一瞬一瞬の緊張感をフィルムで撮影「映画館でかけることを強く意識してつくりました。目を澄ませて観て欲しい」
三宅唱(みやけ しょう)監督が手がけた『ケイコ 目を澄ませて』は、聴覚障害の元プロボクサー・小笠原恵子さんをモデルに、不安や迷い、喜びなどさまざまな感情に揺れ動く等身大の女性を描く。言葉にできない想いが心の中に溜っていく主人公・ケイコを岸井ゆきの、ケイコを気にかけるジムの会長を三浦友和がていねいに演じる。 『きみの鳥はうたえる』などこれまでも魅力的な登場人物を生み出してきた三宅監督が、16ミリフィルムで撮影、BGMといった劇伴(音楽)を使わずケイコの心のざわめきを表現した意欲作。本作の狙いや、キャストとの向き合い方やクリエイターとして大事だと思うことなどを語ってもらいました。
俳優さんとの向き合い方は、扱っている題材や相手によってその都度、考えています
聴覚障害と向き合いながらプロボクサーとしてリングに立った実在の人物、小笠原恵子さんの自伝が原案になっていますが、いわゆる原作モノにしていない理由はありますか?
プロデューサーから小笠原さんの自伝「負けないで!」(創出版)を元に映画をつくりたいというお話しをいただいたのですが、僕はいわゆる実話の再現映画を目指すのではなく、あくまでも小笠原さんをモデルとして新しいモノをつくる気持ちで企画しました。理由としては、およそ10年前に実際にあった出来事の再現となると、少しの違いが逆に気になってしまうと感じて。本当に大切なことを表現するために、意図的に時代設定や人間関係、周囲の環境を変えました。
ケイコを演じた岸井ゆきのさんと役についてお話しはされましたか?
役について話すということはあまりしていません。彼女とはボクシングの練習時間を一緒に過ごしながら、ボクシングの話は色々しました。それはフックの打ち方とか、ストレートの打ち方とか、僕もボクシングのことを何も知らなかったので、同じボクシングを学ぶ者としてお話をしたという形です。
彼女が誠心誠意、役に向かっていくところを一番近いところで見せていただいたという感じです。そしてそんな姿を見て、監督として生半可な気持ちでは撮れないな、というか失礼に当たると気づかされて、引っ張ってもらいました。
岸井さんがケイコになる姿を見て、僕の役目は彼女を真っ直ぐ捉えて伝えることだと改めて感じました。今回は岸井さんを撮るのが仕事だったと思います。
ケイコのよき理解者でもあるジムの会長を演じた三浦友和さんとも、映画や役についてはお話しされなかったのでしょうか?
三浦さんとは色々とお話させていただきました。ご自身の役だけではなく、映画全体のことを非常に気にしてくださって、三浦さんの方から色々質問をいただくことによって僕も考えがブラッシュアップされていく感じがしました。
監督は役者に任せるタイプなのですね。
いや、これは本当に作品と人によります。僕の俳優さんと向き合うスタンスをあえて言うなら、“基本的スタンスがない”ことです。同じ俳優という肩書きを持っていても全く違う人間であり、仕事の仕方も全然違います。僕はそれに合わせたいという気持ちが強いというか……。もちろん限界もありますが、扱っている題材や相手によってその都度考えています。そういう意味では本当に信頼できる俳優さんばかりが揃った現場でした。
“自分は耳が聞こえる”と認識するところからこの作品は始まった
今回は16ミリフィルムで撮影されていますが、これも作品に合わせて選ばれたのですか?
今回の題材にふさわしいと思い選択することができました。もちろん僕はフィルム世代ではなくデジタルカメラ世代なのですが、16ミリフィルムのテクスチャーはこの作品に合っている気がしました。
もう1つ大きな理由として、フィルムは撮影回数が限られていることがあります。岸井さんと練習をしていて、ボクサーを演じる役者の身体的負担は想像を絶するものがあります。もしデジタルカメラで撮影をしていたら僕は甘えて、「もう1テイク、1テイク」と何回もトライしてたぶん岸井さんをボロボロにしてしまったと思うんですよ。それは僕が理想とする映画の現場とは違うなと。
今回の現場をいいものにしたいと考えたとき、回数制限があるフィルムを選ぶことでフレッシュな状態で撮影できると考えました。まぁデジタルにはデジタルの良さがあるので、今回はフィルムがよかったということです。以前撮った作品では、何回もトライすることにこそ価値がありましたし。本当にこれも題材によりけりなんですよ。
1カットを大事に撮るということですね。
ボクシングシーンを含め、いい感じで映画内に緊張感が漂ったと思います。もちろん普段からプロフェッショナルとして一定以上のレベルの仕事をしていますが、やり直しがきかない中でそれ以上のものを出せた充実感がありました。それもこれも岸井さんのおかげです。そしてこういう挑戦ができるのは信頼感があってこそだと思います。ボクシングも手話も映画作りも、ベースには信頼関係が必要だということを、この映画で学べました。
劇伴をつけず自然音だけで映画を構成されていますが、そうされた理由を教えてください。
劇伴をつけないことはこの作品を引き受ける前にすでに直感的に決めていました。ただもちろん直感だけで映画はつくれないので色々検証はしましたが……。今回、生まれつき耳の聞こえないたくさんのろう者の方たちとお会いし、そこでまずはじめに感じたのは、“自分は耳が聞こえる”ということでした。
恥ずかしながら普段生きているとそんなことすら意識せず暮らしているんですよね。自分が耳の聞こえる聴者としてこの作品を監督する以上、“聞こえる”ということを意識することが出発点だと思いました。そしてその上で、目の前にいる人がどれだけ聞こえてどれだけ聞こえないのか。ろう者も人によって難聴の度合いはさまざまなグラデーションがあるので全てを理解するなんて不可能ですが、聞こえない世界を想像する、そのことが大事だと思いました。
あえて劇伴がないことで自分たちの世界には音があふれているという当たり前のことに気づかされました。
普段と違う感覚になれるところが映画館だと思います。そういう発見があればうれしいです。そしてケイコもまた、生活の中で音をつくる人であり、リズムをつくる人であり、振動を伝える人でもあります。映画には、そのことが映っていたと思います。
映画はある意味、音声言語にも文字言語にも手話言語にも囚われない芸術
監督のお気に入りのシーンを教えてください。
本当に全てがスペシャルな瞬間なんですよね。岸井さんをはじめ出てくる人間、本当にみんな素晴らしい。隅々まで見て欲しいです。例えば、病院の待合室のワンシーンも気に入っています。別に気づかなくても全然いいのですが、ある人が本当によくて……。これは僕というより、関わったスタッフ全員が神経を研ぎ澄ませて、映画をつくるという緊張感と楽しさを味わいながらていねいにつくっていった結果だと思っています。僕のこだわりというより、僕らのこだわりが詰まったシーンばかりです。
その1つ1つの素晴らしいシーンを逃さず、リアルな音を体感するのにも映画館が向いている作品ですね。
そうですね。今回は映画館でかける作品だと強く意識してつくりました。ボクシングの試合でも、一瞬でも見逃したらその試合はほとんど見た意味ないだろうみたいなことが起きますが、映画もそれと同じで。なるべくスクリーンから目を離せないようにしたいと思いました。まぁ、そのような映画にしようとしたら岸井さんがまさに目を離せない存在でいてくれたので、僕は楽しくやらせていただいただけですが。映画館という空間を使って、さまざまな体験をしてもらえたらうれしいです。
本作はベルリン映画祭をはじめ世界中の映画祭で絶賛の声が上がっていますが、監督には反響がどのように届いていますか?
映画づくりを始めたときから、映画というものはそもそも国や時代、文化を選ばないものだと思っていました。だから新しい驚きというよりは、単に僕たちが伝えたかったことが伝わったことを確認させてもらったという感じです。映画はある意味、音声言語にも文字言語にも手話言語にも囚われない芸術だと改めて思いました。やっぱり映画って面白いなと思いました。
自分は何のために映画をつくるのかを悩んだけれど、答えは出てない
そもそも映画監督になろうと思ったきっかけはあったのですか?
中学3年生のとき、学園祭で短編映画をつくり、映画づくりは面白くて何でもできるのだと知りました。映画づくりの中には、文学も、美術も、絵画も、写真も、音楽もあるし、体を動かすこともある。映画なら全部やれるってことに気づいて、それから映画を観るようになりました。
僕は将来なりたいものを1つに絞ることができない子どもで。サッカーを見たらサッカー選手になりたくなるし、宇宙も興味あるし、探検家にもなりたい、何ならスパイにもなりたいと思っていました(笑)。触れるもの全てに興味が出てくるという感じで。普通に暮らしていたら全てを叶えることはできないけど、映画だと全部になれるんじゃないかということを発見したんですよ。かなり本気でそう思っていましたね。
どのような作品を観ていたのですか?
中学生くらいのころはやっぱりハリウッド映画ですね。当時は日本映画をダサいと思っていて(笑)。高校に上がってから少しずつ、アジアや日本の映画も観るようになり、こんなに面白いものがあるのかと知っていきました。
高校時代、観た作品で印象に残っているのは、青山真治監督の『ユリイカ(EUREKA)』(01年)とエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(00年)です。当時は監督名も話の内容もよく分からず、長尺の映画を観る自分はカッコよくない?という気持ちで映画館に行ったんです。そしたらものすごく面白くて。当時、ストーリーの全てを理解はしていなかったと思いますが、アメリカ映画と全く似つかないのに、どこか似た興奮を覚えて……。そこから映画にはいろいろなタイプがあると知り、本を読んだり、いろいろな作品を観たりしました。そして、とにかく東京に行けばいろいろな映画館があって昔の映画も観られると知り、上京したいと思うようになりました。
大学在学中に映画の専門学校・映画美学校に通われたんですよね。
大学3年生の時にダブルスクールの形で入りました。中学の時に映画の楽しみを知り、大学に入ってからは映画研究会みたいなところで映画づくりを始めましたが、下手に映画をたくさん観たせいで思ったより上手くいかないことが多くて、悔しい思いをしたんです。で次はもしかしたら、もうちょっと面白く撮れるのでは……を繰り返して。そんな風だったので就職を考えていたというより、単にやりたいことばかりやっていたらこうなったという感じです。
どのような悔しい思いをされたのですか?
映画は自分を映す鏡みたいなところもあり、複数人が関わっているのにもかかわらず、自分の未熟さが全部バレるんですよ。それが映画づくりの恐ろしさでもあるのですが、そんな自分を見つめることが本当に悔しかったです。まぁそうやってどんどん映画づくりの“何か”にハマっていったのですが……。
ちなみに学校に入ってからは、面白いアイデアが思い浮かんでつくっても、最終的に「で? だから?」と言われたら終わるなと思っていて。これは革命的だ!と思っても、それをやって世の中は何が変わるの?という問いがきたら答えられないんですよ。その問題は数年、悩みました。自分は何のために映画をつくるのかと。将来設計とか人生設計ではなくて、自分に何ができるのかとかでもなく、「映画には何ができて、映画には何ができないのか」、「そもそも映画表現とはなんなのか」ばかり考えていました。
答えは出たのですか?
全く分からないです。そしてそれはこれからもずっと探していくことかなと思っています。映画はつくるたびに面白いことや新しいことが出てくるし、ちょっと分かったと思っていても全く分からなくなる。でもそういうことを考えられるのも映画の面白さだし、役割かもしれないですね。
監督は映画を楽しんで撮っているんですね。
そうですね、楽しいです。映画づくりを超える楽しいことは多分ないんじゃないかと思います。
クリエイターにとって大事なことは何だと思いますか?
安全な環境です。失敗するために安全な環境が必要だと思っていて。それは信頼関係や時間、物理的なものなど全てに当てはまることで。例えばスタッフのことを信頼できなければ、自分が考えてきたことしかつくれないし、新しいことって何もできないんですよ。色んなものが安全であれば、大いに失敗はできます。
失敗って恐ろしいことですが、失敗しないと新しいものは絶対つくれないし、クリエイションの場には失敗はすごく大事だと思います。失敗するためにも、安全な場であることを仲間同士で確認し合えたらいいと思います。
面白いものをつくるためには、せっかくなら信頼できる仲間と大いに失敗しながら、つくっていきたいです。
取材日:2022年11月7日 ライター:玉置 晴子 ムービー: 指田 泰地
『ケイコ 目を澄ませて』
ⓒ2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会
12月16日(金)よりテアトル新宿ほか全国公開
岸井ゆきの
三浦誠己 松浦慎一郎 佐藤緋美
中原ナナ 足立智充 清水優 丈太郎 安光隆太郎
渡辺真起子 中村優子
中島ひろ子 仙道敦子 / 三浦友和
監督:三宅唱
原案:小笠原 恵子「負けないで!」(創出版)
脚本:三宅唱 酒井雅秋
製作:狩野隆也 五老剛 小西啓介 古賀俊輔
エグゼクティブプロデューサー:松岡雄浩 飯田雅裕 栗原忠慶
企画・プロデュース:長谷川晴彦
チーフプロデューサー:福嶋更一郎
プロデューサー:加藤優 神保友香 杉本雄介 城内政芳
French Coproducer: Masa Sawada
撮影:月永雄太 照明:藤井勇 録音:川井崇満
美術:井上心平 装飾:渡辺大智
衣裳:篠塚奈美
ヘアメイク:望月志穂美 遠山直美
ボクシング指導:松浦慎一郎
手話指導:堀康子 南瑠霞 手話監修:越智大輔
編集:大川景子 音響効果:大塚智子
助監督:松尾崇 制作担当:大川哲史
製作:「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会
助成:AFF
制作プロダクション:ザフール
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2022 年/日本/99 分/カラー/ヨーロピアンビスタ(1:1.66)/5.1ch デジタル/G
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
公式サイト:https://happinet-phantom.com/keiko-movie/
公式 Twitter:@movie_keiko
ストーリー
不安と勇気は背中あわせ。 震える足で前に進む、彼女の瞳に映るもの――。 嘘がつけず愛想笑いが苦手なケイコは、生まれつきの聴覚障害で、両耳とも聞こえない。再開発が進む下町の一角にある小さなボクシングジムで日々鍛錬を重ねる彼女は、プロボクサーとしてリングに立ち続ける。母からは「いつまで続けるつもりなの?」と心配され、言葉にできない想いが心の中に溜まっていく。「一度、お休みしたいです」と書きとめた会長宛ての手紙を出せずにいたある日、ジムが閉鎖されることを知り、ケイコの心が動き出す――。
この物語は実在の人物や出来事に着想を得たフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関わりはありません。