映像2023.09.02

監督・齊藤工×脚本家・倉持裕が3度目のタッグ「俳優として言われてうれしかったことを、監督として伝えました」

Vol.55
『スイート・マイホーム』 監督・脚本
Takumi Saitoh, Yutaka Kuramochi
齊藤工氏・倉持裕
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第13回小説現代長編新人賞を受賞した、家が発端となって次々と巻き起こる恐怖を描いた神津凛子によるホラーミステリー「スイート・マイホーム」が映画化。監督を務めるのは、俳優であり初長編映画監督作『blank13』(2018年)で上海国際映画祭アジア新人部門賞を獲得した齊藤工(さいとうたくみ)。また映画ならではの世界観を広げる脚本は、倉持裕(くらもちゆたか)が担当した。

舞台は、極寒の地・長野県。冬でも寒さ知らずの“まほうの家”と謳われる理想のマイホームを手に入れた清沢賢二(窪田正孝)は、妻・ひとみ(蓮佛美沙子)と2人の娘と共に幸せを噛みしめながら新居生活をスタートするが、ある不可解な出来事をきっかけに日常が少しずつ変化していく。

これまで2度タッグを組んでいる齊藤監督と倉持氏に、お互いの印象や映像化する上でこだわった点、俳優を経験している齊藤監督ならではの演出について語っていただきました。

齊藤監督はセリフに頼らず、どのように表現するかをいつも考えている

『ゾッキ』(21年)では監督と脚本家、『零落』(23年)では俳優と脚本家としてタッグを組まれていますが、お互いの印象を教えてください。

齊藤監督:倉持さんに対しては、原作をよく理解してくださった上でオリジナルのエッセンスを取り込んでくださる方という印象を持っていました。僕は『ゾッキ』と『零落』どちらも原作が好きすぎて、実写化することが読者目線で難しいのでは?と思っていたんですよ。でも倉持さんは見事に脚本に落とし込んでくださっていて、それを見たらもう絶大の信頼しかなかったです。

もちろん前作『ゾッキ』はマンガ原作で今回は小説が原作と、マンガと小説の違いはありますが、今回のように外から入り込む余地がないような一つの世界ができあがっている活字の作品をどのように落とし込んでくださるか……。倉持さんと神津先生がテキスト上でどのような融合をされるのか、倉持さんのいちファンとして単純に読みたいという期待を込めてお願いしました。

倉持さん:僕は撮影現場には行かないので、監督と一緒にする仕事は本打ち(脚本の打ち合わせ)がメインですが、齊藤監督はどうしたら映像で表現できるのかということにこだわっている印象が強いです。例えば、『ゾッキ』だと、マンガでは1コマで表現できる部分も映画では、そうはいかないので映画なりの表現の仕方について時間をかけてディスカッションしました。今回も同じで、セリフというより舞台となっている土地がいかに寒いのか、その寒さをどう表現したらいいのか等を中心に話し合いました。言葉だけではなく、画でどのように説明、表現するかをいつも考えているんだと思います。

監督は俳優として多くの作品に参加されていますが、俳優の経験が活きていると思われますか?

齊藤監督:俳優をしているからこその目線というのはあるようでないような気もします。自分が監督から言われてうれしいこと、やりやすいこと、やりにくいことがわかっているというのは大きな特徴なのかもしれないです。ただ、僕とそれぞれの役者さんはまた違うので、それが正解とは言えないですが……。

役者としてこれまで大勢の監督から教えていただいたことを思い出しながらやらせていただきました。例えば、三池崇史監督とご一緒したとき、「役づくりについての話を僕はあまりしないです」とおっしゃっていたんですよ。その理由が、役を演じられると思ってキャスティングをしているのでどう表現するかは役者に任せるとのことで。それを聞いて、俳優として何か大きなボールを監督から渡されたような気がして、自分の中で責任感と共により深くキャラクターと向き合わなければという気持ちになりました。

また『零落』で竹中直人監督にラストシーンの表情を「自分史上最低な顔をしてくれ」と撮影の直前に言われて……。これはすごく腑に落ちました。これまでは、映っていることを意識した上での表情になってしまっていたのですが、この言葉で全てが解除され、感じたことをそのまま表現できたというか。なので、今回の現場ではこの言葉をよく使いました。自分が言われてよかったと思ったことを自分なりにトレースしながら伝えていた感じかな。

これは俳優に限らずスタッフのみなさんもですが、新しい自分に出会える場になったらいいなと思いながら現場に立たせてもらっていました。

倉持さんは齊藤監督に俳優を経験しているからこその目線を感じる部分はありましたか?

倉持さん:このセリフがなぜ言いにくいのか、なぜ言えるのか、セリフでなくても表現できるといったことを俳優目線でおっしゃってくださって、その言葉に説得力と確信がありました。自分がキャスティングしたこの俳優なら、セリフがなくても芝居で伝えられますと、そう言えるのはやはり俳優を経験されている監督ならではだと思います。

ちなみに僕自身、この作品で、セリフについていろいろ学ばせてもらいました。僕は、普段は舞台の戯曲を書いています。大きな舞台だと表情や空気だけでは後に座っているお客様まで状況が伝わりにくいので、セリフには間を表現する“……”をあまり書かないようにしているんですよ。つい不安で、説明とまではいかないですが、セリフを足して間を埋めたりしていて……。

でも今回、ジャンルは違いますが齊藤監督から「このセリフはなくても伝わると思います」という話を何度かいただいて、セリフ以外で状況や感情が伝わることをこれまで以上に意識するようになりました。

監督としてつくる側に集中したいという気持ちが強かった

監督は原作に対してどのような印象を持たれていましたか?

齊藤監督:最初に原作と出会ったときに、映画にするという腹で読んでしまうと映像化できないと、どうしても思ってしまい、非現実的な難題を見つけやすくなってしまうので、極力フラットに想像力の中で読みました。そうすると、原作者の神津先生の奥まった表現みたいなものに何度も背筋がゾッとさせられ、改めて実写化は非常に困難だなと感じました。完璧で入る余地がないと思ってしまったくらい、文字だから表現できる世界だったというか。

ただ同時に、倉持さんの脚本をもとに生身の人間が演じることで原作を越える瞬間がつくれたらと思いました。これまで『ゾッキ』での九条ジョーさんの表情だったり、『零落』で役者さんが見せた原作に寄り添うだけではなく演じる側のこれまで生きてきて得た何かがにじみ出てしまう瞬間があったことを思い出して。そういった演じることで文字の表現を超える瞬間がつくりたいし、それがないと実写にする必然性が見出せないとも思いました。

そうなるとキャスティングはかなり重要でしたね。

齊藤監督:原作を読みながら浮かんできたキャストの方たちの多くが役を引き受けてくださったのでかなりありがたかったです。倉持さんが書いてくださるテキストになぞらえながら、個性あふれるキャストとスタッフの方たちと、文字が実体化していくというプロセスを楽しむような形で最後まで参加することができました。

監督は俳優として出演したいという気持ちはなかったですか?

齊藤監督:当初からディレクションをお願いしますというオーダーだったこともありますが、自分がどこかに出演しようという考えは最初からなかったです。監督として自分が画面に映ることはノイズになってしまうとどこかで感じていたんですよ。自分の声を初めて聞いたときの違和感のように、なんかひとついらない感情が増えてしまって……。どこかひと手間増えてしまうような感覚がありました。出たくないということではなく、つくる側に集中したいという気持ちが強かったです。

倉持さんは脚本家として、原作を映像化するためにどのような点に気をつけたのですか?

倉持さん:難しかったのは、やはり人物をどのように描くかということです。ずっと映っている主人公を完全なる悪者にしてはいけないというのが最初の課題としてあって……。最初はかなりいい人でどちらかというとハッピーエンドという形も考えたのですが、そうなると原作の良さが活きないと思い何かを背負っているからこそ、このようなことが起きる物語にしましょうと監督とも話し合いました。それからは、主人公をいい人すぎないように直す塩梅がかなり難しかったです。本当に試行錯誤で。やり過ぎてしまうと主人公のことを嫌いになってしまわないか、物語の先を見たいと思ってくれるのだろうか?といったことをたびたび話し合いました。

途中で疑われる人物についても、実際は潔白だとしても最初から潔白すぎてもダメ、悪くない人がなぜこんなに悪く映るのか?みたいなことにはしたくないなど、キャラクター1人1人をどう描いていくのかに、かなり悩みました。

原作では語り手が変わるのですが、その方式を採用するかどうかも何度も監督と話しつつ、主人公と犯人の2つの目線で物語を進めていくのもありかな?という案が話題に出たこともありました。本当にいろいろなアイデアを試して現在の形ができたという感じです。

本作は、家という本来落ち着くはずの場所が恐怖の対象になっていく作品ですが、撮影した家はどのように決まったのですか?

齊藤監督:家がある意味、主人公の作品だと思っていたので、家のロケハンはかなり行いました。原作にならって最初は平屋の家を探していました。地下はどれくらいのサイズがいいのかといった、細かい部分を確認しながら決めていきました。

かなり多くの家を見たことで、家というものはどこか人間のように、外側の見た目だけでは計り知れないそれぞれに秘めたる顔のようなものがあるなと感じるようになりました。家が持つ力や雰囲気というか……。

最終的にはモデルルームを貸していただいて撮影をしたのですが、家が決まったら今度はその間取りや構造を紐解いて、倉持さんに脚本に落とし込んでいただきました。(最終的に撮影現場となった家の)間取りをきちんと反映した物語になっていたと思います。

倉持さん:最初は想像で好き勝手に脚本を書いていたので、実際に撮影する家が決まってリアリティが出てきたことにホッとしたのを覚えています。家の間取りが確定したことで物語として広がった部分と、反対に、法的、物理的にできないことが出て……。今の家はハイテクが進んでいるので、何でもできてしまうんですよ。それがかえって不自由というか。ここで隠れたいけど見えてしまう……みたいなこともあったりして、そのあたりはすごく面白いと感じました。

この作品は理想のマイホームを手に入れたことで家族が壊れていく様が描かれています。

倉持さん:台本を書いているときに、原作には“理想の家族”という言葉が何度も出てくるなと気づいたんです。そしてこの“理想”というのは誰から見たことなのかな?と。主人公は4人家族ですが、それが世の中の人全員の理想かといえば違うだろうし、でも物語で描かれる家族は一見普遍的な家族でもあるし……。ここに本作のミステリーとしてのキーワードが隠れていたわけで。誰から見た“理想の家族”なのか、注目してもらいたいです。
齊藤監督:近年、韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』(19年)のように幸せそうな家族の内側を容赦なく描く兆候が映画界にはあると思うんですよ。必ずしも家は守ってくれる場所ではなく、家から出られないことが地獄だと感じる子どもがいる悲惨なニュースがリアルタイムである。そういう社会の中でこの作品を形にしていく必然性みたいなものを自分なりですが表現できたらと思いました。一見幸せに見える“幸せ風情”の内側に、本当の人間の姿があるというか。そのようなことを感じ取っていただけるとありがたいです。

個人的なこだわりを盛り込まないと自分がつくる意味はない気がする

監督として大事にしていることを教えてください。

齊藤監督:エンターテインメントの選択肢がこれだけ増えている流れもあるのですが、よりニッチだったり、個人的なこだわりやフェチシズムみたいなものだったりが、自分らしい作品をつくる上でのライフラインのようになってきている気がしています。またそういった作品のほうが、観ている人の心につながっていくのではないかと。世の中に受け入れられる要素を全部足していくと、作品に個性がなくなりまるくなってしまうと思うんですよ。近年、大衆にウケるとか文句を言われないものをつくることが求められていますが、そういったものを僕はクリエイティブの逆にあるような気がしていて。こだわりをなくしたら終わりだなと思っています。もちろんこの作品もそう思いながら撮りました。

本作ではどのような形でフェチシズム的な要素を入れていますか?

齊藤監督:魚を調理するシーンですね。大きな魚を捌いているシーンは少しグロテスクで不気味ですが、どうしても入れたくて。あとは、目を隠すアップのシーンなど、局所的なフェチシズムみたいなものを入れさせてもらっています。

例えば、魚のシーンは、海外ではなぜか笑いが起こったんですよ。意図しないことだったので面白いなと感じました。原作がある作品なら特にですが、注力して倣う部分と抗う部分のバランスによって自分らしさというものがはっきり見えてくる気がします。もちろん、映画でも演劇でもグッとくるポイントは人と違ったりするので全員に向けてではないですが、観る人に引っかかる自分らしさを今後も取り入れていきたいです。

倉持さんは脚本家として大事にしていることを教えてください。

倉持さん:監督と同じ意見ですね。今、世の中が少しずつですがメジャー、マイナーに関係なく、個々が好きなことをやろうという流れがきていると思います。もちろん仕事としてやっている以上、多くの人に伝わって受け入れられるものをつくらなければと思うこともありますが、一方で誰のためにやっているんだ?という思いもあって。個人的な思いをぶつけて自分が好きなことを提示することも大事な気がします。

こういう思いは振り子のように行ったり来たりしているものだと思いますが、今、僕自身は自分のこだわりというものを出していきたいという気持ちが大きいです。そして自分が面白いと感じることを伝えることが楽しいんですよ。自分の強い意志を大勢に向けて発することは快感でもあるというか。自分で脚本を書く上で個人的な思いをのせることを大事にしています。またそういったこだわりが詰まった作品は観ていて楽しいです。なんだか分からないけど、強いものをぶつけてきていると感じるシーンは面白いんですよ。

これからもお二人の作品にはこだわりが詰まっていくのですね。

倉持さん:もちろんです。
齊藤監督:自分のどこか変質的な部分を落とし込まないと、自分が作品をつくる意味がなくなってしまうと思います。

取材日:2023年8月14日 ライター:玉置 晴子 スチール:あらいだいすけ ムービー 撮影:指田 泰地

 ※YouTubeの限定公開期間は終了しました。

『スイート・マイホーム』

©2023『スイート・マイホーム』製作委員会 ©神津凛子/講談社

9月1日(金)全国公開

窪田正孝
蓮佛美沙子 奈緒
中島 歩 里々佳 吉田健悟 磯村アメリ
松角洋平 岩谷健司 根岸季衣
窪塚洋介

監督:齊藤 工
原作:神津凛子「スイート・マイホーム」(講談社文庫)
脚本:倉持 裕
音楽:南方裕里衣
製作幹事・配給:日活 東京テアトル
制作プロダクション:日活 ジャンゴフィルム
企画協力:フラミンゴ
©2023『スイート・マイホーム』製作委員会 ©神津凛子/講談社
公式HP:sweetmyhome.jp 公式Twitter:@sweetmyhome_jp

 

ストーリー

マイホームを手にした一家に忍びよる恐怖 ——— その「家」に秘められた真実を知ってはいけない。 極寒の地・長野県に住むスポーツインストラクターの清沢賢二は、愛する妻と幼い娘たちのために念願の一軒家を購入する。“まほうの家”と謳われたその住宅の地下には、巨大な暖房設備があり、家全体を温めてくれるという。 理想のマイホームを手に入れ、充実を噛みしめながら新居生活をスタートさせた清沢一家。だが、その温かい幸せは、ある不可解な出来事をきっかけに身の毛立つ恐怖へと転じていく。 差出人不明の脅迫メール、地下に魅せられる娘、赤ん坊の瞳に映り込んだ「何か」に戦慄する妻、監視の目に怯えて暮らす実家の兄、周囲で起きる関係者たちの変死事件。そして蘇る、賢二の隠された記憶。その「家」 には何があるのか、それとも何者かの思惑なのか。 最後に一家が辿り着いた驚愕の真相とは?

プロフィール
『スイート・マイホーム』 監督・脚本
齊藤工氏・倉持裕


齊藤工(Takumi Saitoh)
1981年生まれ、東京都出身。パリコレクションなどのモデル活動を経て2001年に俳優デビュー。『シン・ウルトラマン』(22年)、『THE LEGEND & BUTTERFLY』(23年)、『零落』(23年)など話題作に多数出演。俳優業の傍らで20代から映像制作にも積極的に携わり、齊藤工名義での初長編監督作『blank13』(18年)を発表。国内外の映画祭で8冠を獲得した。『フードフロア:Life in a Box』(20年)では、AACA2020にて、日本人初の最優秀監督賞を受賞。竹中直人、山田孝之と共同で監督した『ゾッキ』(21年)では、脚本家・倉持裕とタッグを組んだ。また、劇場体験が難しい被災地や途上国の子どもたちに映画を届ける移動映画館「cinéma bird」の主宰や全国のミニシアターを俳優主導で支援するプラットフォーム「ミニシアターパーク」を立ち上げるなどマルチに活動している。

倉持裕(Yutaka Kuramochi)
1972年生まれ、神奈川県出身。劇作家、脚本家、演出家。2000年、劇団ペンギンプルペイルパイルズを旗揚げし、すべての作品の脚本、演出を担当。またM&Oplays「鎌塚氏、放り投げる」の作・演出、劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎「乱鶯」、カズオ・イシグロ原作「わたしを離さないで」の脚本などを手掛ける。2004年、「ワンマン・ショー」で岸田國士戯曲賞受賞。「弱くても勝てます~青志先生とへっぽこ高校球児の野望~」(14年)などTVドラマの脚本も多く担当するほか、コント番組「LIFE!~人生に捧げるコント~」にも参加、映画『十二人の死にたい子どもたち』(19年) 『ゾッキ』(21年)『アイ・アム まきもと』(22)など手がけている作品は多数。

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