WOWOWで仕事をする以上は 「映画的な手法」は持っていたい
- Vol.90
- 内野敦史(Atsushi Uchino)氏
ラジオの世界から映像の世界への転身はどのように?
昔から音楽とラジオが好きだったので、最初はFM東京グループの、JAPAN FM NETWORKに所属していました。そこでラジオディレクターを4年間やりました。ラジオ業界に入っていわゆる音楽番組を手がけてはいたんですけど、一方でドキュメンタリーも好きでした。 普通、FMラジオ局といえば「音楽」という流れがありますが、ある時、「ドキュメンタリーをラジオでやってみようよ」と思い立ち、今で言う所のアースカルチャー、「地球や自然について考えよう」みたいなテーマの番組を企画しました。 音楽を絡めて、インタビューも、例えば、もう今はお亡くなりになりましたけど、ジャック・マイヨールさんなどから言葉を頂くのだけど、単なるインタビューでは面白くない。そこで、音楽や音をミックス、いわゆるDJ ミックスみたいなスタイルで、いままでにない形で五感を刺激する番組にチャレンジしました。で、やってみたら結構、自分の中でハマってしまったんですね。音や音楽を使い、言葉そのものひとつの素材として混ぜながら進行していくっていうのが面白いな・・・と。 当時、早見優さんでレギュラー化したんです。で、その番組に龍村仁さん(映像作家・映画監督)がいらっしゃった。大御所ですけど、僕はずっと一緒に仕事をしたいなと思っていました。で、お声掛けをしたら企画に賛同してくれ、半レギュラー的な形でお出になってくれるようになりました。当然、飲み食いなんかも一緒にしていくなかで、僕の中で映像に対する意識が芽生えていったんです。 僕は、元々は「音楽がやりたくて」という所からラジオ業界に入りました。でも龍村さんから映像のお話を聞いていると面白くてしょうがない。でも最初は、まあ言っても映画とかドキュメンタリーは好きだけど、自分が生きる世界とは全然違うよな、と思っていました。でも龍村さんから、「いや、音が好きだったら映像も出来ますよ」と言われたんです。 当時、龍村さんが言われたのは「LR(音)でしか表現できない世界というものは、テレビはなんでも使えるからともすると後ろに追いやられてしまう。でも音は一番大事だ」と。 龍村さんも、NHKでラジオをやっていた時代があったんですね。で、「音が出来れば映像は出来る」といわれた時に、ちょうど当時、東京MXテレビが開局前でたまたま中途採用の募集をしていた。それで、受けてみたら受かってしまった・・・という流れの中で、ラジオ業界からテレビ業界に転身しました。
大切なのは「画」と「音」。言葉でいくら繋いでも伝わらないのが映像表現の世界。
映像の世界にポンって入って、まずは撮影、で編集……と入っていったと思いますが、当時はどんな感じで働き始めましたか?もういきなり現場にポン、と?
ほぼいきなり現場でしたね。もちろん上司として入社した人たちはニュース、つまり報道の現場を経験されていた人たちでしたので指導は受けました。でも、良かれ悪しかれ「自己流」でやらしてもらった感じです。なので、MXテレビ時代に、いわゆる「映像の基礎」的なものは身に付きませんでした。いま思えば、よく言えば「好き勝手やれたな、面白かったな」と思いますけど。まだ若くて生意気だったせいもあり、「そんなことをやっているから、面白いニュースにならないんだよ!」って。
ただ、自己流でやられたことで、逆にいま役に立っている事もありませんか?
もちろんあります。「言葉で表現しなければたくさんの人には伝わらない」という事は、いまでは僕もよく分かっていますが、でも「じゃあ良い映像を撮ったら、どう伝えるか」と。言葉でなく映像でどう伝えるか、と。僕がMXのトレーニングを開局前にやっていた時に、「青島都知事で1本作れ」と言われました。当時、青島都知事は、都市博をやるやらないかで揉めていたんです。で、その時に、僕はナレーション原稿はあまり書いたことが無かったので全然ダメダメだった。だったら「自分の強みは何か?」と考えた時に、「絵と音で表現したいな」と。 当時、ずっと青島都知事の会見に通っていて、「青島都知事は、メガネをかけたり外していたり」という行動に凄く特徴、クセがあるな、と気づきました。これは面白いな、と。記者から問い詰められ始めると、緊張して、眼鏡をかけたり外したりがもの凄く激しくなってくるんですよ。「あ、これは面白いな!」と。その動作がだんだんリズムというか、そんな風に見えてきてね。 そこでいわゆる音楽のミックスと、青島都知事の眼鏡をかけたり外したり・・・今でいうと、ちょっと電気グルーヴの発想に似ているんですけどね、それで延々、つないでみました。つまり、青島都知事の「葛藤」ですよね。「どうすんの? 都市博、やるの? やらないの?」というのを、その行動だけで見せるという映像を作ったんです。 僕は、いま自分がこういうプロデューサーの立場だったら「やれ!」って言いますよね。でも当時、それを評価する立場の人たちからは全く評価されず(笑)。逆に「お前は明日から音楽を一切使うな」と言われてしまいました。 僕にしてみれば、一番得意な武器を外されてしまった。「ああ、MXテレビは新しいニュースを作る、と言って始まったけれど、これは作れないな」と思い、実は開局前に自分から手を挙げて、「ニュース担当からは、はずして欲しい」とお願いしました。「制作部に移って好きにやらせてくれ」と。 僕は「自己流」というものを良きに解釈すれば、やっぱり映像と音が一番大切で、それが強く見せられなければ、いくら言葉で紡いでも駄目だと思っています。 ただ性質は違いますよね。ストレートニュースであれば、それはもちろんちゃんと起承転結をちょっとパスしなければいけない。それはもちろん分かるんですけど、でも、そうではない表現の仕方もある。そちらに関しては、僕はずっと強みにしてやって来ている。WOWOWでの番組制作にもそのあたりは活かしています。
単純な報道制作、事実のみ伝える報道思考よりは、同じ報道であっても主観の表現、表現者としての志向のほうが強かった?
そうですね。ドキュメンタリー志向だけど、ニュース的なビデオジャーナリストで入って、自分のやり方が当時は受け容れられない状況だったので制作部に移り、いわゆる制作番組をビデオジャーナリスト的な手法を使って音楽情報番組を始めました。 テクノの、いわゆるクラブカルチャー的な番組。夜に4人チームで「せーの!」でみんなでクラブにワーッと散っていって、それぞれがアビッドで繋いで持って帰って最後にそれをまたDJミックスする。そういう手法でずっと延々やっていました。それは本当に楽しかったですね。当時から手法としては全く違った手法で自分なりにそういうスタイルの番組は作っていました。でも結局、放送局でやる限界というものは結構感じてしまっていた時期だったので、MXも4年で辞めて、そこからは海外に留学しました。海外で1本、自主ドキュメンタリーみたいなのを作って持って帰ってきました。
「語らない」という引き算を大切にした映画的な手法
内野さんが考えられる「ドキュメンタリー」だったり「ノンフィクション」とは、どんなものですか?
究極は、『バラカ』という映画があるんですが、これはいわゆるノン・ナレーション作品。究極に美しい世界中の映像、例えば皆既日食とか、人工爆発の様子を撮っていたりとか、そういう映像をノン・ナレーションで、音楽だけで紡いでゆく。僕の目指すところはそれなんですよね。「語らなくても、観て感じてくれれば、いま起きてることって、分かるよね」みたいな。そういうところまで行ってみたい。それは究極の、理想のドキュメンタリー像ですね。
「押し付けがない」ということですよね、観てる人に対して。どうしても日本のドキュメンタリーの場合、制作側が答えを用意してて、この答えに持っていくように映像も作っていきがちなので。
そうですね。話しは飛びますけど、僕はWOWOWに来て3年目ですけど、その前の7年間は『報道ステーション』でニュースディレクターをしていました。まあそこで死ぬほど、いわゆるニュース番組制作のセオリーを叩き込まれました。「視聴率20%を叩き出すためにはどうすれば良いのか」というロジックの中で仕事をし続けました。 「20%の視聴者を振り向かせるロジックはこうじゃなきゃいけないんだ」というものは分かった。分かったんですけど、そこで立ち止まって考えたんですね。そのまま「20%以上の視聴率を獲る方法で頑張るぞ」という考え方もあった。でも、20%の人たちを振り向かせるために表現するのではなくて、気付いてくれない人に気付いて欲しい。 僕はマスを最初から刈り込むよりも、マイノリティを取り込むほうが好きなんですね。であるならば、20%の視聴者を取り込む手法ではなくて自分の原点回帰、年齢のせいもあるかもしれませんが、やっぱり「自分の原点に立ち返りたいな」というのはありました。それがWOWOWに来た一番の理由ですね。
WOWOWに移籍したおかげで感性が解き放たれた。
最初はわざと自分が培った武器を見せておいて、その後からかなり自分の好きなものをガリガリやるようになりました。それこそ、いま、ノンフィクションWでパンクの企画をやっていますけど、柔らかいものをどんどん・・・つまり、自分の振れ幅はこんだけありますよ!というのを、いまどんどん提示しているところです。 そういう中で逆に柔らかいもの、思いっきり柔らかいもの、「アホか!」というものをやる。でも「アホか!」というものをやるときに「アホのまんまで出す訳では全然ないですよ」と。こっちは武器をちゃんと持っています、ロジックは持っていますよ、というところをしっかり出すことで、例えばパンクの企画であれば、通常の音楽番組の構成では気付かないような目線もちゃんと持って骨組みをきちんと作る。そういうことをやると、例えば「3.11」というフィルターを通してやれば「パンクってこんなに美しく見えてくるんだね」というような目線で、若い子たちが気付いて、何かひとつでも得るものがあれば成功かなと思っています。 なので、もちろん「原点回帰」なんですけど、この10年くらいで培った武器というのは、確実に使っているつもりです。そういう意味でも、いま僕自身はすごく面白い環境にいると思っています。
ただ、そうした中でも葛藤はやはりあるのでは?
社内関係者から言わせると、やっぱり分かりにくいとか、言葉が足りないとか、こことここの箱の接着剤はないの?とか言われたりもします。それはもう重々分かっています。でも、じゃあ接着剤を10ヶ所使う箇所を、10ヶ所まるまる使うのではなくて、わざと7ヶ所にしてあげて「あとは、接着剤使うかどうかは自分で考えろよ」と提案したい。画だけでどう繋ごう、という部分でやっぱり勝負したいですから。僕はいい意味で、WOWOWで仕事をする以上は、「映画的な手法」は持ってたいな、と考えています。「語らない」という引き算を大事にしたいですね。
夢がないことを社会のせいにしない。そんなことを言う前に、好きなことがあればやれば良い。
『ノンフィクションW』を手がける一方で、世界中のエンタメトレンドをいち早く紹介する生放送番組、『渋谷LIVE! ザ・プライムショー』のプロデューサーも担当しています。プライムショーは、毎回さまざまなゲストが登場するだけでなく、ゲストのクリエイティブ活動のルーツとなった作品を取り上げて深く掘り下げています。番組を制作する上で、「ここだけは守っている」みたいな事はありますか?
ニュース的な項目で言うと、例えば「ビヨンセが口パクをしてました!」と。で、じゃあそれを我々がストレートに伝える。ストレートでも十分伝わるニュースではあるんですが、それをそのまま伝えるのでは、地上波のワイドショー的な扱いにしかなりませんよね。でも「口パクの歴史ってどうなっとるの?」と見方を変えれば「ブリトニーも2009年にオーストラリア公演でやっていたよ」となりますよね。「口パクというのは、実は世界中に、普通にあるじゃん」と。「それも含めてエンターテイメントなんじゃないの?」と。「認めてやればいいじゃん!」みたいに。 だから「ひとつの事象をひとつだけで語るのではなくて、必ず複眼的な目線で語ってあげると、WOWOWらしいエンターテイメントのニュースになるよね」とは、いつもスタッフには話しています。「絶対、ストレートなものに必ず何かを噛ましてくれ」と。 自分が取材できる範囲、それは別にカメラを出さなくても電話取材でも何でも出来るじゃないですか。で、記事検索をして、このニュースだったら、ここでしか語られてないけど、じゃあ今回、大島渚さんがお亡くなりになった事は「ニューヨークタイムズではどう書いてあるか」と。調べてみて、「なんだ書いてない。ニューヨークタイムズは報じていない。でも、ル・モンド紙が報じてるぞ」と。これでもう一つネタになる。で、さらに「『亡くなった』という事実だけで済ませないでね」ということがWOWOWのブランディングだと思っていて、やっぱりその世界感みたいなものは大事にしたいですね。
「テレビのニュース」というと、みんなイメージするのは「昼のニュース」。要は単なる情報の伝達というイメージを持つ。でも本来、ニュースというのは、その出来事をきっかけにして何かを考えること。
僕は、プライムショーは、「エンタメ芸能ニュース」ではなくて、「show-bizを扱っているニューストークショーです」という言い方を敢えてするようにはしているんです。 語呂的には「エンタメ・ニュースショー」と言ってしまっていますが、気持ちとしては「show-bizエンターテイメントをしっかりジャーナリスティックな目線を持ってして肩肘張らずに見てもらえるよ」というのをカビラさんたちを通して伝えている番組ですね。 視聴率だけでいえば『報道ステーション』とは全然勝負になりませんけど、思考力、表現力は全然負けてないと思うし、そういう目線でニュースを見ている人たちがこの番組を知ってくれたら、絶対、面白がってくれる。そういうプライドは持っています。
最後に、これからクリエイターなりテレビの業界を目指す方に何かアドバイスをお願いします。
本来テレビ業界は「一番夢がある業界」だと思っています。なのに「本当に夢を持って入って来てくれているのかな?」という懸念は凄くあります。いろんなものを取っ払って言うと、何て言うのかな、就職? 就活? one of themとして入ってきて欲しくない。「好きなものは2番目にしといたほうが良い」とよく言いますけど、僕はやっぱり、好きなものは2番目じゃダメなタイプなので。 本当に楽しんでいるから仕事になるし、本当に楽しんでいるから苦しい。だから、つらい事があっても最終的には乗り越えられる。何かこの業界全体がスタックしている状況を見ると、作り手側が「面白がってくれてないんじゃないの?」というのを凄く感じるんですよね。若者に向けた言葉になってないのかも知れないけど、だから・・・「好きなものをぶつけて欲しい」という。それはもしかしたらこの業界のクリエイターだけに対することではなくて全部の業界がそうなのかもしれないですよね。 夢がないことを社会のせいにはして欲しくない。そんなことを言う前に「好きなことやりゃいいじゃん?」と。「インドに行きたきゃ行けば?」というような。僕は、年齢的にはもう45歳ですけど、ここはどう伝わるか分かんないですけど、WOWOWに在籍しているのも、たまたま居るだけであって、自分の自己表現的なものを完結させて、それでみんながハッピーになってくれるのだったら、そんなに良いことないと思ってやっています。 「何をやりたいの?」って聞いたときに「何か楽しそうだと思って」とかいうような言葉は全然要らない。「何が好きなの?」と聞かれたときに、延々と30分しゃべられるほうがよっぽど面白い。好きな事を延々と話せている時点で「だったらもう君は“なりたい君に”なれているよ」みたいな話だと思うんですよね。
◆取材日/2013年2月14日 取材・文/会津泰成
Profile of 内野敦史
株式会社WOWOW 制作部 プロデューサー
株式会社ジャパンエフエムネットワークでラジオディレクターとしてキャリアをスタートした後、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン株式会社)に転職。数々の報道番組、音楽番組の制作を手がける。TOKYO MXを退社し、海外留学、海外での映像制作、テレビ朝日『報道ステーション』ディレクターを経て、2010年、株式会社WOWOWに。 現在はプロデューサーとして、ドキュメンタリー番組『ノンフィクションW』や、生放送の世界のエンタメニュースショー『渋谷LIVE! ザ・プライムショー』を担当している。