ヴェネチア銀獅子賞獲得!『スパイの妻』で蒼井優&高橋一生とタッグを組んだ黒沢清監督「プロの集まりの良いところをもらって物語をつくっていくのが監督の仕事です」
第77回「ヴェネチア国際映画祭」で銀獅子賞(監督賞)を獲得した『スパイの妻』。世界中に熱狂的なファンを持つ黒沢清監督が、戦中の日本を舞台に、個人と社会を見事に映し出している。
偶然、国家機密を知ってしまい正義のために事の顛末(てんまつ)を世に知らしめようとする夫と、夫を愛しながらも自分の気持ちと夫の正義の間で妻がとる行動や駆け引きをスリリングに描きだした。第 68 回「サン・セバスティアン国際映画祭」にも出品された話題作。これまで主に現代ものを舞台に映画を撮っていた黒沢監督が、なぜこの時代を選んだのか、監督の役割、クリエイターにとって大切なことを教えてもらった(取材日はヴェネチア国際映画祭前)。
戦中という時代を背景にしたことで社会と個人というテーマがより鮮明になった
今作はどのようにして作られていったのですか?
僕の教え子だった濱口竜介(はまぐち りゅうすけ)と野原位(のはら ただし)という映画監督から「神戸を舞台にしたドラマを撮りませんか?」というオファーを受けました。その後、NHKやプロデューサーが加わっていく、という少し複雑な経緯があります。
僕自身、チャンスがあれば1940年代前後を背景にした映画を撮りたいと思っていたんですよ。予算の都合もあり実現していなかったのですが。そのことを彼らが知っていたのかは分かりませんが、突然このような話で、なおかつ2人が書いた脚本が素晴らしく、「面白い」「やりたい」と思いました。
しかし神戸が舞台といっても戦中の話なのですごくお金もかかる。「何か算段があるのか?」と2人に聞いたら「何もない」と。「だから若者はダメだな(笑)」なんて思っていたら、数カ月後、NHKのプロデューサーから正式なオファーがありました。こうして実現したという形です。
僕もこのような作品をやりたいと望んでいましたが、突如、元教え子が持ってきてくれたわけで、いい教え子を持ったと感じましたね。
戦中を舞台にした作品を撮りたかった理由はあるのですか?
僕の作品は現代の東京近郊が舞台で、そこに生きる個人と社会との対比を描いていることがほとんどです。「社会に個人が埋没していくのか、あるいは社会といった 枠組みからはみ出していくのか」がいつもテーマになっているのですが、それを現代を舞台に描いてみても意外と伝わりにくくて……。
現代が舞台だと僕らが知っている現実の延長上に見えるため、社会と個人というテーマは浮き上がりきにくいんですよ。それが時代背景を変えることで、現実の延長とは異なった感覚になり、特に戦中となれば社会と個人がそれなりに衝突したり、個人の立ち位置をシビアに迫られる社会背景だったことが想像しやすいため、よりテーマがはっきり表せると思っていました。
今回は、社会と個人の間で揺れ動いて大きな決断をしていく人物が登場していますね。
高橋一生さんが演じる優作は、正直な自分の気持ちと社会の価値観の間に葛藤していきます。そんな優作の妻である蒼井優さん演じる聡子は、事実を素直に受け止めるわけでなく、彼女なりの個人と社会の関係の中で、逆に夫を欺き罠にハメようとします。
このような女性の心の駆け引きを描いた作品は、現代だと不思議ではないのですが、この時代だと珍しいんですよ。大抵、男性は社会と個人の中で葛藤して駆け引きをしますが、女性側は葛藤はするもののどこかそれを受け止めて耐え忍んでいることが大半で。
もちろんそのように女性が葛藤しつつも自分の意志で動けずに苦しみを背負ってしまっていたということも真実だと思いますが、今回のように駆け引きして結論を出すという現代的な考えを持った人も、きっと当時にもいたのではないかなと。
そのような人物を当たり前のように描いているのがすごく新しいです。これは濱口と野原という若い2人だから大胆に試せたのだと思います。
文字で書かれた脚本を現実に落とし込んでいくのが監督の仕事
今回は脚本にも参加されていますよね。
僕が手を入れたのは2割くらい。主人公たちの心情についてはほとんど濱口と野原で、僕が手を加えたのは、憲兵をもっと怖くすることや、こっそり倉庫に忍びこもうといった、サスペンス要素をプラスする部分が主でした。3人で担当したからこそ、ジャンルに偏りがなく、より社会と個人というテーマが明確になったと思います。この時代だからこその緊張感が非常にテーマを明確にしています。
監督にとって脚本はどのようなものですか?
非常に重要なものでありますがそれが全てではなく、科白(せりふ)やおよその設定が書いてあるだけのものと思っています。こういうやりとりをする、こういう科白をつぶやくということは書いてあるけれど、具体的にどうなっているのかは誰にも分かりません。そんな脚本を撮影可能なこととして成立させていくのが監督の仕事です。
これは一例ですが、昔、僕が脚本と監督を担当していたヤクザもののVシネマで、拳銃を突きつけながら相手をロープで柱にくくりつけるというシーンを書きました。脚本の段階では全く違和感なく進めていたのですが、実際に撮ろうとすると成立しないんですよ。手が3本ないとロープを結ぶ事なんて不可能で。最終的には偶然、ロープの片方が柱に結ばれていたという設定を盛り込んで、なんとか乗り切りましたが、これが意外とよくあることで……。
脚本は文字で書かれているので、現実的からかけ離れていることが多いです。そんな脚本を現実とくっつけていくのが監督の仕事だと思います。
監督は登場人物の心情を考えて俳優にアドバイスをされたりするのですか?
これはいろんなケースがあると思いますが、僕の場合は脚本に描かれている人物がどういう人なのかは何一つ言いません。聞かれたら「こうかもしれないですが……」と曖昧な答えをすることもありますが、それも本当にまれで。これは正直、僕は知らないので演者に考えていただきたいんですよ。
もちろん演技を細かく指示される監督もいらっしゃって、そこをこだわることもいいとは思うのですが、正直、僕には本当に分からない(笑)。となると、僕の映画に出演する優れた俳優は、聞いてもダメだと気付いて、全部自分で考えて演じてくれます。ただ、さすがの僕もやってくれた演技を見て、どうも正解じゃないと感じるときもあり、そのときは感じたことを伝えています……。
だから撮っているときに俳優さんのお芝居を見るのが楽しいですね。物語が動いていくことでワクワクしますし、「こういう風に演じるのはすごいな」と思うことが多々あります。今回も蒼井さんや高橋さんをはじめ、お世辞抜きでものすごく力のある俳優さんばかりでした。
俳優への信頼感も必要ですね。
向こうがどう思っているか分かりませんが、すごく大事だと思います。ただそれは、「こちらの思い通りにやってくれるだろう」というものではありません。「想像上以上のことをやってくれるから大丈夫という信頼感」で任せていられるという、プロ同士だからこその分業というか。それは俳優だけではなく、照明や美術、小道具、衣装、メイク……といった全ての人に当てはまることです。
そしてそのようなプロたちの仕事をどう撮れば一番「物語に適合するか」「うまく物語れるか」。これを判断していくのが監督の最大の仕事だと思っています。
そのため、繰り返しますが演技は俳優にお任せですね。今回、僕が大好きなシーンのひとつである優作が街中を歩き回る長回しのカットがあるのですが、そこでも皆さんのプロ魂が炸裂していて……。こういう時代のものなので全てが作り物です。エキストラでさえ「ありのままの姿でいいです」という人は一人もいないんですよ。それがスムーズに撮れたときはすごく充実感がありました。
経験を重ねることで自分のスタンスを見つけていったのだと思う
“仕事は良い意味で分業制”という考えは最初から持っていたのですか?
何本かやってからですね。最初は俳優に無理難題押しつけたりしていたのですが、言えば言うほど良くなくなって……。結局、何も言わなかった最初にやったものが一番良いことにだんだん気づいていきました。まぁ自分の実力が分かってきたんでしょうね。
どこから撮ると魅力的なのか、どれくらい今のシーンを見せれば物語としてより効果的なのかを、チェックする方が自分のアイデアを入れられるし、得意で楽しいと言うことに気付きました。だから僕のやり方が絶対ということはないんです。いろいろ試行錯誤して僕のやり方に落ち着いたので……。皆さんそうやって自分のやり方を見つけているんだと思います。
となると本数を撮るのは必要ですね。
僕はそうでしたね。1本目から天才的な監督もいますが、映画監督というのはたった一人で才能を発揮できる仕事ではなく、何十人もいるスタッフからその人の良さをもらい、限られた時間の中で進めていく仕事なので、やはり経験は大きいと思います。特殊な才能があっても、なかなか通用しにくいと思います。
そもそも映画監督を目指したきっかけは何だったのですか?
映画を見るのが好きで、大学時代から趣味で8ミリフィルムを使って学生映画を作っていました。とはいえ映画監督になろうとは思っておらず、本当にラッキーな偶然が続いたところがあるのです。
学生時代、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(’79)の現場に立ち会うことができ、プロの人たちと知り合うことができたのが大きかった。当時はまだ生意気で世間知らずだったこともあり、映画の現場を見て、「8ミリで自分がやっていることと変わらない、これだったらできるかな」と感じたんですよ(笑)。
とてもおこがましいですが、あらかた映画の作り方を分かっていたので、やっていることや苦労していることが8ミリ映画の拡大版だと感じたのだと思います。そうやって、ずるずる職業映画の世界にアルバイトみたいな形で入っていって、大学生の就職時期を完全に逃してしまったのが大きかったです(笑)。人生に映画の世界しかなかったんですね。
今は評価されていなくてもどこかで見てくれる人がいるから作り続けられる
挫折して辞めようと思ったときはありましたか?
僕がのんきだからか、挫折は何度も味わいましたが辞めようと思ったことはないです。あまり認められていなかった頃から、日本で無理でも海外に行ったらなんとかなると思ったり、映画ではなくテレビだったらいけるかもしれないと思っていましてね。
映画を作らずに全く違う仕事をするところまで追い込まれたことはないんですよ。自分の映画が評価されるだろうという自信があった、とは思えません。でも「絶対に映画を作ることにこだわっていくだろう」という自信はありました。自分が他の道を選びそうにないというか(笑)。それだけでやってきましたね。
これまでもいろんなジャンルの作品を作られていますが、今後作りたいジャンルの作品はありますか?
僕は“ジャンル映画”が好きで見るのも多いですし、チャンスがあれば撮りたいと思っていますが、何をもって“ジャンル映画”といっているのかと考えちゃうんですよ。ジャンルを探っていくとほとんどがアメリカ映画にたどり着いて。だからハリウッド映画はすごいと思っています。
例えば刑事ドラマというジャンルで日本を舞台にして僕が撮ると、それは刑事ものではなく日本映画というジャンルになってしまう。おそらくフランスでも同じで。ハリウッドのようにはいかないんです。
なので、“ジャンル映画”を本気で作るならアメリカに行くしかない。日本で撮るなら、“ジャンル映画”もどきになってしまうので、かなり意識して作らなくてはいけない。なかなか難しいですが、いずれは撮ってみたいです。
今作は第77回「ヴェネチア国際映画祭」コンペティション部門にノミネートされています。作品が評価されることについていかが思われていますか?
評価されるのはもちろんありがたいです。ただ僕は昔から金銭や名誉といった欲望はあまりないんですよ。作品を皆が見てくれるのがすごくうれしくて。 評価されて多くの人に見てもらえるのはもちろんうれしいですが、全く評価もされずに忘れ去れていたような作品でも「あの作品を見ました」と言ってくれるだけでとてもうれしいです。
作ってから30年後、知らない国の若者が突然見てくれた、なんてすごいですよね。これから生きていく限り、評価されようがされなかろうが、僕の作品を「いつか誰かが見てくれるに違いない」と思いながら作っていけたら良いなと思います。
取材日:2020年8月20日 ライター:玉置 晴子 ムービー撮影・編集:村上 光廣
『スパイの妻』
©2020 NHK, NEP, Incline, C&I
10月16日(金)新宿ピカデリー他全国ロードショー!
出演:蒼井優 高橋一生 坂東龍汰 恒松祐里 みのすけ 玄理 東出昌大 笹野高史
監督:黒沢清 脚本:濱口竜介 野原位 黒沢清 音楽:長岡亮介 配給:ビターズ・エンド 配給協力:『スパイの妻』プロモーションパートナーズ
ストーリー:1940年、神戸。赴いた満州で偶然、恐ろしい国家機密を知ってしまった優作は、正義のため、事の顛末を世に知らしめようとする。聡子は反逆者と疑われる夫を信じ、スパイの妻と罵られようとも、その身が破滅することも厭わず、ただ愛する夫とともに生きることを心に誓う。太平洋戦争開戦間近の日本で、夫婦の運命は時代の荒波に飲まれていく……。
■公式WEBサイト: https://wos.bitters.co.jp/
■公式Twitter: @wos_movie
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