映像2020.06.17

『精神0』と“仮設の映画館”。想田和弘監督がみせた2つの仕事

Vol.015
映画『精神0』監督
Kazuhiro Souda
想田 和弘

岡山市で精神医療に人生を捧げた御年82の医師、山本昌知(やまもと まさとも)氏。彼にスポットを当てた『精神0』(せいしんぜろ)が公開されました。多くの患者に信頼された山本氏が医師を引退し、奥様とのゆるやかな時間が流れていきます。

本作は想田和弘(そうだ かずひろ)監督自身がカメラを回し、編集してつくりあげたドキュメンタリー。BGMもナレーションも一切ない素の映像が、観客にさまざまなことを考えさせる“観察映画”です。精神医療のリアルをスクリーンに映し出し、大きな話題になった前作『精神』(08年公開)から約10年。再び山本医師にカメラを向けた想田監督に、本作について、そして観察映画について語っていただきました。

また本作は、新型コロナウイルスの影響で多くの映画館が休館を余儀なくされているなか、インターネット上に作られた“仮設の映画館”で公開されています。こちらはただのオンライン上映サービスではありません。鑑賞料金を実際の興行収入と同様、映画館と配給会社、制作者に分担するシステムで、本作以外の映画も観ることができます。

想田監督には“仮設の映画館”をどのように実現したのかについてもうかがいました。今回はViva!映画特別編として、観察映画『精神0』と“仮設の映画館”を同時に取り上げます。

一番大事なことは、映画をご覧になった皆さんの想像に委ねたいです

2009年のベルリン国際映画祭をはじめ、世界で絶賛された『精神』に登場した山本昌知先生を、なぜ再び撮ることにしたのですか?

『精神』のときは患者さんをメインにしてカメラを回させていただいたのですが、その中で山本先生をいつか撮りたいという気持ちが芽生えていきました。先生は精神科病院がすべて閉鎖病棟だった1960年代に、病室の鍵を取り払う運動をされていた先駆者でした。

先生は常にそっと患者さんに寄り添っていらっしゃるんです。あと、精神を患っている人に素顔で出てもらうドキュメンタリーというのは、普通は医療機関から許可をいただけません。ところが山本先生はすんなりと許可をくださっただけでなく、公開時にはいろいろサポートしてくださって……。そのときに「この人は一体何者なんだ ? もっと知りたい!」と思うようになりました。

ただ、なかなか機会が巡って来ず10年経っていた2018年の2月に、「来月、山本先生が引退されるけど、撮らないんですか?」と『精神』に出演してくださった患者さんから連絡があって。この機会を逃したら撮れないので、あわてて岡山へ行きました。

山本先生をどのように撮りたいと思われたのですか?

僕は、観察映画の十戒として、被写体や題材のリサーチはしない、台本は書かない、行き当たりばったりでカメラを回すのをポリシーにしています。

なるべく先入観を持たずにカメラを回して、目の前の現実をよく見てよく聞いて“観察”し、発見したことを素直に映画にしていくやり方なんです。今回も同じで、山本先生を映すことでどんな映画が生まれるのかは、撮るときは考えなかったし、分からなかったんですよ。ただ「先生を“観察したい”という思い」だけがありました。

今回はどのようなことが映っていたと思いますか?

それは観る人によって変わってくると思います。老いてきた親を思い出す人もいれば、自分の老いや仕事や結婚について考えさせられる人、尊敬の念を持って「山本先生のようになりたい」と思う人もいるかもしれない。僕は観察映画で、メッセージや情報ではなく、体験を伝えたいと常々思っています。僕自身がカメラを回しながら目撃したことを、観客にも映像と音を通して疑似体験していただきたいんですよ。

そこで感じることは皆違って当たり前。千差万別でいいと思います。ちなみに僕は、先生も一人の高齢者なんだと感じました。診察室では神のような存在で、皆に頼りにされ、誰かが助けを求めたら手を差し伸べられる人物ですが、一歩外に出ると、とたんに助けが必要な存在になるんです。そして家事がすごく苦手そうで(笑)。人間らしさを感じました。

本編では山本先生が引退される理由は語られていないのですが……。

そうですね。ポリシーとして、一番大事なことは聞かないというのがあるんですよ。何でもかんでも話してもらうのは好みじゃない(笑)。「一番大事なことは、映画をご覧になった皆さんの想像に委ねるのがいいかな」と思って聞いていません。

“観察映画”は多面的なもので、あふれている世の中を映しだす

ナレーションや音楽で盛り上げていく“ドキュメンタリー”とは異なり、目の前で起こっていることを淡々とみせる“観察映画”ですが、なぜ撮ろうと思ったのでしょうか?

かつて僕はNHKのドキュメンタリーを撮ることが多かったのですが。テレビのドキュメンタリーは、まず被写体についてリサーチをして打ち合わせもし、こういう画が撮れると分かった上で台本を書いていくんです。その台本には起承転結があって、ナレーション案も撮影する前に台本へ書き込みます。すると撮影をする前から自分が書いた筋書きに縛られてしまって、予想通りのことしか撮れなくなってしまうんですよ。そういうことを続けるうちに、ちょっとずつ疑問が出てきたのがきっかけでした。

なかでも大きかったのが、「9.11」ですね。僕は当時もニューヨークに住んでいましたが、NHKから「悲しみを乗り越えて一致団結するニューヨーカー」というテーマで特番を作りたいという話が来たんです。そこで消防士や犠牲者の家族とかにスポットを当てるのが一番ぴったりくるという話になり、台本を書き、撮影に行きました。でも現場に行ってみると、そうじゃないことばかりに目が行ってしまって……(笑)。

例えば、グラウンドゼロ周辺の道にはワールドトレードセンターの土産物を売る仮設の店舗がたくさん出ており、観光客がそれを買い込んで、まだ煙が出ているところでピースサインで記念撮影をしている。また、近所の問屋街で入手困難だった星条旗を取り合いしている姿もあって……。

僕は面白いと思って撮影するんですが、すべてボツになるんです。「“悲しみを乗り越えて一致団結するニューヨーカー”というテーマからかけ離れている」との理由で。でも人間っていろんな側面があって、それを映してこそのドキュメンタリーじゃないかなと思うのです。

カメラを向けることによって、何かを発見し、何かを学ぶことが、ドキュメンタリーの大事な意義であるのに、それをわざわざ捨ててしまっている。今思えば、これがターニングポイントでしたね。

本作では山本先生の日常を映すことで、医師としての姿と妻・芳子(よしこ)さんのことをいたわる夫の姿が垣間見られました。

僕にお茶を用意してくださるシーンがありますが、その様子を観察させてもらうだけで、山本先生の現在や過去のことがよく分かると思います。ドキュメンタリーといえば派手な事件を追いかけたりするものだと思われがちですが、目の前で起きていることをじっくり見て、耳を傾ければ、それで十分なんです。きっと何か発見があると思います。

ただし、発見したり感じたりすることは、そのときどきで変わっていくものだと思っています。

例えば、昔見た映画を今観ると「こんな面白かった?」と思うことってありますよね。当時は分からなかったけれども、年を重ねたから理解できたり……。映画って、最終的には観客の心の中で作られるものなんですね。

“仮設の映画館”は 閉じるのが目標。映画館に行くことは、単なる作品を観るだけの行為ではない

https://www.temporary-cinema.jp/

『精神0』は全国36館で封切る予定でしたが、コロナ対策で新作を配信する“仮設の映画館”でまずは公開されました。経緯をお話ししていただけますか。

映画館が閉まっていたり、開けていてもお客さんが行きにくいという状況で、映画館だけではなく配給と制作会社も潰れないためにはどうすればいいか、と配給会社の東風さんと考え出したのがこの“仮設の映画館”です。実は4月の頭まではアイデアすらなく、思いついてから2週間ほどの期間でシステムを作りあげました。そんな状況だったので、自分たちでプラットフォームを作る余裕はなく、vimeo(ヴィメオ)という既存の動画配信サイトを使用しました。本当に名前の通りの「仮設っぷり」です(笑)。

東風代表の木下さんが言っているのが「この映画館は“閉じる”のが目標」ということ。映画館はまだ当分人数制限をしなければならなかったり、回と回の間に十分な時間を取らなければいけないので、通常通りの営業はできない状態が続くでしょう。そのような中で、ひとつの選択肢として、ネット上で新作の映画が観られる場所を提供できればと思っています。

監督にとって映画館とはどのような場所ですか?

建物自体に独特のオーラがあって、子供の頃から神聖な場所でした。劇場の重たいドアを開けると、どこか未知の世界に入っていく感じがありました。いまだに畏怖の念みたいなものが体に染みついています。また他の人の反応が伝わってきて、自分では気付かなかった新たな発見もありました。僕にとってはそんな出会いが待っていた場所です。

映画作家としては、「映画館とは観客に立ち向かう場所だ」とも思っています。観客と作り手は対等の立場で、観るものと観られるものの勝負というか……。作り手も色んな労力や時間をかけて映画を完成させますが、観る側もわざわざ時間を作って電車や車に乗って来てお金を払って観るわけなので。大げさに言うと「真剣勝負の場」です。

それは配信だとまた違った感じになりますか?

配信となるとまた変わってきますね。今、コロナ禍で、内装や食器などにこだわっているレストランもテイクアウトを始めているじゃないですか。仮設の映画館は、あれに近い。料理は同じだけど、実は全く異なるものになっているという。レストランで食事をするという行為がただ料理を食べるだけではなく、そこで何をするか、誰と行くか、何を感じるか……など、ソーシャルな意味があるわけなので。それと同じことが映画でも言えます。映画は単に作品を観るだけの行為ではないのです。

あと配信は基本的に個人的な行為ですよね。映画館で映画を観ていると、無言のうちに他人の反応が自分にも伝わってきて、自分一人では気づかなかった発見が得られたりもします。コロナが収まったとき、映画館の大事さに改めて気づかされるような気がしています。

自分の外と内の対話から生まれるものがクリエイティビティー

クリエイターとして大事にしていることを教えてください。

一番大切なのは、よく見てよく聞くことです。撮影の時もそうですが、編集の時も撮ってきたものを何度も観察し直し、映像や音声が語りかけてくることに耳を澄ませて、感じ取る作業をしていきます。自分の思い通りに作品を形作るのではなく、作品が行きたい方へ行くのを“邪魔しない”ことを大事にしています

撮影で瞬発力が必要なときに、気を付けていることはありますか?

撮影中、一番邪魔なのは雑念です。この人にこういうことを言ってほしいとか、こう見せられたらいいなという気持ちが絶対出てくるんです。そう考えているということは気持ちが今になく、未来へ飛んでしまっている。目の前のことに100%集中できておらず、今を邪魔している。僕はそんな雑念が生まれたときには、気持ちを切り替えて目の前の現実を観察するようにしています。

観察できるのは「今、ここ」のことだけで、未来のことは観察できませんから、観察していると自然に意識が「今、ここ」に降りてきます。

きちんと目の前のものを観察して、何を感じるかが大事なんですね。

これって、すべてのことに当てはまると思います。紋切り型の表現やよくある企画を打破していく、唯一の方法でないかと。世界というのは複雑怪奇で、面白いことに満ちあふれています。なるべくそこから影響を受けた方がいいですよ。

よく「クリエイティビティーは自分の内から絞り出すものだ」と思われがちですが、外で起きていることを受け入れて化学反応を起こしていくことが大切だと思います。外と内の対話から生まれるものがクリエイティビティー。外を拒絶してしまうとつまらないものにしかならないですよ。

取材日:2020年5月21日  ライター:玉置 晴子

『精神0』(せいしんぜろ)

[東京]シアター・イメージフォーラムにて公開中、ほか全国順次

※現在は仮設の映画館https://www.temporary-cinema.jp/ にて配信公開中

監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作:柏木規与子
製作会社:Laboratory X, Inc 配給:東風
2020年/日本・アメリカ/128分/カラー・モノクロ/DCP/英題:Zero

 

プロフィール
映画『精神0』監督
想田 和弘
1970年生まれ、栃木県出身。東京大学卒業後、渡米し、ニューヨークの「スクール・オブ・ビュジュアル・アーツ」映画学科へ。1995年、在学中に製作した短編『花と女』がカナダ国際映画祭で特別賞を受賞。1996年には長編『フリージング・サンライト』がサン・パウロ国際映画祭新進映画作家賞にノミネート。1997年には『ザ・フリッカー』がヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞にノミネートされる。その後、NHKのドキュメンタリー番組の制作を経て、2005年に初めての観察映画『選挙』を、2008年には第二弾として『精神』を製作。ベルリン国際映画祭をはじめ世界で絶賛された。他にも『選挙2』(2013年)、『港町』(2018年)など、観客が疑似体験できる観察映画を作り続けている。2020年『精神0』の公開を前に、合同会社東風と共に“仮設の映画館”をインターネット上にオープンした。

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