庵野秀明さんとの出会いから30年以上、「『ウルトラマン』を見た子どものときのワクワク感を伝えたい」
樋口真嗣(ひぐち・しんじ)監督が、SF特撮ヒーロー「ウルトラマン」シリーズをリブートした空想特撮映画『シン・ウルトラマン』には、庵野秀明監督が企画・脚本を担当するなど、『シン・ゴジラ』のスタッフが結集した。
次々と巨大不明生物・禍威獣(カイジュウ)が現われたことから、禍威獣対策スペシャリストを集結し、禍威獣特設対策室専従班(通称、禍特対)を設立した日本。禍威獣の危機が迫る中、大気圏外から突如、銀色の巨人が現われた。
子どものころから「帰ってきたウルトラマン」が大好きだったという樋口監督に、「ウルトラマン」シリーズの魅力、特撮との出会い、好きでいつづけること、クリエイターにとって大事なことについて語ってもらいました。
庵野の脚本を読んで「ウルトラマン」らしさを感じた
「ウルトラマン」のTVシリーズは30分番組ですが、『シン・ウルトラマン』は約2時間の映画。つくる上で苦労した点はありましたか?
物語をどう組み立てるかを考えたとき、オリジナルのストーリーは30分だからできた内容だと気づかされました。もちろん前後編となっていて1時間のときもありましたが、それはあくまでも通常版の変化球であって。1本のストーリーで2時間の映画にするのは難しいと感じました。もちろんテレビシリーズから離れてもいいのかもしれませんが、それだと「ウルトラマン」らしさがなくなるんですよ。そんな感じで色々思っていた中、出てきた庵野の脚本は上手かった。1本の映画としても成立しつつ、オリジナルの「ウルトラマン」らしさを残すために章立てみたいな形でストーリーをいくつも盛り込むという脚本を読んで、これは面白いと思いました。
今回は5つのエピソードが描かれています。「ウルトラマン」好きの監督としては納得の5本でしたか?
いいチョイスだと思います。もちろん人によって好きなエピソードはそれぞれ違うと思いますが、僕はウルトラマンをはじめとした宇宙の生き物が地球に来た目的が明らかになり、それを知ることで話が進んでいくところがいいなと思って。本作は、オリジナルを知らなくても楽しめる映画になっていると思います。
「ウルトラマン」は何者でもなかった若い人たちがつくった発明品
改めてオリジナルについてどのような感情を持たれましたか?
やはりすごいなって。まぁ発明品ですから。円谷英二さんが指揮をとり、20代だった金城哲夫さんが脚本を書き、英二さんの息子の円谷一さんがTBSでディレクターをして……。英二さん以外、当時何者でもなかった若い人たちが集まって、自分たちができるものをはっきりと示した作品だと思うんですよ。これって若いうちにしかできない、人生で1回しかつくれないような輝いているもので。それにチャレンジして見事に形にしているのは本当に奇跡です。これまでのルールや常識などを変えて、新しい基準を作っていることを含めて、とてもエポックメイキングな作品だと改めて感じました。
今回はこれまでのウルトラマンとは造形が違いましました。時代に合った「ウルトラマン」を作られたのでしょうか?
今っぽさを狙ったつもりはないです。造形に関しては初代ウルトラマンをデザインした芸術家の成田亨さんの描いた絵を元にしています。当時の技術としての限界や、妥協がたくさんあるんですよ。そういうところも含めて、もし今の技術があればこうしたかったのではないかという点を意識してつくりあげました。とくにウルトラマンの目の部分は、着ぐるみだとアクターの視界を守るために穴が開いています。それを今回は3DCGにより、絵の再現を目指した形になっています。
監督のお気に入りのシーンを教えてください。
どのシーンも好きなんで全てではありますが、“にせウルトラマンとウルトラマンの戦い”のシーンは大好きです。他の禍威獣との戦いは昔に見たことがあるような景色ですが、“にせウルトラマンとウルトラマンの戦い”だけは、六本木周辺の高層ビルの谷間で行われているんですよ。きらびやかな高層ビルはミニチュアで表現しようとするととても大変ですが、今回CGにしたからこそ可能に。昔から、リアルな高層ビルの中にいるウルトラマンを見たかった僕としては非常にうれしいシーンでした。
監督する上で意識したことを教えてください。
当時、子どもだった僕らが見てワクワクしたあの気持ちを今の子供たちに伝えよう、と意識しました。僕らが子どものころ見ていた「ウルトラマン」は未来が少し提示されている作品でした。ただ、今オリジナルを見ても、現実が描かれている時代を追い越してしまっているので懐かしいものにしか見えないんですよ。それだと僕らが感じたワクワク感は伝わらない。庵野とも、あのときの僕らが味わった“あの感じ”をどうしたら伝えられるか話し合いました。
「シン・ウルトラマン」は初めてウルトラマンと出合う人のためにつくった作品です。だから「今回、初めて見た」という人からの反応は非常にうれしい。そして、今回『シン・ウルトラマン』を見た人たちが、また新しい「ウルトラマン」をつくってくれたらと思います。
常に「オレは人とは違う」と勘違いをしてきた人生
監督は子どものころから「帰ってきたウルトラマン」が大好きだったとのことですが、特撮作品をよく見ていたのですか?
昭和40年生まれですが、当時のアニメはどちらかと言えば女の子や小さい子ども向きの作品が多く、男の子にとって特撮モノしか選択肢がなかったのもあり、よく見ていました。学校でも友達と集まったらいつも特撮モノの話ばかり。ただ、それは長続きしなかったです。成長していくと、特撮モノを見ているなんて子どもっぽいという雰囲気になっていって……。だから表向きは他の趣味があるような振りをして隠していました(笑)。でも心の中では「お前らが夢中になっているものより、こっちの方が面白いんだ」と思っている、かなり屈折した少年でした。
学校では特撮好きを隠しつつ、東宝の撮影所に行ったりしていたんですよね。
最初に東宝のスタジオで撮影現場を見たのは中学生で、『連合艦隊』(1981年)という戦争映画です。その時の東宝はどん底で、映画を年に数本、あとはコマーシャルの撮影をするくらいで、閑古鳥が鳴いている状態。『ゴジラ』シリーズもつくられず、特撮モノはかろうじて年に1、2本あるかどうかでした。世の中は『スター・ウォーズ』(1977年)がヒットして、「日本映画はスケールが足りない」みたいなことを言われていました。
当時の僕は、「何も分かっていない」と思いながらも、「このままだと日本映画はダメになってしまうかも」という相反する気持ちでいっぱいでした。ただ現場に行くと、大人の仕事として素晴らしいと感じて複雑でした。ちなみに学校では、撮影現場に行けているアドバンテージを手に入れていたので、「『スター・ウォーズ』を絶賛しているお前らとオレは違うんだ」と心の中で思っていました。まぁ、ただ撮影を見学しただけなんで、作品に携わっているわけではないのですが(笑)。本当に勘違いばかりの鼻持ちならない中学生でした。
70年代後半~80年代前半にかけて、世の中は“特撮・冬の時代”だったんですよね。
そうなんですが、『スター・ウォーズ』がヒットしたこともあり、一時は途絶えてしまった怪獣映画や日本のSF映画といった特撮モノも「もしかしたらいけるかも?」という機運みたいなものが少しずつ生まれてきたんですよ。それがちょうど高校生のころ。そして『ゴジラ』復活の布石として、SF小説家の小松左京さんが総監督を務めた『さよならジュピター』(1984年)や柳田邦男さん原作の『零戦燃ゆ』(1984年)などが特撮を使用してつくられました。
これまでの作品に比べ規模が大きく撮影所は人が足りなくなり、若い人も増えてきました。とくに『さよならジュピター』では、その道で注目を集めていた、小川正晴さんを中心とした大学生チームが模型を全てつくることになり、撮影所に顔を出す度に手伝わされるような関係になっていきました。それでまた勘違いが始まったんですよ。「オレは必要とされている」って(笑)。今となっては、はっきり言って誰でもよかったんだと思いますが、本当に単純なんですよ。
好きを共有できる人が現われて特別な存在のように感じた
特撮好きから特撮のスタッフになったわけですが、“監督”を意識するようにはなりましたか?
全然。監督とは雲の上の存在で、なりたいなんて考えにも及ばないというか。監督志望の人は、助監督になり経験を積んでいくのですが、なる気もない(笑)。そして僕は最終的に、怪獣の造形に関わる部署の下っ端になりました。『ゴジラ』(1984年)を撮っていたので、主役の、ゴジラの着ぐるみの着脱を手伝ったり、身の回りの物が壊れたら補修したりする仕事で。
当時、怪獣は一体しかないので怪獣中心に現場が回っていて、怪獣とずっといるので撮影の動きが分かるんですよ。また、その日怪獣がどのような動きをするか色々な部署の人に伝える必要があって……。そういう役割をすることで現場の流れが誰よりも分かったし、各部署の人がどういうことを考えているのかも知ることができました。ものすごく良い形で現場を学ぶことができました。
そうしたらどうなるかというと、またまた勘違いが始まって(笑)。とはいえ、まだ監督という二文字は頭には浮かんでいなかったです。
当時は現場にも若い人がいたとのことですが、監督と同じように特撮が好きな人は多かったのですか?
好きが高じて入ったという20歳前後の人は各部署にいました。そういう人たちと、仕事が終わると飲みに行って、「あれが好き」「これが好き」と夜通し話をしていました。そして、「僕らが子どものころ見ていた『ゴジラ』では、こんな撮り方はしない」みたいなことを言ったりして(笑)。
撮影が佳境になってくるとスケジュールの都合上、いくつかチームを分けて撮影するようになるんです。そのときたまたまワンカットだけ任されたんですよ。それは自分が監督をするというより、みんなの意見を取りまとめて撮ったのですが、「自分たちならこうしたい」と言っていたことを形にできて。褒められたこともあり、うれしかったですね。
これまで特撮を好きという気持ちを隠していましたが、やっと気持ちを共有できる仲間ができたんですね。
それでも大っぴらに特撮が好きとは言えなかったです。マニアが倉庫の貴重な撮影小物を盗んだみたいな事件もあり、あまり良いイメージがなくて。だから気持ちは隠れキリシタンみたいな感じ。マニアとバレたらポジションが外されるんじゃないかと思ってもうひた隠しでした。だから今、自分の好きなものを好きと言えているオタクの人たちを見ていると本当にまぶしくて、なんかムカつくんですよ(笑)。もっと僕らみたいに影に隠れてコソコソしろよって。うらやましくてしょうがないです。
『ゴジラ』を経験して、特撮にのめり込んでいったのですか?
当時、大阪の大学生が撮った8mm映画がすごいという噂があって見たらそれがすごくて。タイトルは「帰ってきたウルトラマン」。ほとんどペーパークラフトで飛行機をつくっている自主映画でしたが、自分たちがやっている『ゴジラ』よりも遥にアングルや画が、僕らの子どものころに見ていたものに近くて……。プロがつくっているものより大学生の方がいいのか、と驚きました。そしてその大学生のチームの上映会が東京で行われるというので見に行き、監督として紹介されたのが庵野。彼は監督もやりながらウルトラマン役もやっていたんですよ。
そんな彼らが大阪でオリジナルの怪獣映画を撮っているという話になり、見に行きました。大阪の撮影現場では、よせばいいのに「こうした方がよくないですか?」みたいなことを言ったら、向こうは『ゴジラ』のスタッフをやっているプロと思っているので意見を採用してくれたり(笑)。それがとても楽しかった。
しかし東京に戻ると一気に現実が待っており、特撮の仕事も減り、急に「オレは何をしているんだろう」という気持ちになって……。ガマンできずに一念発起してSONYのベータマックスのビデオデッキ2台を持ち、大阪まで家出をしました。そこから、大阪で特撮に携わっていく人生になりました。
庵野さんとはそのような出会いをしていたんですね。
まさか30数年後に一緒に「ウルトラマン」の映画を撮るなんて。そして僕以上に特撮を好きな人がいるとは思いませんでした。そういう彼から認められるなんて……。それまでは“ただの誰でもない”と思っていたけど、なんか自分はすごいんじゃないかとまた勘違いが始まりました(笑)。
誰にも負けないものをひとつ持っておくべき
特別、監督になろうと思っていたわけではないとおっしゃっていましたが、監督になるために意識していたことを教えてください。
自分がこうしたいとか、こういうのが好きということを、絶えず誰かにわかりやすく説明できるように準備しておくことが大事。結局、誰かに説明ができないとこの仕事は形にもならないし、思い通りにもならないですから。はっきり言って自分ができることは、良いか悪いかの判断だけ。究極のことを言うと、手を動かしていなくても、「これは良い」「これはダメ」と言えれば、監督はできてしまうんですよ。自分で形にできなければ、自分より能力のある人に「良いと思うもの」を伝えて形にしてもらったらいいわけですから。そういうのを含めて、自分のやりたいことを実現させるということだと思います。
それは若かりしころの『ゴジラ』での経験が活きているんですかね。
あるかもしれないです。全体を把握することもとても大事なことだと思います。
クリエイターにとって大事なことは何だと思われますか?
誰にも負けないものをひとつ持っておくべきだと思います。それ以外については、自分よりすごい人が世の中には必ずいるのでそれが誰なのかということを把握しておくこと。そしてその人を味方にすることができれば最高です。クリエイティブというと、すべて自分で抱え込んでしまいがちですが、潔く負けを認めて自分よりできる人とチームになることが大事。アウトソースできることはしていった方がいいですよ。
監督は庵野さんと出会ったときもそのように感じたのですか?
もちろん。彼には勝てないと思ったところもあります。でも庵野1人だとできないこともあって……。そこは持ちつ持たれつなので。そうやってチームはつくられていくものだと思います。
取材日:2022年5月25日 ライター:玉置 晴子 ムービー撮影・編集:村上 光廣
『シン・ウルトラマン』空想特撮映画
©2022「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ
空想と浪漫。 そして、 友情。
大ヒット上映中!
キャスト 斎藤 工 長澤まさみ 有岡大貴 早見あかり 田中哲司
/西島秀俊
山本耕史 岩松 了 嶋田久作 益岡 徹 長塚圭史 山崎 一
和田聰宏
企画・脚本 庵野秀明 監督 樋口真嗣
准監督 尾上克郎 副監督 轟木一騎 監督補 摩 砂 雪
音楽 宮内國郎 鷺巣詩郎
製作 円谷プロダクション・東宝・カラー
制作プロダクション TOHOスタジオ シネバザール
配給 東宝
©2022「シン・ウルトラマン」製作委員会
©円谷プロ
ストーリー
次々と巨大不明生物【禍威獣(カイジュウ)】があらわれ、その存在が日常となった日本。 通常兵器は全く役に立たず、限界を迎える日本政府は、禍威獣対策のスペシャリストを集結し、【禍威獣特設対策室】通称【禍特対(カトクタイ)】を設立。 班長・田村君男(西島秀俊)、作戦立案担当官・神永新二(斎藤工)、非粒子物理学者・滝明久(有岡大貴)、汎用生物学者・船縁由美(早見あかり)が選ばれ、任務に当たっていた。 禍威獣の危機がせまる中、大気圏外から突如あらわれた銀色の巨人。 禍特対には、巨人対策のために分析官・浅見弘子(長澤まさみ)が新たに配属され、神永とバディを組むことに。 浅見による報告書に書かれていたのは…【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。