映像2024.07.11

繊細な演技で分け入る記憶の森、近浦啓監督の最新作『大いなる不在』

東京
エンタメ批評家・インタビュアー・ライター・MC
これだから映画鑑賞はやめられない
阪 清和

失うということ―。それは記憶であったり、関係であったり、愛であったり、さまざまな形をとっているが、失うということの痛みとゆがみが、私たちの胸を締め付ける。そして心を打ち震わせる。近浦啓監督の最新作『大いなる不在』は父親の認知症をめぐって絡み合った謎を、長く関係をないがしろにしてきた息子が解きほぐしていく物語。

長編初監督作品の前作『コンプリシティ/優しい共犯』が国際的に評価された近浦監督が、短編を含めて3作目のタッグとなる藤竜也を物語の核となる父親に起用。映像作品だけでなくコンテンポラリーダンスの分野でも目覚ましい活躍を見せる森山未來を主人公である息子に配して、父子の前に横たわった互いの積年の不在がもたらした謎を、認知症という深い霧をかき分けるように見つめていく『大いなる不在』を生み出した。

『SIGNATURE』など3作の短編と『コンプリシティ/優しい共犯』によって高まっていた近浦監督への注目は、この最新作によって一足早く海外でさらに高まり、第48回トロント国際映画祭プラットフォーム・コンペティション部門でワールドプレミアを飾ったほか、第71回サン・セバスティアン国際映画祭のコンペティション部門オフィシャルセレクションに選出。同映画祭では藤竜也が日本人初となる最優秀俳優賞を受賞し、現地の文化財団が「最も卓越した作品に与える」というアテネオ・ギプスコアノ賞を贈った。アメリカ最古の国際映画祭、第67回サンフランシスコ国際映画祭では最高賞にあたるグローバル・ビジョンアワードを受賞するなど、7月12日からの日本公開を前に勢いはとどまるところを知らない。

元大学教授だった父親、暘二(藤)とは「小さいころに母と共に捨てられた」との思いが残り、ほとんど疎遠だった息子の俳優、卓(たかし、森山)はある日唐突に、父親が警察に捕まったとの連絡を受ける。演劇仲間で妻の夕希(真木よう子)と共に久しぶりに故郷の九州の施設にいる父親を訪ねた卓は、2つの大きな衝撃に襲われる。

父親は過去の記憶があやふやで、頭脳明晰だったかつての面影もない認知症状態。自分の立場も分からずある種の妄想の中にいた。再婚して同居しているはずの妻、直美(原日出子)は行方不明になっていたのだ。


にわかにサスペンスフルな要素を帯び始める物語。

しかし、脚本・編集も務める近浦監督は、矢継ぎ早にさまざまな情報を投入して謎解きをする性急な展開をさせない。事情を調べ始めた卓と夕希が見たもの聞いたことは丹念に追いながらも、父親と義母の直美を結び付けているものと遠ざけているもの、父親と卓の間に存在するわだかまり、関係する人たちの困惑と怒りなどが時系列とは関係なくモザイクのように組み合わされ、物語の核にらせんを描きながら近づいていく。

記憶を自分に結び付ける錨(いかり)を失ってはいるものの、人間としての最後のプライドは譲らない暘二の姿を、一見静かな中で壮絶な変化で見せた藤の演技。暘二への戸惑いと愛おしさが交錯する感情を表す原の複層的な演技ともあわせ、思わずドキリとさせられる。最初はいぶかしげに分け入った父親の記憶の森でのさまよいが、人生の大いなる深遠さや自らの根底と地続きになっていくことで変化していく卓の心情を繊細に描き出す、森山の演技や、卓と同じ視点でものを見ることで、寄り添い方の次元を高めてみせた夕希の愛情のありようを伝えてくれる真木の表現も見逃せない。

森山が扮する卓が劇中で新しい芝居の台本を読み込んだり、その稽古をしたりしている様子がはさみ込まれているが、俳優が一つの芝居にあたり、セリフや稽古でひとつひとつ積み上げていく過程が、卓が父親の謎を解いていく過程とも二重写しになっているようで、妙な説得力を感じさせた。稽古のシーンは、新進の劇作家・演出家である市原佐都子と主宰する劇団「Q」が実際に出演しており、やがて物語と重ね合わされていく森山の身体表現とせりふにリアルな力を与えていた。

出演はほかに、三浦誠己、神野三鈴、利重剛、塚原大助。 エンディングテーマには、近浦監督がかつてミュージックビデオを手掛けるなどした佐野元春&THE COYOTE BANDの6作目の最新アルバム「今、何処 (Where Are You Now)」の表題曲「今、何処」が採用されている。

大いなる不在 7月12日(金)公開

テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテ他 全国順次公開
■キャスト:
森山未來 真木よう子 原日出子/藤竜也
三浦誠己 神野三鈴 利重剛 塚原大助 市原佐都子|Q

■スタッフ
監督:近浦啓
脚本:近浦啓、熊野桂太
プロデューサー:近浦啓 堀池みほ
音楽:糸山晃司
美術:中村三五
衣装:田口慧
ヘアメイク:南辻光宏

エンディングテーマ:
佐野元春&THE COYOTE BAND「今、何処」
配給:ギャガ
制作プロダクション:クレイテプス
©2023 CREATPS Inc.
公式サイト:https://gaga.ne.jp/greatabsence/
X:@GreatAbsence712

プロフィール
エンタメ批評家・インタビュアー・ライター・MC
阪 清和
共同通信社で記者として従事した30年のうち約18年は文化部でエンタメ各分野を幅広く担当。2014年にエンタメ批評家・インタビュアー、ライターとして独立し、ウェブ・雑誌・パンフレット・ガイドブック・広告媒体・新聞・テレビ・ラジオなどで映画・演劇・ドラマ・音楽・漫画・アート・旅・メディア戦略・広報戦略に関する批評・インタビュー・ニュース・コラム・解説などを執筆中です。雑誌・新聞などの出版物でのコメンタリーやミュージカルなどエンタメ全般に関するテレビなどでのコメント出演、パンフ編集、大手メディアの番組データベース構築支援、ガイドブック編集、メディア向けリリース執筆、イベント司会、作品審査・優秀作品選出も手掛け、一般企業のプレスリリース執筆や顧客インタビュー、メディア戦略・広報戦略コンサルティングや文章コンサルティングも。活動拠点は東京・代官山。Facebookページはフォロワー1万人。noteでは「先週最も多く読まれた記事」に24回、「先月最も多く読まれた記事」に4回選出。ほぼ毎日数回更新のブログはこちら(http://blog.livedoor.jp/andyhouse777/)。noteの専用ページ「阪 清和 note」は(https://note.com/sevenhearts)

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