ミッション12 「発祥の地へ行け!」
- ミッション12
- 電通第5CRプランニング局 クリエーティヴ・ディレクター / コピーライター 門田 陽
こんにちはじまり!(ゴロ悪ィな)
第1章 銀座
2019年の始まりは、ずいぶんザックリとした指令です。どこからどう手をつければよいのか迷います。こんなとき僕は仕事の場合、何かのヒントを求めて大きな本屋さんか大きな文房具屋さんへ行くことが多いです。あ、どちらも「大きな」というのが大事。そこには本や文房具という具体的なアイデアの塊の中に知のモチベーションが高めの人や僕と同じように悶々とした人たちの悩ましい魂がさまよっていて意外な切り口を発見したり、きっかけを掴むことがときどきあるのです。
今回も、まず行ったのが銀座の伊東屋。ここにはしょっちゅうお世話になります。3年位前にリニューアルして小洒落たカフェみたいになって以前ほど好きではないのですがそれでも品揃いは流石ですし、店員さんのエプロン姿や待ち時間長過ぎのエレベータなどは他ではあまり見かけません。
しかし今回はお店の中ではなく着く直前に突如神様が降りてきてくれました。銀座中央通り伊東屋のお隣のティファニーの前を横切ったとき、目の端に見えた石碑。ふだんは全く目に入っていませんでした。なんとそこには「銀座発祥の地」(※写真①)とあります!場所が銀座なので当たり前といえばそれまでですが、江戸時代はこの地で銀貨を鋳造していたのですね。お金のある所には当然人が集まってくるので次第に大きな街になり「銀座」というブランド名が全国にも広がったわけです。今では東京だけでも戸越銀座や十条銀座、砂町銀座など銀座と名が付く商店街が100近くあるそうです。
第2章 新橋~横浜
伊東屋の傍らで銀座発祥の地を見つけたあとにふとある光景が脳内をよぎりました。僕が会社への行き帰りに毎日通る新橋のSL広場(※写真②)。そうだ、新橋は鉄道発祥の地といつの日か教科書で習った微かな記憶があるようなないような(この表現のときは大概「ない」のですが 笑)。行ってみると発祥の地は現在の駅や広場から東へ250mの所にありました(※写真③ 因みに右後方のビルは僕の勤務先)。灯台下暗し、そこの真ん前のお店で僕はよくランチをしています。知りませんでした。ふだんいかにボーっとしているかの証拠。完全にチコちゃんに叱られます。あ、そっか!鉄道ですから必ずもう一つ発祥の地があるはずです。1872年、新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通。「いやなにおい(1872)の鉄道開通と覚えれ!」と吉村先生が独特なイントネーションで叫んでいた高校の授業が生まれて初めて役に立ちました。すぐさま横浜の方を確かめに向かいました。当時は新橋・横浜間をノンストップで53分掛かったそうですが今は普通列車で24分、料金は現在の貨幣価値だと約5,000円もしたそうです。147年間で時間は半分に料金は10分の1以下(470円)になっています。横浜(桜木町)の発祥の地(※写真④)は新橋に比べるとひっそりと佇んでいました。
第3章 横浜
さて、せっかく横浜まで来たので何かほかにも発祥の地はないだろうかと探してビックリ!まずは何に驚いたかというとグーグルマップ!!検索で「発祥の地」と入れると、出るわ出るわ。今自分がいる場所周辺の発祥の地が次々と現れました。横浜は発祥の地の宝庫。しかもほぼ同じ地域に固まっています。山下公園とその周辺だけでも灯台(※写真⑤)、西洋理髪(※写真⑥)、パン屋さん(※写真⑦)、電話(※写真⑧)、消防救急(※写真⑨)、ガス灯(※写真⑩)、アイスクリーム(※写真⑪)、写真(※写真⑫)、クリーニング(※写真⑬)、洋裁(※写真⑭)等々10箇所以上の発祥の地がありました。ここは港町。物流はもちろん、人の情けも行き交う場所なのできっと多くのモノやコトや命が生まれたのだと思います。仮説を一つ立てました。海の近くに発祥の地あり!
第4章 築地
続いては、海の近くの法則を信じ、おそらくあるだろうと睨んだ場所でグーグルマップを開くと予想通りありました。そうです、ここは東京築地。豊洲移転のため市場の中にあった海軍発祥の地の石碑は見ることができませんでしたが、活字(※写真⑮)、靴業(※写真⑯)、指紋研究(※写真⑰)、そして慶応義塾(※写真⑱)を始め女子学院、明治学院、立教学院、雙葉学園など13もの学校が明治時代にこの地で生まれています。他にも築地は海軍やミッションスクールがあった影響で日本初のサンタクロースや運動会の発祥の地でもあるのです。市場がなくても築地恐るべしなのです。
第5章 福岡~桜新町
と、築地まで回ったところで年が暮れ(※指令自体は12月の頭に出ています)、故郷福岡に帰省してのほんのひととき。福岡もまた海の近くの法則が当てはまります。そういえば何かのテレビ番組で地元の星の博多華丸・大吉が「日本の文化の9割は福岡が発祥」とうれしいホラを吹いて、そのときに「サザエさん」は福岡発祥の話をしていました。そうなんです!「サザエさん」の連載は地元の新聞がスタートでその後東京に移るのです。あまり知られていませんが、福岡の街(福岡市早良区)にもサザエさん通りがあって(※写真⑲)、作者とサザエさんの像や(※写真⑳)サザエさん発案の地という石碑(※写真㉑)のある磯野広場もあります。正直言うと僕は初めて行きましたし、子どもの頃はありませんでした。東京に戻って桜新町のサザエさん通り(※写真㉒)を歩いたのですが、こちらの方はもうすっかり街に溶け込んでいてリアルな不動産屋さんの前には花沢さんのパネルがあったりして(※写真㉓)楽しくなります。
ところで僕の持論ですが、サザエさんって古典落語みたいだと思うのです。ネタは同じものの繰り返し。それを今の時代にどう見せるか。これってまるでコピーやCMプランの話にもなりそうです。
第6章 上野
毎年毎年、年が明けると(この頃は12月から煽っていますが)必ずやっている駅伝大会。今年も正月、実家のテレビでは駅伝が映っていました。駅伝の始まりはどこなんだろう?調べてみると予想外な場所でした。ときは1917年。スタート地点は京都三条大橋でゴールは上野不忍池。これが世界初の駅伝でその距離514キロを23区間に分け昼夜を通して3日がかりで走ったそうです。その上野に石碑があるということなので東京から戻ったその日に行きました。はい、確かにありました(※写真㉔)。なんと100年も前からやっているのですね。日本人は駅伝が好物。そういえばちょうど12年前の猪年。箱根駅伝で流すCM(クライアントは今はもうないJOMO)に「人間以外の動物は長く走ることができない。人はどこまで走るのだろう。」というコピーを書きました。発祥の地を巡る中でぼんやりとですがクリエイティブの大元みたいなものが見えてくるような。錯覚かもしれません。
第7章 高岡
さて、第5章でサザエさん発祥の地をさまよっていたときにウスウス気付いていた今回どうしても行かなきゃいけない場所。サザエさんが古典落語ならこちらは新作落語。それは最近の若手に企画を頼むと何案かに一案は必ず入っていて、僕も若い頃の企画にはやはり必ず一案は入れた例のアレの生まれた場所。
そうです!ドラえもん発祥の地。そこは富山県の高岡市。あまり前知識を入れずにともかくエイヤと行ったのは高岡市のおとぎの森という公園。ドラえもんの作品にあるあの空き地を再現してつくった「ドラえもんの空き地」。ジャイアンの後ろにある土管がとてもいい感じ(※写真㉕)。そこにはのび太やスネ夫やしずかちゃんに混ざって遊んでいる作者本人がいそうです。同じ市内にある藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーのほうは期待したぶん拍子抜け(小さかったのです)でしたがこの公園はワクワクでした。ただ季節的に雪があって走ったりできなかったのでぜひまた夏にでも訪れたい。何かが生まれた場所には何かを生むフシギな力みたいなものが潜んでいるのかもしれません。人をワクワクさせることって、できそうでできないよなぁ。今回はクリエイティブの種を探す探検でした。
第8章 おまけ
最後は今回の探検中に拾った小ネタをいくつか紹介して終わりにします。
☆銀座の伊東屋の社長は伊東さんではなく伊藤さん。
☆新橋駅発祥の地にある鉄道歴史展示室は入場無料でのんびりできる。
☆山下公園で横浜銀蝿をガンガンかけて踊っている人たちは現存する(※写真㉖)。
☆初詣スポットのひとつ築地本願寺(※写真㉗)にはおみくじは置いていない。
☆もうひとつおみくじネタ。寄席の発祥地である上野の下谷神社(※写真㉘)のおみくじは男用と女用がある(※写真㉙)。
☆うどんとそばと饅頭の発祥は福岡の同じ場所(※写真㉚承天寺)。
☆桜新町の長谷川町子美術館(※写真㉛)は外観に比べて中身があまりにもスカスカ。でもグッズは充実!
☆高岡市の藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー(※写真㉜)も中身はアレアレ?って感じ。だけどこちらもグッズはグッド!
というわけで、発祥の地だけに8章(はっしょう)でおしまい、お後がよろしいようで、って売れない落語家のようなラストでごめんなさい。また、次回の探検で会いましょう!