映画ソムリエ/東 紗友美の“もう試写った!” 第41回『敵』
『敵』
▶「敵」とはなにかを語りたくなる!考察映画が好きな人におすすめ
物語の急展開度100
今年の東京国際映画祭で吉田大八監督『敵』が邦画19年ぶり三冠の快挙を達成した。筒井康隆の同名小説を『桐島、部活やめるってよ』『騙し絵の牙』の監督・吉田大八が映画化。今年で俳優デビュー50周年、そして12年ぶりの映画主演となる長塚京三が参加し、今作で最優秀男優賞も受賞した。
オールモノクロなのに!
<物語>
渡辺儀助、77歳。
大学教授の職を辞して10年―妻には先立たれ、祖父の代から続く日本家屋に暮らしている。料理は自分でつくり、晩酌を楽しみ、多くの友人たちとは疎遠になったが、気の置けない僅かな友人と酒を飲み交わし、時には教え子を招いてディナーを振る舞う。預貯金があと何年持つか、すなわち自身があと何年生きられるかを計算しながら、来るべき日に向かって日常は完璧に、そして平和に過ぎていく。遺言書も書いてある。もうやり残したことはない。
だがそんなある日、書斎にあるパソコンの画面に「敵がやって来る」と不穏なメッセージが流れてくる。
吉田監督は「自分自身、この先こういう映画は二度とつくれないと確信できるような映画になりました。」と自身の新境地であることを述べていますが、行き先を知らずに乗り物に乗った気分といいますか。まったくどこに行き着くかわからない映画になっていて唸ってしまいました。
この映画は主人公・儀助の日常、その描写が驚くほどに詳細なのが目を惹くのです。
朝、昼、晩、何をしているか、何を食べているか、誰とどんな会話をしているか。
主人公の生活を観察するように時間が過ぎていきます。
全編がモノクロなのに、香りがこちらまで届いてきそうな美味しそうなご飯は見どころの一つ。
ハムエッグ、蕎麦、焼き鳥、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に登場するメニューなんかまで、儀助はこれを自ら手際よく慣れた手つきで準備していく。それをみているだけでも面白い。
ダラダラすることなんてなく毎日をストイックに。
洗練された日本家屋で暮らす儀助の生活をみていると、こちらまで背筋が伸びていきます。
この様子から、最初は昨年公開し話題になった『PERFECT DAYS』(2023)(役所広司さん主演)のような映画だと思っていたんです。
規則正しく毎日を送る一人暮らしの男の暮らしぶり。丁寧に毎日を慈しむその様に人生のヒントを貰う・・・そんな作品かと思っていました。記憶がまだ新しいからこそ重なる部分があるのだろうと。
しかし『敵』はこの予想を裏切っていきます。後半へかけグニャりと儀助を取り囲む日常が歪み始めていくんです。静謐(せいひつ)な作品かと思いきや、物語の内包するパワーの強さに混乱しました。
そしてもうスクリーンから一切目が離せなくなるような強いドライブ感があるんです。
次のシーンの予想がまったくつかない。
「老い」ではなく「老いていく」過程を全身で疑似体験している感覚になりました。
ざわざわとした不協和音で日常生活が染まっていく流れに身を委ねるこの感覚は、未体験の領域。
生に執着していないように見せかけて、ものすごく死に怯えている様子に人間らしさがあふれていた。
そして、とにかく儀助というキャラクターが人としても興味を惹く。
元大学教授という設定も効いていて、登場する会話がまた面白いのです。
例えば頂き物の石鹸が詰め合わさったトランクケースを見て「とりあえず無難にと言う日本的精神の詰め合わせ」と表現する。
またあるときは、自分の財産を計算して死ぬべき日をXデーと表現し、行かなければならない健康診断に対しては「わざわざ自分から病気になりに行く事はない」と行きたくない意思表示をする。
さらには教える立場でもあったにもかかわらず河合優実演じる女学生に「学校って退屈との付き合い方を学ぶところだからさ」と教え、彼女の退屈を肯定する。
すべての会話に人となりが光る、味わいのある独特な人間性はみていても、とにかく飽きさせない。
そんな儀助の生活が少しずつ侵食されていく様子は凄まじかった。
さてタイトルの“敵”とは何なのだろう。
自分が守ってきた日常が破壊する何らかのことじゃないかと考える。
単純に捉えれば老いのことかもしれないし、もう少し因数分解すると生きる上でぶつかるさまざまな欲望のことなのかもしれない。観た人と語らいたい。
主演の長塚京三さんは儀助というキャラクターそのものであるかのように、パリ大学ソルボンヌに在学し、学校ではフランス文学を勉強して、フランス映画『パリの中国人』(74)で俳優デビューという経歴を持つ。長塚さんのバックグラウンドにも通ずるところがあるし、前半で見せる知的でスマートで凛とした様子、後半で自意識の向こう側に到達しているともいえる境地の芝居は静かな迫力に満ちていた。
『第37回東京国際映画祭(TIFF)』クロージングセレモニーでは引退覚悟の心境も明かしていたが、こんなに観る人を惹きつける映画の環境が長塚さんの周りにはある。
敵、だけじゃなく、たくさんの味方も実際には多いことだろう。
これからも素晴らしいお芝居をたくさん見せてほしい。
『敵』
2025年1月17日(金)テアトル新宿ほか全国公開
●出演:長塚京三、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、中島歩、カトウシンスケ、髙畑遊、二瓶鮫一、髙橋洋、唯野未歩子、戸田昌宏、松永大輔、松尾諭、松尾貴史
●脚本・監督:吉田大八
●原作:筒井康隆『敵』(新潮文庫刊)
●企画・プロデュース:小澤祐治
●プロデューサー:江守徹 ●撮影:四宮秀俊 ●照明:秋山恵二郎
●美術:富田麻友美 ●装飾:羽場しおり ●録音:伊豆田廉明 ●編集:曽根俊一
●サウンドデザイン:浅梨なおこ ●衣裳:宮本茉莉 ●ヘアメイク:酒井夢月
●フードスタイリスト:飯島奈美
●助監督:松尾崇 ●キャスティング:田端利江
●アクション:小原剛 ●ガンエフェクト:納富貴久男
●ロケーションコーディネーター:鈴木和晶
●音楽:千葉広樹 ●音楽プロデューサー:濱野睦美 ●VFX スーパーバイザー:白石哲也
●制作プロデューサー:石塚正悟 ●アシスタントプロデューサー:坂田航
●企画・製作:ギークピクチュアズ ●制作プロダクション:ギークサイト
●宣伝・配給:ハピネットファントム・スタジオ/ギークピクチュアズ
●製作:「敵」製作委員会
ⓒ1998 筒井康隆/新潮社 ⓒ2023 TEKINOMIKATA
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