「何も考える必要はないよ」 というのが僕の演出法
- Vol.44
- 映画監督 中原俊(Shun Nakahara)氏
中原俊ファンのみなさま、お待たせしました、最新作『魔法遣いに大切なこと』が12月20日から公開です。大切な約束のために限られた時間をひたむきに生きる魔法遣いの少女を描く、心がきゅんとなるストーリー。『櫻の園』で日本中をきゅんとさせた中原節の、真骨頂とも言える作品です。 『櫻の園』もよかったけど、『12人の優しい日本人』は何度観てもおかしくて、味わい深い名作だったなあ――。日本の映画が元気を取り戻し始めたのって、あの頃からだった。そういう意味でも、映画ファンの記憶にしっかりと刻まれた実力派監督の名に、ちょっと気圧されつつのインタビューだったのですが、中原さん、とっても気さくで饒舌な方でした。年齢を考えれば「おじさん」なのですが、その姿は元気な「おにいさん」。創作意欲もますます旺盛とお見受けしたのでした。
ファンタジックな気持ちが湧き上がってくる 映画に仕上げたつもりです。
『魔法遣いに大切なこと』を完成させた、今のお気持ちは?
楽しかった。主役の若い2人との仕事という意味でも、自分なりにいろいろ工夫したという意味でも、勉強になったという意味でも、とても楽しい作品となりました。
演出に際して、心がけたところは?
「不思議なキー」でつくろうと考えました。いわゆるドラマを見せるつくり方ではなく、お話が右へ行ったり左へ行ったりする中で不思議な語り口になればいいなと。そのリズムが、お客さんを気持ちのいいところへ連れて行ってくれるような作品にしたかった。
ものすごくファンタジーな作品ですよね。
観客をこちらからファンタジーの世界へ呼び込むのではなく、ファンタジーが染み込んでいくような、観ている人の中にファンタジックな気持ちが湧き上がってくるような映画に仕上げたつもりです。
こういうユニークな映画をつくりあげたことへの、自己評価は?
そうですね、まず、こういう作品が成立したことが嬉しい。だから、次もまた、こういう作品が撮れたらいいな。そう思っています。
この作品は、いわばプロジェクトで、映画として企画されると同時にコミック、アニメ、小説としても発表され、どれも大ヒットしました。演出担当としてオファーを受けた時の感想は?
原作のコミックも小説も何も読んでいませんが、脚本をいただき、既存の映画にはない新鮮な世界観に心が動きましたね。
映画づくりにあたっては、中原さん自らかなり手直しをしたとか。
まず、看板が落ちてくるエピソード。原案は、撮影にかなり予算の必要なシーンになっていたので、手直ししました。それから、イルカのエピソード。僕は、ぜひ海に帰すところまでつくりたかった。もうひとつは、よさこいソーランを踊るシーンですね。なぜ、あれが必要かと聞かれても答えようはない(笑)、直感で挿入したシーンなので。 ただ、基本的には山田(山田典枝)君のつくりあげた異質なファンタジーとドラマツルギーを生かすことを最優先と考えました。
山下リオ君は、感性も繊細で、 次はもっと良くなると確信を持って言えます。
キャスティングに関しては、どれくらい意見を出していますか?
今回の作品では、かなり意見を採り入れてもらっています。プロデューサーさんたちともとても気が合って、仲良くお仕事できたという感想を持っています。
主演の2人もいいですが、永作博美さんや余貴美子さんたち、脇の人たちもよかったですね。特に、余さんの役づくりにはびっくりさせられました。
僕もびっくりした(笑)。あのいでたちで、あの演技を始めたので「お、なんですかそれは」って思いましたよ。何も言いませんでしたけどね。
なんか、他人事だなあ。打ち合わせなしですか?
うん、いつもそう。余さんとは何回もやっているけど、いつもそう。「どうしましょう」と聞かれると「お任せしますよ」と言う。それで、「じゃあ、なんかします」という感じです。
映画初主演の山下リオさんへの演出は、大変ではなかったですか?
まったく、そんなことないですね。私が育った日活ロマンポルノでは、主役の女優さんは大抵が新人、ど素人でしたから。初出演の方に演出するのは、むしろ得意だし、楽しい。新人だから大変という感覚は、僕の中にはありません。 特に彼女は、感性も繊細で、いい資質を持っている。出演するにあたっていろいろ勉強もしてくれたようで、次はもっと良くなると確信を持って言えます。
初主演としては、キャラクターの解釈など、一筋縄ではいかない部分のある仕事だったと思うのですが。
そうですね。本人はいろいろ悩んだでしょうね。でも、「何も考える必要はないよ」というのが僕の演出法。感じたことだけやっていればいいからと言っていました。大切なのは、映画をつくりながら何を感じるかなんです。
競演の岡田将生さんは、どうでしたか。
一番大変だったのは、彼でしょうね。この映画はリオちゃん中心の映画だから、スケジュールもすべて彼女中心。そのしわ寄せは、すべて彼に行ったと言ってもいい。ラストのすごく大事なシーンも、スケジュールの都合からクランクインから3日目の撮影です。「監督、ちょっとこの人物の気持ちが、よくわかりません」、「そうだよな。でもまあ、気持ちは悲しいよな」、「そうですね」、「じゃあ、泣いてみるか」、「……監督、なんか無理矢理泣いているような気がします」(笑)。それで、あのラストシーンになった。 「監督、最後にもう一度やりたいです」、「悪い、金がないから、できない」(笑)。
知恵はいろいろと身についたので、 今はどう受け渡そうかと考えているところ。
『魔法遣いに大切なこと』とともに『櫻の園』のリメイク版も。11月に中原監督作品が2本公開されます。ここまで、かなりお忙しかったのでは?
9月に公開された『落語娘』も含めれば、3本です(笑)。やはり、この1年はかなり忙しかったですね。映画の企画というのは、何本抱えていても、そのうち半分も成立しないものですが、この3本は幸運にも立てつづけに成立しましたからね。
『魔法遣いに大切なこと』は、いつごろから手がけたのですか?
最初にお話をいただいたのは、たしか昨年の5月です。本決まりになって脚本の手直しなどに入ったのが、6月。クランクインは昨年の9月で、『落語娘』の仕上げをしつつ撮影もという状況でした。『櫻の園-さくらのその-』は今年の4月クランクインで、10月に入って最後の仕上げでした。
ところで、中原さんは、いつ映画監督になろうと決意したのですか?
決意したことはない(笑)。子供の頃にはあこがれていた職業だけど、僕が大学を卒業した1970年代は日本映画産業が最低の時期でね。「映画なんかやったら、飯が食えないよ」というのが通説になっていた。 ただ、偶然受けた日活の試験に合格してしまって。監督になってみてやっぱりこれは厳しいかなと思わされることがあって。で、もうこれを最後にするから勝手なことやってやれとつくったのが『櫻の園』だった(笑)。
あんなに評価されたら、辞められませんね(笑)。
まあ、あれです、好きなものつくっていいんだとわかったのは大きかったですね。以来25年、好きなものをつくりつづけて今に至るわけです。
中原さんは、映画会社のスタジオシステムで修行して育った最後の世代に属しますね。
そういう理解でいいと思います。教えてくれる人がたくさんいた撮影所で、昔ながらの鍛え方をされて育ちました。その後も映画をつくりつづけ、映画づくりに関する知恵はいろいろと身についたので、今度はそれを次の世代にどう受け渡そうかと考えているところです。
最後に、クリエイターたちにエールを贈っていただきたいのですが。
では、映画界でがんばっている人、がんばろうとしている人たちに。映画はおもしろいです。この世にはいろいろな芸術があって、いろいろなおもしろさがあると思うんですが、映画の一番おもしろいところは人と関わってつくるという部分なんですね。 人と関わるためには、やはり人とコミュニケーションをとる――ということは人の気持ちをいろいろ考え、全部それに従うわけではないけれどもくみ取っていかなきゃいけない。それが一番楽しいし、大切なこと。映画をめざす人、映画監督をめざす人にはそういう部分を理解してほしいですね。
取材日:2008年10月31日
Profile of 中原俊
1951年、鹿児島県生まれ。1976年、東京大学文学部宗教学科を卒業。同年日活に入社。鈴木清順、大林宣彦、市川崑、根岸吉太郎らの助監督に就く。1982年、日活ロマンポルノの『犯され志願』で映画監督デビュー。1985年に日活を退社し、1990年の『櫻の園』で大きな注目を浴びる 【作品】 1982年 『犯され志願』『奴隷契約書 鞭とハイヒール』『聖子の太股 女湯小町』 1983年 『宇能鴻一郎の姉妹理容室』『ボクのおやじとぼく』『3年目の浮気』 1984年 『縄姉妹 奇妙な果実』『イヴちゃんの花びら』『初夜の海』 1986年 『ボクの女に手を出すな』 1987年 『メイク・アップ』『シャコタン・ブギ』 1988年 『猫のように』 1990年 『DokiDokiヴァージンもういちどI LOVE YOU』『櫻の園』 1991年 『12人の優しい日本人』 1992年 『シーズン・オフ』 1997年 『Lie lie Lie』 1999年 『コキーユ~貝殻~』 2000年 『歯科医』『カラフル』 2001年 『コンセント』 2002年 『富江最終章 禁断の果実』『でらしね』 2004年 『DVドメスティック・バイオレンス』『苺の破片』 2007年 『素敵な夜、ボクにください』 2008年 『落語娘』『櫻の園-さくらのその-』『魔法遣いに大切なこと』