映像2020.08.05

島田隆一監督が伝える被災地の”いま”「取材した人が将来この作品を見てどう感じるのか、今から楽しみです」

Vol.017
映画『春を告げる町』監督
Ryuichi Shimada
島田 隆一
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東日本大震災で福島第一原発事故による全町避難を経験した福島県広野町の人々の“いま”を伝えるドキュメンタリー映画『春を告げる町』。2016年から1年かけて撮影された本作は、避難先で暮らしている高校生や広野町で生まれた女の子・あんちゃん、仮設住宅暮らしを余儀なくされた人々、旧来の祭りを復活させるために動くグループなど、町に戻って暮らすことを選んだ人々に取材をし、それぞれの考える“復興”を希望とともに映し出しています。

被災体験をモチーフにした演目で悩む、高校の演劇部の作品作りをベースに、それぞれの人の町に対する思い、震災への受け取り方を、暖かい視点で紡いだ本作。島田隆一(しまだ りゅういち)監督に、撮影するきっかけやドキュメンタリー映画のあり方、今後の映画界について語っていただきました。

町で暮らす人々を描くことで“いま”を映していく

福島県広野町に関わる人たちの“いま”を伝える作品でしたが、撮影しようと思ったきっかけは何だったのですか?

私は広野中学校で映像教育に携わっている縁で、役場の方から広野町の今を映像で記録に残したいと相談を受けたのがきっかけでした。お話をいただいたのは2015年で震災から4年以上経っていましたが、自分が被災地でドキュメンタリー映画を撮ることの意味を考えてしまい、すぐ快諾はできず…。でも翌年広野町に通い、自分の中で広野町に対する理解が深まったので撮影を始めることにしました。

記録映画としてスタートしたのですか?

広野町民は福島第一原子力発電所事故のため、震災直後から全町避難をしなければならなかった。当時は本当にいろんな出来事があって、役場職員の方も写真などでしか当時の状況を残していなかったようで、映像として“いま”を残しておきたいという考えがありました。特に2015年から2016年は、町にどんどん新しい建物ができて様変わりするタイミングだったので、その様子も収めておきたかったのだと思います。ただ、私としては町並みを撮るというより、「そこに住んでいる人たちの思いを描きたい、撮るならきちんとしたドキュメンタリー映画にしないと」と考え、町に関わる人たちの取材を始めました。

人を撮ることによって広野町の“いま”を映したのですね。

広野町は住んでいらっしゃる人それぞれの立場で、思いや考え方が本当に違うんです。特に原発事故に対してはある人だけの思いで描くと、それは町の“いま”を映していない気がして…。

また、演劇部の生徒たちだけで1本作れるボリュームはあるのですが、彼らは自分が経験したことに対する思いは語れるものの、、それはとても極私的で曖昧なものだと思います。彼らは震災当時、まだまだ幼かったので。私はこの映画でもっと多くの世代の人たちや町に関わる様々な人たちの思いを描きたいと思いました

映画の中で地元のお祭りの復興を協議するシーンがありましたが、あれなんてまさしくそうで、立場によって違った考え方が出てきます。人がいればいるだけ考え方があるんですよね。町は人のまとまりではあるのですが、人同士には心の距離があります。また広野町と原発がある双葉町との物理的な距離など、色々な距離を描くことができたと思っています。

“復興”を考えることはそれぞれがどう生きるのかを考えていくこと

高校の演劇部のメンバーが「“復興”とは何か?」の答えを見つけるために悩んでいる姿が描かれますが、監督にとって“復興”とは何だと思いますか?

正直にお答えすると、「これが“復興”だ!」という答えは明確には見つけられませんでした。作中に2017年に広野町で生まれたあんちゃんという女の子がシンボリックに描かれていますが、彼女が大きくなったときに、今の状況を少しは軽くしてあげたいです。あの土地で生まれて育つということは、原発事故のことを否応なく考え続けなければならないと思います。本当は「もうそんな過去のことは未来を生きるあなたは考えなくていいよ!」と言ってあげたいけれど、現状を考えるとそれはなかなか言えない状況です。彼女が大人になっていく過程で、演劇部の高校生のように「“復興”とは何か?」を考えるときが出てくるかもしれません。そのときに、寄り添って、その背負わなければならないものを少しでも軽くしてあげられたらと思っています

余所者の私に出来ることは限られていますが、それでもそのように関わっていくことが、私にとって「復興」に関わることだと思っています。

作品を撮る前はこの答えが出ると思われていましたか?

私は意外とクールに「その答えは出ない」と思っていました。というより、「“復興”とは何か?」という質問は、大げさに言うと「なぜ人は生きるのか?」のような問いに近いと思っていて。「なぜ」を問うと禅問答のようになってしまう恐れがあります。それよりも「どう」生きるのかを考えていくことが、“復興”を考える上では重要だと思っていました。

映画の中に「仮設住宅での暮らしは良かった」と話す高齢者が出てきます。彼女にとっての仮設暮らしとは新たなコミュニティーが形成され、病院や商店が徒歩圏内にある便利な暮らしでした。だから町に戻ると不便ということになります。一方、多くの地方都市が抱える問題として、若い人たちの仕事がなかなか見つからないということがあります。そのように人によって背景や状況が異なる中で、私たちはどのようにして「より良い社会」を目指すのか、ということを考えるべきだと思いました。

その「より良い社会」は個々人によって捉え方が違うでしょうし、簡単には答えが出ません。そしてこれは、決して被災地の問題だけではなく、東京に住む私にとっても同じことなのだと思います。

「春を告げる町」というタイトル同様、明るい未来が待っているといいですね。

このタイトルは、もともと広野町に付けられた「東北に春を告げる町」というキャッチフレーズからいただいています。内容的にも、春前から撮影して翌春で終わるのでちょうどよかったのです。いろんな思いが詰まっている作品で、映画自体も暗くないため、すごくマッチするタイトルになったと思います。

製作中、試行錯誤を繰り返していく中で映画は映画となる

撮影をする際に大切にしていることは何ですか?

ドキュメンタリーは実際に生活をしていらっしゃる方たちを取材するので、コミュニケーションはかなり大事だと考えています。正直あまり話したくないことや触れてほしくないことにも、我々はズカズカと入ってしまう時があります。それによって、時には対象者の方たちを傷つけてしまう場合もあるかと思いますが、それでも相手と関係を作り、少しは気持ちの負担を減らすことはできるかなと。

あとやはり撮影中も編集作業をしている時も、「これは映画になるのか?」と不安でいっぱいですね。それは同時に私にとって“映画”とは何かを問い続ける時間でもあります。もちろんそれとは別に、映画館で多くの方に見ていただける作品になるのかも、当たり前ですけど大事です。

“映画になる”とはどういうことですか?

映画が“映画になる”というのを言葉で表現することは、非常に難しいことですね…。ただ、作る人間としての実感として、その映画が立ち上がってくる瞬間が確かにあるような気がします。それは完成した時というのともまた違っていて、撮影中や編集中に起こります

私は映画を作りながら、常に映画を観てくれる人を想定しつつ、“物語”や“意味”を考えています。“物語”や“意味”は観客に対して共感を生み出す作用があり、それが映画を観続ける求心力として作用することがあると思います。ただ共感は時に、観客の思考を停止させ、対象者の人生を単純化してしまう危険性があります。ですから本当はその“物語”や“意味”にまとめていきたくはない、という思いも強くあります。

「私が知っている現実は、このようなものではない」という思いに導かれるように試行錯誤を繰り返します。そして、そういった構造から解き放たれる瞬間、映画が“映画になる”と言えるのかもしれません。作品を作りながらでしか到達できないものがあるから、私は映画を作っているのだと思います。そこを突き詰めていった時に、「なぜこれを撮ったのか」という核心に触れる瞬間、それが映画が“映画になる”瞬間なのかもしれません

その人の人生に深く関わる、関わり続けていくのがドキュメンタリー映画

監督はいつ頃からドキュメンタリー映画の監督になりたいと思ったのですか?

10代の頃は『スタンド・バイ・ミー』といったアメリカ映画が好きで、自分で作りたいと思いました。今の日本映画大学に入学して学んだのですが、2年生のとき担任が安岡卓治さんというドキュメンタリーのプロデューサーで、その出会いがドキュメンタリー映画との出会いでした。

フィクションを撮るとき、80歳のおばあさんを登場させるならおばあさんが話す口調で台詞を書いて、彼女が好むようなセットを作らなければならないんですが、若い私にはそれが想像できなくて…。自分の知識のなさと社会を知りたいという欲求から、外にカメラを向けてそこで暮らしている人たちの思いを撮影するようになりました

それで一度撮り始めると、そう簡単に止められないのがこの世界で。やはりその人の人生に深く関わってしまうので、映画を撮り終えてもずっと関係は続きますし、問題も続くんですよ。何年経っても撮影させていただいた方から連絡がきたり。今回もこの作品で出会った人たちと、あんちゃんをはじめ、これからもつながっていくと思います。あんちゃんが20歳になったときに、様変わりした町をどう思うのか、今からすごく楽しみです

映画を完成させたいという強い思いが周りを動かす

今回は震災という逃れることできない天災に見舞われた町の人々を描いていますが、公開中にコロナ禍に見舞われました。そのときの気持ちを教えてください。

公開が3月21日だったのですが、劇場は開いているけどなかなかお客さんが足を運びづらい状況になり、その後、映画館が閉まってしまいました。今は再び上映されていますが、劇場に集えない状況は結構モヤモヤしましたね。一つの空間に集まって、多くの人と一緒に見ることを前提として作っているので。でも途中「仮設の映画館」という配信で、映画を公開するサービスにお声をかけていただき本当にありがたかったです。

 

やはり映画館で見るのと家で見るのでは違いますか?

皆さんにとっては、ハリウッド大作のような作品はやはり大画面で見た方がいいと思うかもしれませんし、3D作品などは劇場でしか味わえないと思われるかもしれません。ただ、地味な作品作りをしている私たちはどうかと問われれば、もちろん映画館で楽しんでいただくために映像や音も工夫してきました。ですからパソコンやスマホの画面で観て頂くのと、映画館で観て頂くのとでは圧倒的に違うはずです。ただ、それでもこれだけ配信作品が増えていく中で、我々がどう生き残っていくのかは非常に厳しい状況だと思っています。それは今後の課題ですね。圧倒的な価値観の変革が求められているのかもしれません。まだ、なにも思いついてはいませんが、従来通りのやり方では駄目だなという危機感だけは強く持っています。

ただひとつ言えるのは、個人的にやはり映画館が良いなと思うのは周りに人がいるということ。自分が興味を持っていなかったシーンでも周りの人が笑ったらそこに興味が出てくるし、同じシーンで皆が感動して一体感を持つこともあります。そこで生まれる観客同士のケミストリーを含め、劇場で見る楽しさやメリットに応える映画を追究していきたいです。

映画監督として大事にしていることは何ですか?

すごく難しい質問ですが、1つは「作り続けること」。私は今、日本映画大学で教壇に立っていますが、私より知識があったり、映画に対して真摯(しんし)に向き合っていて面白い発想をする学生は結構いるのですが、1作目をなかなか作らない。うまくまとめることができなくても形にすれば、自分に足りなかったことやダメだったところを見つめ直せるので、作ることはすごく大切です。

もう一つは、全く逆なんですが、「映画とは何か」を考え続けていることです。私が好きな小説家が、「小説家はデビュー作を書いたから小説家になるのではなく、デビュー作を考えているときから既に小説家なんだ」ということを言っています。これは映画監督にも言えることではないでしょうか。

つまり私が言いたいのは、“映画監督”というのは職業のことだけを指すのではないということです。“映画監督”というのは、映画について考え、映画の可能性を押し広げていく人のことでもあると思うわけです。

ご自分が “映画監督”になったと自覚したのはいつですか?

私はまだ自分のことを“映画監督”だと自覚はしていません(笑)。確かに世間から監督と呼ばれるようになったのは、2012年に29歳でデビュー作『ドコニモイケナイ』(’12年)を発表してからです。ただそれは先ほど申し上げたように、デビュー作を作ったからそう言われるようになっただけのことで、私にとって大した意味はありません。私にとって“映画監督”というのは、その作品を観て圧倒され、私の人生の価値や意味さえも変えてくれた映画を作ってくれた先達の方たちに与えられた言葉だと思っています。ですので私は自分のことを、“映画監督”と名乗ることをまだまだ躊躇してしまう部分があります。

最後にクリエイターにとって必要なことは何だと思いますか?

実は私はどこかで撮らされているという感覚があり、クリエイターだとはあまり思っていません。ただ「形にしようとする“思い”」は大事だと思います。私のデビュー作なんてまさしくそうですが、撮りためた膨大な映像を誰にも見られることなく終わってしまうのがどうしても納得できず、出来不出来は気にせず自分が完成と思えるところまで持っていこうとする“思い”だけで作ったところがありますから。もちろんいつまでも“思い”だけでは駄目だなとも思いますが。

正直、私は撮影が下手ですし、編集もできないし、プロデュース能力もありません(笑)。でもそれらはいろんな人が助けてくれています。そして“思い”もまた変化していきます。何度も一緒に仕事をしたことのあるスタッフとは、作品作りに対する課題や思いを共有する部分が増えていきます。自分の思いを伝えて、そういった人たちを巻き込んでいくのもすごく大事なことだと思います。

取材日:2020年7月15日 ライター:玉置晴子
※オンラインにて取材

『春を告げる町』

全国順次公開、上映会募集中

出演:
渡邉克幸 新妻良平 帯刀孝一 松本重男 松本文子 藤沼晴美
福島県立ふたば未来学園高等学校演劇部
監督・撮影:島田隆一
プロデューサー:加賀博行 島田隆一 助監督・録音:國友勇吾
編集:秦岳志 整音:川上拓也 音楽:稲森安太己
協賛:アサヒグループホールディングス株式会社
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)独立行政法人日本芸術文化振興会 製作:広野町 JyaJya Films
配給:東風
2019年/日本/130分/DCP/ドキュメンタリー

■公式WEBサイト: https://hirono-movie.com

■公式FB: https://www.facebook.com/hirono.documentary/

■公式Twitter: https://twitter.com/hirono_movie

プロフィール
映画『春を告げる町』監督
島田 隆一
1981年生まれ、東京都出身。ドキュメンタリー映画『1000年の山古志』(2009年)に助監督として参加。以降、フリーの映像制作者として多くの企業PR映像を手掛ける。9年前から撮りためていた映像をつないで作ったドキュメンタリー映画『ドコニモイケナイ』(2012年)で監督デビューし、日本映画監督協会新人賞を受賞。2014年には東日本大震災から2年半経った福島県いわき市を舞台にした『いわきノート』を撮影するなどドキュメンタリー監督として活躍。プロデュースした『桜の樹の下』(2016年)は毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞受賞。

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