映像2018.01.24

場所が変われば、世界が広がる!京都への移住が良い出会いを呼ぶ

京都
コピーライター 葉月蓮 氏
Profile
1976年、北海道生まれ。地元の大学で経済を学び、卒業後は札幌でライターとして就職。上京してテレビ局のアシスタントディレクターに。結婚・離婚を経て、ライターに戻り関西にIターン。現在はコピーライター事務所OfficeRenの代表として、ディレクションから制作を請け負っている。
コピーライターとして、数々のヒット商品を⼿がけてきた葉⽉蓮(はずきれん)さん。現在、コピーライターのお仕事と並⾏して、京都の⼥⼦⼤学にて、学校案内やパンフレットの制作、制作進⾏管理、オープンキャンパスの運営などの広報業務を担当されています。まさにディレクションもこなす、マルチライターといった印象。釧路で⽣まれ、東京、⼤阪を経て、今は京都に定住されています。それぞれの地域におけるストーリーをお伺いしました。

書く楽しみは、お礼状から

生まれ育った釧路でのストーリーをお聞かせください。

幼い頃から動物が大好きで、小鳥や犬に囲まれて育ちました。物心ついた時から「将来は獣医師になる」と信じて疑わず、それ以外の道を思いつかないほど。特に勉強が得意というわけではありませんでしたが、小学校3年生の時にすばらしい先生と出会って学びの面白さに開眼。小学校、中学校では釧路市読書感想文コンクールで入賞し、自分に自信をつけていきました。高校3年生まで獣医師になる夢を持ち続け、⼤学受験では生物系の⼤学を志望。しかし合格は叶わず、1浪した後、地元の公⽴⼤学経済学部に⼊学しました。「17歳で可能性を一つに絞る必要はない」と自分で決めた方向転換でしたが、すぐ長年の夢を忘れられるはずもありません。文系科目に一切興味が持てず、大学では勉強もそこそこに映画とアルバイト、友人との交流など遊び三昧の毎日を送りました。

学生時代に、今のお仕事に繋がるエピソードがあれば教えてください。

幼稚園くらいからお礼状の習慣をつけてもらいました。お年玉をいただいた時、親戚の家に遊びに行った時など、お世話になった方全員にお葉書やお手紙を送るのです。ある時「いとこ全員に同じ文面を送るのはどうだろう」と思って母に相談したところ「帰り道の様子を絵に描いてみたら」と提案してもらい、⼯夫する面白さを知りました。学校に上がってからも国語は得意科目でしたが、私以上に姉が長けていたこともあり、特別自分が得意な方だとは思っていませんでしたし、その道に進むなんて夢にも思ってもみませんでした。

「書くことが好き」という気持ちから、コピーライターの道を選ばれたのですか?

正直、ライターという道は考えていませんでした。⼤学卒業後は銀⾏などの⾦融関係の会社に勤めたいと思っていたくらいです。私がなりたいのはあくまで獣医師で、それ以外なら地元で安定して暮らしていけたらいい、と考えていました。そんな時、就職活動中に出会った⾯接官が私の作⽂を⾒て、マスコミへの就職を勧めてくれたのです。それもいいなと思い、札幌にある広告代理店に⼊社しました。厳しい上司のもと、営業、イベント企画、ライティングとさまざまな業務を担当させていただき、映画や飲食店の紹介記事や温泉体験記などを担当。コピーライターという仕事があるのを初めて知ったのはこの時です。

なるほど。しかし、ご経歴を拝見すると入社6年目で退社されています。何があったのでしょう?

結婚して上京しました。入社2年目の時に東京から札幌に転勤してきた関連会社の方とお付き合いをスタート。東京に戻る時に私も付いていくことになりました。当時、私は29歳。札幌では自主映画のチームの立ち上げるなど充実した毎日を過ごしていましたが、結婚適齢期といわれる年頃でしたし、新しい人生への好奇心もあり、迷いなく北海道を離れました。

わだかまりからの解放、しかし、苦難は続く

解き放たれた東京での生活はいかがでしたか?

水を得た魚のようでした。自主映画を制作していた私は、本場の制作現場を体験したいとテレビの制作会社に就職。アシスタントディレクター(以下、AD)として有名スポーツ番組を担当させていただきました。札幌から出てきたばかりなのに、誰もが知っている番組の制作に携わることができたのです。手を伸ばせばチャンスが転がっている東京に驚きましたね。三日三晩の徹夜が続いたり、⼀週間連続で朝帰りしたりの日々でしたが、そんなスピードの早ささえ楽しくて仕方ありませんでした。問題は、結婚していたこと。夫もマスコミ関係の会社に勤めていましたが、妻のハードな毎日は許せなかったようです。彼の我慢の限界を超え、止む無くテレビ業界を離れました。獣医師の夢も、制作のキャリアも、自分のやりたいことはすべて手からこぼれ落ちていく……そんな気持ちでしたね。相手の望むように生きていくことが結婚なのだろうか、と悩み続けた結婚生活。結局、価値観の違いから離婚を選択しました。札幌時代からずっとそばにいてくれている⼆匹の愛犬と暮らす未来のために、就職活動をスタート。物価、環境、かつ影響力のある面白い仕事がありそうな街として浮上したのが大阪でした。知り合いは少なかったのですが、東京で取得したドックトレーナーのライセンスも生かして念願の動物専門広告代理店に就職しました。

移り住んだ大阪はどのような印象でしたか?

「ここは海外!?」というくらい、環境の違いに⼾惑いました。驚きの一つが東京への敵対心。東京で大阪の批判を聞いたことがありませんでしたし、人情味ある浅草の方々を知っている自分にとって、心無い批判を聞くのは悲しいことでした。そして会社では社長からのセクハラやパワハラにも遭い……高層ビルの窓から見えた梅田の街がとてもとても広く感じて、「二匹を抱えて、この見知らぬ街でどうやって生きて行こう」と寂しくなったことを覚えています。しかし、その後に働いた通販会社では上司や仕事仲間に恵まれました。学歴にこだわらず、個性を認め合える環境があり、とても居⼼地の良い職場でした。その頃から⼤阪に馴染めるようになり、⾃然と⾔葉も関⻄弁になりました。

確かに違和感のない関西弁ですね!その後の展開について教えてください。

安定した収⼊を得るため、別の会社に就職しました。しかし過酷な労働条件だったことと、飼っていた⽝が病気で歩けなくなり、アレルギーがひどくなったので、もっと⽝たちと⼀緒に時間を過ごせる仕事に就こうと思った⽮先、東⽇本⼤震災が起きました。「北海道に帰ろうかな」と思いました。正直、疲れていたんです。しかし、ここでも好奇心が勝ち、せっかくであればもう1都市くらい関西の別の街へ⾏ってもいいんじゃないかと思ったのです。

アートと土地が結びつく、京都の魅力

そして、京都を選ばれたのですね。京都にはゆかりがあったのですか?

観光でもほとんど⾏ったことがありませんでした。ただ、⾯⽩そうだなと。そう思いながらも、京都の⼈は外ものを受け⼊れてくれないというマイナスイメージも持っていたことは確かです。友達にも「やっていけるの?」と⼼配されました。まずは仕事先として京都の会社に決め、⼤阪から通うことにしました。仕事は、通販関係の広告代理店でコピーライティング。ここでは通販広告のロジックを⼀から教えていただきました。学んでみると結果に直結する面白さ、数学的なわかりやすさが自分にぴったりとはまり、会社の蔵書をほぼ読破するなどのめり込んでいきました。数か月後には京都に移住。幸運にも最初に担当した広告が⼤当たりしたほか、社内ブログのページビュー数も⼀番をとるなどあらゆることが好転し始め、「独⽴」という⾔葉が頭によぎり始めたのはこの頃です。企画から考える⼒もこの会社で⾝に付きました。やがて通販ロジックを活⽤して新たなビジネスができるのではないかと考えるようになり、約2年で独立しました。

京都で仕事をする魅力は何だと思われますか?

京都では街中でアートイベントがたくさん⾏われていますし、その作品の⾃由度が⾼くて、まさにアーティストの街だと感 じます。その環境がまさにクリエイティブに⽣きるのです。先日もとある⼤学で⾏われていたVRイベントに参加して、VRの可能性にとても興味を持ちました。そして⾃分でも作ってみたいと3DCG動画を制作したのです。3DCGスキルは大阪時代に働きながらスクールに通って修得していましたので抵抗感はゼロ。題材は私の家の近くにある松尾⼤社です。松尾⼤社はお参りに⾏くと、仕事のオファーがあったり、いい出会いに恵まれたり、私にとってパワースポットのような⼤切な場所。そういったアートと⼟地が結びつき、⼀つの作品になることこそ、京都の魅⼒だと思います。いつかこの動画をVRに変換したいと思っています。

京都での出会いは、私にとって大切な出会いばかり

今でもコピーライターとしての仕事がメインだとお聞きしています。コピーライターとして大切にしていることを教えてください。

コピーを届けたい相⼿を想像して、その⼼に響くようにライティングする事を⼤切にしています。どういう⼈で、どのような好みがあり、どう⽣きてきたかなど、ターゲット像を細分化して、明確にします。この作業は役者が⾏う役作りと似ているかもしれません。男性目線は男性になりきって、⼥性目線は⼥性になりきって書くので、常にスタート時点では目線をフラットにします。そのうえで「こう言われたら喜ぶかな」「ワクワクするかな」と考えながら書いていくのが楽しくて。広告は土足で人の心に入り込んでしまうものだから、傷つける言葉や表現を使っていないかは気をつけています。あと、⼤切にしていることといえば、情報のアンテナを絶えず張っておくこと。結果を⽣むコピーを作るためにはいろんな情報を得ることが⼤切だと思っています。

京都における、今後のビジョンについて教えてください。

知り合いのデザイナーやカメラマンに声をかけて、新たなビジネスを⽴ち上げようと案を出し合っています。やれることから進めて⾏こうと、先日は⼤学院にも出願しました。MBAを取得したいと思ったのです。結果はダメでしたが、そう思えたのも学生の街・京都にいるからこそ。大学が多いので、自分が求めさえすれば学びの機会はたくさん得られる環境なのです。10年も関西にいるのに、そう気づけたのはごく最近のこと。もったいないですよね。そう思って今年は、京都にいないとできないこと、今しかできないことをどんどんやっていこうと思っています。ビジネス系では今話題のプログラミング言語、プライベートでは路地裏探索をスタート。種まきしながら、いつかビジネスにつながればいいなと思います。
こうしてチャレンジできているのも、家事や⽝の世話をしてくれるパートナーと出会えたから。人生を諦める結婚ではなく、人生にチャレンジできる事実婚を選択しました。そういうありがたい環境があるからこそ、今の仕事ができていると感謝しています。京都での出会いは、私にとって、まさに⼤切な出会いばかりでした。

一つの場所に固執することなく、柔軟に

このサイトではクリエイティブに関わる多くの方が見られています。コピーライターを目指している皆さんに一言アドバイスをお願いします。

私の実感としてですが、ホームページやSNS、リスティング広告など、広告効果を測定できる媒体が生まれてからは、「結果」を求めるクライアント様が多くなったと感じています。最近ではデジタルサイネージもAiによって広告効果も測定できるそうです。つまり、これからはもっと「結果のでるコピー」が求められていくということ。結果を決めるのは、上司ではなく消費者という傾向が強まっていくでしょう。いかに消費者の行動を喚起できるか、その入口として通販ロジックの勉強をおすすめします。売り感満載のコピーが良いと言っているわけではありません。ロジックさえ理解できれば、それをさまざまな広告に応用することが可能なのです。イメージコピーと通販コピー、両方のメリットを組み入れていくことが次につながっていくのではないでしょうか。マーケティングやロジックを説く書籍はたくさん販売していますし、実際、私も書籍から得たことを生かして結果を出してきました。CMもWeb記事もどんどん通販のロジックを⽣かしたものに変わりつつあると感じますし、通販ロジックは学んでおいて損はありません。食わず嫌いにならず、ぜひ挑戦していただきたいジャンルですね。

最後に、Iターンで得たことを教えてください。

各地を渡り住んだ私だからこそ、いま改めて思うことは、場所を変えれば世界が広がるということです。ひとつの場所に固執するのではなく、もっと柔軟に考えてみると良いと思います。ぜひ、Iターンという考え⽅も、⼈⽣設計の⼀つに⼊れてみてはいかがでしょうか?

取材日:2017年11月22日 ライター:7omoya

葉月蓮(はずきれん)

1976年、北海道生まれ。地元の大学で経済を学び、卒業後は札幌でライターとして就職。仕事のかたわら自主映画を制作していたことをきっかけに、上京してテレビ局のアシスタントディレクターに。結婚・離婚を経て、ライターに戻り関西にIターン。そこで「売れるコピーライティング」の世界を知ってのめり込んでいく。現在はコピーライター事務所OfficeRenの代表として、ディレクションから制作を請け負っている。

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