技術者と販売店、双方の立場から コンセプトを明確にしてデザインし 魅力のある商品にしていく
- Vol.53
- プロダクトデザイナー/エルグデザイン代表 二階堂隆(Takashi Nikaido)氏
日本では散々の売れ行きだったが、アメリカで火がつき、 人気が逆輸入。 一大ブランドに育ったG-SHOCK。
G-SHOCKは1983年に発売されましたが、当初はあまり売れなかったとか。
国内では、3年ほど鳴かず飛ばずでしたね。腕時計としては破格に大きかったせいで、営業が「こんなもの、売れるはずない」と力を入れなかったのも大きかった。 社内的には文字通りの酷評で、「粗大ゴミ」なんて表現されたこともありました(笑)。
どんな意図で企画、デザインされた商品なんですか。
「落としても壊れない時計をつくろう」という考えに共鳴した3人のメンバーが集まって始まったプロジェクトが「Project Team Tough」です。 3人で話し合う中で、チームリーダーが「10mからの落下に耐える、10気圧防水、10年保証のトリプル10」というキーワードを発案しました。それにより進むべき目標がはっきりしました。 少なくとも僕は、大ヒットするようなものではないと思ってましたよ(笑)。ただ、こういう丈夫な時計は一定のニーズはある。静かに、長く売れる時計になるだろうという確信はありました。
ところが、大ヒットで、大ブームで、一大ブランドになりましたね。
最初に火が付いたのは、アメリカでした。誇大広告を検証、告発するニュース番組内で、現地の販売店がオンエアさせていたG-SHOCKのCMがとりあげられた。内容は、アイスホッケーで、パックの代わりにG-SHOCKをハードヒットしても壊れていないというものでした。 「そんなはずない」というアプローチでCMと同じ実験をしたら、本当に壊れなかった。その番組以降、全米でG-SHOCKが売れ始めました。 日本での人気は、アメリカでの評判が逆輸入される形で高まりました。
そういう性能を持った機械製品の開発に、企画設計の段階から参加して、ふさわしいデザインをつくりあげていく。それが二階堂さんの仕事の真骨頂であり、プロダクトデザイン(インダストリアルデザイン)の面白さなんですね。
エンジニアとのキャッチボールは、欠かせませんね。
プロダクトデザイナーには、 エンジニアと対等に渡り合えるほどの技術知識が必要です。
エンジニアとのキャッチボールとは、具体的には?
工業製品の商品企画は、たとえば、技術動向のリサーチから、数年後にこんな電子部品がデバイスとして実用化しそうだとの動きを先取りしてスタートします。 そんなケースでは、エンジニアがデバイスの扱い方を考え、デザイナーが設定されたターゲットをにらみながら造形の構想を練ります。つまり、設計とデザインが同時進行します。デザイナーのあげたデザインにエンジニアが「そんな形には、できないよ」と言ったり、技術的なハードルに対して「この部品をこちらに移動して小さくできないか」とデザイナーが要求したり。 そんなやりとりが、延々とつづきます。
なるほど、本当に面白そうだし、一方、メーカーに所属するか、そうでなくてもかなり近い場所にいないとできない作業ですね。
その通りですね。ポジションニングだけでなく、技術知識も重要です。エンジニアに要求する際には、図面を前にしてまさに膝詰め談判ですから(笑)。かなりの知識と技術理解が求められます。 熟練のエンジニアと対等に渡り合えるくらいの知識があるのが、理想ですね。
技術論で勝てるくらいでないと、デザインが設計に従属することになってしまいそうですね。
そうです。特に日本には、そうなってしまっているメーカーがまだまだありますね。
「プロダクトデザイナー」にも色々なタイプが有ると思いますが、二階堂さんはどんなタイプのデザイナーですか?
プロダクトデザインと言ったとき、一般には感性や造形の妙味で商品価値を生み出すデザインというイメージがあります。 自分がデザイナーとして心がけている事は、感性だけでなく、クライアントの企業規模や技術レベルを最大限に生かす事。製造側(技術者)とエンドユーザー側(販売店)の双方の立場からコンセプトを明確にしてデザインし、魅力のある商品にする仕事だと思っています。
中小のメーカーが直接市場に打って出る必要に迫られている時代。 インディペンデントのプロダクトデザインスタジオの存在が大きくなる。
多摩美術大学を卒業して、カシオ計算機に入社。メーカーでプロダクトデザインをすることは、当初から考えていた?
大学でデザインを勉強すると決めた時から、この分野へ進むことを決めていました。というより、この分野に憧れたから美術大学に進んだんですね。
メーカーに所属しないとおぼえられない仕事だから、就職は当然と思いますが、7年で独立というのはちょっと早くないですか?
ほぼ、予定通りですよ。仕事は好きですが、会社員としてはあまり適性ある方ではないので(笑)、7年くらいが限界だと思っていました。
モノを動かす時のエネルギー・熱量の単位であるエルグ(erg)を社名とし、HPで「私達の仕事により、企業や市場にエネルギーを与え、前進する力になるように名付けました。」と表明している。
なんと言っても、新商品、製品を一からつくる楽しみがあります。そして新商品を造る事で、製造する企業の価値観を変える事ができ、使ってくれるエンドユーザーの生活を変える事もできる。それにより皆さんに喜んでいただければ、責任は重いですが大変にやりがいのある仕事です。
エルグデザインとしての作品集を拝見すると、商品のバリエーションもクライアント企業の分野もとても多彩ですね。
エルグデザインというインディペンデントのプロダクトデザインスタジオの存在理由は、インハウスのデザイナーを抱えられない企業に力をお貸しすることにあると思っています。ですから、クライアントの発掘にはかなり努力していますし、プロダクトデザイナーと組んで良かったと思っていただけるような仕事を心がけています。
いわゆる、中小零細のメーカーや工場なども対象になる?
もちろん、なりますし、今後ますます力を入れるつもりです。HPに「最初に提出内容と料金を明瞭に提示します。」と明記したり「無料デザイン診断」というシステムを設けているのもそのためです。 日本には、良い製品をつくる技術を持っているが、デザイン力がないため直接市場に打って出られない会社が驚くほどあります。僕は、そういう方々の力になりたいし、この数年、着実にそんなケースを積み重ねています。
「最初に提出内容と料金を明瞭に提示します。」っていうのは、敷居が低くていいですね。
これまで、インダストリアルデザインって敷居が高かったですからね。 敷居を低くすると、中小企業の社長さんと丁々発止でやりあう必要も出てきますが、それもまた楽しい。今、日本では、これまで大手メーカーの下請けだけでやってこられた製造業の仕事が減り、直接市場に進出する必要に迫られているケースがどんどん増えています。エルグデザインが力をお貸しできる場面も、ますます増えると思っています。
では最後に、若手クリエイターたちにエールをお願いします。
ものづくりを仕事にするなら、まず、タフな精神を養うことをお勧めします。そのためには、単身で世界に出て、貧乏旅行を1~2ヵ月するのがいいと思う。日本を離れて地元の人と交流すると、いろいろ見えてくることも多いし、精神的にはかなりタフになれます。 仕事を進める事は自分との戦いです。より良い解決法をあきらめずに考え続ける事、他者との調整業務など、様々なハードルを越えなくてはなりません。 そのためには強い精神力と広い視野を持つ事が不可欠です。世界に出ておのれを知る所から、是非挑戦をしてもらいたいと思います。
取材日:2009年7月27日
Profile of 二階堂 隆(エルグデザインHPより、引用)
1980年 | 多摩美術大学立体デザイン科卒。カシオ計算機に入社。 デジタル、アナログウォッチのデザインを行う。G-SHOCKプロジェクトチーム |
1983年 | ミラノに在住。Depas,D'Urbino.Lomazzi Design Officeに参加。 |
1987年~ | ErgDesign設立。現在に至る。 |
1990年~ | 日本工学院テクノロジーカレッジ・デザイン科講師 |
2008年~ | 東京都商工連合会・工業デザインのエキスパート 東京都立産業技術研究センター・工業デザイン支援エンジニアリングアドバイザー |