイラル館長・シニアプロデューサー
小林 裕幸
1959年生まれ。早稲田大学卒業後、セゾングループ系の飲食産業を経て、1989年よりスパイラルのプロデュース事業部プロデューサーに就任。館内でアート、ファッション、舞台、映画、音楽など多岐に渡るイベントのプロデュースはもとより、外部施設のコンサルティングやアートプロジェクトも手掛けている。

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