「撮りたいものがある場所」で、地域を刺激する新しい働き方を発信する
新潟市を拠点に、企業のプロモーションムービーやテレビCM、SNS動画広告の制作から広報全般、ときにはコンサルティング業務まで、1人でこなす山口順平さん。
「海の上のライオン」という一風変わった社名を掲げてから4年、一時は海外でも生活した山口さんがあえて新潟で活動する理由、「映像を手段の一つとして」新たに展開する予定の事業とは? 地域で事業そのものをクリエイティブに展開していく山口さんの活動に迫ります。
映像の専門学校を中退して、18歳で報道の現場へ
映像業界に入ったきっかけを教えてください。
子供の頃から図画工作が好きで、美術展などで表彰されたこともあり、漠然と「ものづくりを仕事にしたい」とはずっと持っていました。映像の原体験は、小学校のとき。ジブリ作品を見るのが好きで、帰宅した後『天空の城ラピュタ』など同じ作品を連続で見ても全然飽きなかったんです。
映像を学ぼうと思ったきっかけは、高校生の時に見た『バックトゥーザ・フューチャーII』の主人公が現在から未来にタイムスリップしたシーン。過去ではただの絵だった映画館の看板が、未来では3Dホログラムに進化していたのを見て「未来に行っても映像の仕事はなくならない︕」と確信して映像の専門学校に入りました。脳内、単純でしたよね(笑)
しかし入学した専門学校は、当初聞いていた授業とは違い、キャラクターデザインやデッサンなどアニメーション制作が中心で、ビデオカメラを使ったショートムービーを作りたかった僕にとっては退屈でした。入学から2ヶ月くらいで学校には行かなくなりました。
思いきりましたね!
そんな時、先輩に紹介されたNHKの映像取材部に運良くアルバイトで入れてもらう事ができ、その後、本格的にテレビ局で働きたいと、23歳の時に地元で制作会社を立ちあげることになります。
僕が入局した2002年と言えば、日韓ワールドカップや北朝鮮による拉致被害者が帰国した年。2004年には7.13水害や中越地震、その7年後には東日本大震災も起きました。警察や消防が忙しい時は、決まって報道も忙しい。放送局に泊まり込みでの勤務も珍しくありませんでした。
最初は「報道」の意味を全く理解していませんでした。しかし、経験を重ねていくなかで、現場の声を取材し、放送して伝えることで「被害者を支援したい」とか「犯罪に気を付けよう」など、その報道をきっかけに世論が動くことを肌で感じて、社会におけるテレビ報道の価値を実感するようになっていったんです。
映像に携わる仕事の魅力や意義の大きさを実感されたんですね。
さらに、僕が編集を担当したニュース番組で、取材先から「放送後にたくさんお客さんが来てくれたよ、ありがとう」といった声も頂き、情報という目に見えないものを映像にして見える化することで、人と人を繋げる事ができることにやりがいを感じていきました。
なぜNHKの仕事を続けなかったんですか?
放送で使った映像は「著作権」で固く守られていて、どんなに時間をかけて取材・編集した企画も、番組で1回放送したら終わり。録画していなければ2度と見れないどころかDVDに焼かなければ友人に見せることもできない。この頃、スマホやSNSが急速に普及し始めた時代で、テレビの情報拡散能力に限界を感じました。
「これからは報道以外の経験も積み、テレビの前だけでなく、スマホやPCなど、自由な時間や場所で見てもらえる映像を作って人の役に立ちたい。」と2014年に長年お世話になった報道の現場から卒業する事を決めました
その後、渡米し、アメリカで現地法人の立ち上げに参加。日本のテレビ局のハワイロケや海外版ゼクシィの撮影現場なども経験し、2017年1月。33歳の時に帰国。現在、代表をつとめる株式会社「海の上のライオン」を立ち上げました。
撮りたいものがある・応援したい人がいる場所・新潟へ
帰国の際、新潟ではなく東京など他の地域で起業する選択もあったかと思いますが…。
新潟を選んだ一番の理由は結婚ですが、実際、海外から見た新潟はとても魅力的な地域だという事が分かりました。春夏秋冬で景色は変わり、日本一のお米やお酒、雪国ならではの食文化や、工業系の地場産業も盛んで、仕事に情熱を持って取り組む職人さんも沢山いる。そんな新潟に帰って、もう一度、地域と向き合いたいと素直に思いました。
制作費を多く出せる大手クライアントよりも、予算は無いけど頑張ってる小さい飲食店などの“スタートアップ”を手伝いたい気持ちがあるんです。起業するってすごく勇気や覚悟がいるじゃないですか。
「海の上のライオン」という社名は、とても個性的ですが…。
アメリカ人の友達との会話から「ひらがな・カタカナ・漢字」と三種類もの文字を使うのは日本特有の文化であり、そこにアイデンティティーがあると気づきました。さらに、自分の仕事へのスタンスを社名にしたいと思ったときに、NHKで学んだ「公正・公平・平等」という「中立の立場=客観性」を表現したかったんです。
ずっと同じ会社(陸の上)で働いていると自分たちの仕事や商品の魅力が分からなくなることがある。そこを「客観的な視点で表現した情報を視聴者に伝える」のが僕の仕事。だから僕は陸の上にいちゃいけない、全ての大陸を見渡せる広い海の上にいないといけないんです。
「ライオン」は頼れる存在の象徴ですね。あとは僕の星座が獅子座とか、動物占いがゴールドのライオンとかもありますが(笑)。
1人で仕事をするなら、フリーランスという選択肢もありますが、あえて法人格にして、なおかつ本店所在地は自宅ではなく、別の場所で登記しました。理由は行政からの仕事を受けやすいことと、その方が企業から信用されやすいからです。
自分らしい映像制作を通じて“地域の穴を埋める”
現在の仕事内容を教えてください。
テレビCMやSNS広告など、企業広報を中心に映像を撮影・編集しています。せっかく自分で起業しているのだから、あまりこの地域で人が着手していないことをやりたいと思っています。要するに“地域の穴”を埋めていきたいという思いがあります。また、クライアントと直接対話し、相手の熱量を感じる所に面白みを感じているので、代理店経由の仕事は受けていません。
撮りたいテイストや業界はありますか?
地域で求められることをやっていきたいし、同じことをしている人は2人いても意味がないかなと思う。例えば、すでに新潟には3DCGやアフターエフェクトが得意な映像会社があります。そこで競合する必要はない。それよりも、自分が得意なドキュメンタリーベースの、どこか温かみがある作品を作りたい。
「海の上のライオンっぽい」「順平っぽい」と言われるのが一番うれしいし、温かみのある“ぽさ”は大事にしていきたいですね。
映像の仕事の面白みはどんなところに感じますか?
インタビューで話す人の声のトーンや、顔の表情の変化など、全てから感情を伝えることが出来るのが写真にはない映像の長所であり、同時にごまかしが効かない分、扱いが難しい部分でもあります。でも10年以上「この映像を使ったら視聴者にどう伝わるか」を学んできたからこそ、できる表現があるし、そういうインタビューベースで思いを伝える映像作りが自分は好きなんだと思います。
モチーフとしては、鍛冶・料理などの「火」、染め物の現場や川の流れといった「水」、そして畑の「土」とか好きですね。
私たちは普段、目に見える範囲の、ものすごく大雑把な景色を見ていますが、僕たちがレンズを通して撮影することで、非日常的なマクロな世界で世の中を表現して見せてあげることができるのが、映像の魅力ではないでしょうか。
1人で地方で映像を撮るとなると機材の選定も難しいと思いますが、どのような機材を使っていますか?
ザハトラのフローテックという三脚は、一瞬で高さ調節ができて使いやすいですね。1人で撮影ができる機材を追求した結果たどり着いたものの一つです。カメラはソニーの「α7Ⅲ」「α7IV」。準備や取り回しに時間がかかって撮り逃すのが嫌なので、大きい機材を使わないのは昔から変わらないですね。
最近では、スマホでさえカメラの性能がグングン上がっているので「プロ機材で撮れる」だけの受注は厳しくなっていくと思います。だからこそ今後さらに企画構成力を磨いたり、今の流行りの編集テイストを柔軟に取り込むことは大切だと思います。特にインタビューを撮影する時には“言葉を引き出す力”が試されるので、今までのディレクター経験の蓄積があるのは強みなのかなと思います。
テレビ局で制作に携わってきた経験は、技術面以外にも役立っていますか?
そうですね。逆の発想で、広告戦略アドバイスに役立てています。テレビ放送は予算もVTR尺も限られているので、時間かけての取材は厳しい。なので、自分がマスコミに取材してほしいと思うクライアントがあったら、先にリサーチの段階で欲しいであろう情報を、コンパクトに詰め込んだ紹介動画を作っておくんです。
例えば、新規の飲食店がオープンするとか、コンテストで優勝したとなったら、それまでの経緯を動画にしてYouTubeなどにUPしておくと、マスコミの事前取材の時間も短縮でき理解されるスピードも上がります。さらに、お店から提供する映像はテレビと同じフレーム数(29.97)で撮影しておくことで、番組で使用してもらいやすくなるので、より効果的な情報発信につながります。
今後も映像を極めていこうとお考えですか?
もともとの性格は飽き性ですが、映像は唯一飽きたことがないんです。その理由は被写体が変わるから。これからは「映像の力」で役に立てることであれば、なんでも挑戦していきたいと思います。
映像は誰かが何かをやっていることを人に伝える“橋渡し役”としては最高の媒体です。最近は、その「発信されるもの」自体を自分で作りたくなってきたんです。
そこで、今回取材場所にもなっている倉庫みたいな施設「NESTmeikeshinmei」で飲食店を2021年春にオープンさせる予定です。スタンスとしては、映像は広報ツールの一つ。フライヤーも自分で作れるので、文章・写真・映像を掛け合わせて発信していこうと思っています。
新潟でクリエイターが活躍する新しい形を築いていく
新潟を中心に活躍するクリエイターとチームも組んでいらっしゃいますね。
法人で雇用しても働く時間や払える給与に限界もあるし、固定メンバーですべての案件をこなすのは効率が悪いし、案件によって向き不向きも出てくる。お寿司の発注をフレンチのチームで対応していたら、おいしいものができるわけがない。
そんな課題を解決しようと、2020年春に新潟を中心にデザイナーやカメラマンなどクリエイター約30人で立ち上げた「Safari.」というチームは、案件に応じて得意なメンバーをアサインしていくスタイルです。地方における「フリーランス以上・法人未満のクリエイター」の新しいあり方を提案して、地域に対しての刺激になったらと考えています。
「NESTmeikeshinmei」も、「遊び場とか基地がほしいよね」といって立ち上げたもので、新潟を拠点に国内外で活躍する建築家など3つの法人で運営しています。
新潟の中だけだと、入ってくる情報が限られてしまったりしませんか?
映像のスキルや情報は、やはり1人で県内にこもっていると滞りやすいので、県外の撮影チームにも入れてもらったりして、刺激を受けたり情報交換もしていますね。
地方で映像をやりたい人にメッセージをお願いします。
まず、やめておいた方がいいんじゃないかな︖(笑)ギャラの面で考えれば圧倒的に関東ですよ︕(笑)
ただ、「実家があるから」「都会が嫌だから」とかじゃなくて、自分が撮りたいテーマがその地方(場所)にあるのなら、それが正解だと思います。ビデオグラファーは、自分が興味のある分野の映像を撮影して編集してる時が、一番楽しくて幸せなはずなので。
だから自分は新潟が大好きですよ。これからも真心を持って、この地で熱い想いを持って頑張っている人達を、映像の力で応援していきたいと思っています。
取材日:2020年11月13日 ライター:丸山 智子