名古屋に住んで20年──。自分の限界を決めず、似顔絵、看板絵、鳥瞰図、絵本と活躍の場を広げ続けてきた「昭和レトロ画家」の現在地
- 名古屋
- 昭和レトロ画家 安楽 雅志 氏
- Profile
- 1975年生まれ。広島県呉市出身。愛知大学文学部を卒業後、イラストレーターの道を歩み出す。鳥瞰図(イラストマップ)、昭和レトロ感覚の飲食店の壁画や看板、ユーモア感覚溢れるポストカードや絵本などさまざまなジャンルに活動の幅を広げ、現在に至る。名古屋市在住。
「どんな絵を描いても、僕のテイストが感じられる作品であってほしい」
似顔絵師としての活動が長い安楽さんですが、鳥瞰図や看板絵の仕事も数多くこなし、今年は絵本も出版されました。多彩な顔をお持ちですね。
似顔絵師や鳥瞰図絵師、看板絵師に絵本作家と、メディアでクローズアップされる部分によって色々な呼ばれ方をしています。ロゴデザインの仕事もありますし、イラストレーターという範疇に収まりきらなくなってきたというのは感じていますね。現在の活動を一括りにして言うなら、“昭和レトロ画家”といったところでしょうか。
仕事の内容は本当に多岐に亘りますが、安楽さんの絵には常にどこか懐かしさを感じますよね。
色々な絵柄にチャレンジしたこともありますが、やはり、どんな作品を描いたとしても自分ならではのテイストが感じられる絵であって欲しいという気持ちがあります。そうした中で絵師として行き着いた先が、「懐かしい」「迫力がある」「ユーモア」。この3つの要素の内のどれか一つでも奏でられていれば、それが“安楽雅志の絵”だという思いで描いています。
似顔絵と鳥瞰図。熟練の絵師が指摘する共通項とは
プロの似顔絵師としてキャリアを重ねられる中で、街のイラストマップ=鳥瞰図を描くようになったのは、どういうきっかけだったんでしょう。
僕が所属している「プレジャー企画」の「お絵かき隊」のメンバーたちは、全国のショッピングセンターや観光地をめぐって描いています。僕も色々な土地を訪れる中で地図を描いてみたいという気持ちが湧いてくるようになっていって。そんなときに、テレビ局から旅番組で使うイラストマップを描いてほしいという依頼があったんです。それで、手を挙げて、僕がやりますと。
それまで興味はあったものの、絵地図を描いたことはなかったんですよね。いきなり、テレビ局の仕事を受けて描くことになったんですか?
似顔絵だけでなく色々な絵を描いてみたいという気持ちはありましたし、それが仕事に結びついてくれれば言うことなしですよね。仕事という形になることでモチベーションが上がるんです。渡りに船という感じでした。
それまでと全然違う絵をいきなり描くことに、不安は感じなかったんですね。
“気後れ”するようなタイプだったら、何にも出来ていなかったでしょうね(笑)。20代の後半の頃で、絵の仕事で何とかして食っていかなければと思っていましたし、「できません」と言っていたらどこからも仕事は来ませんよね。ただ、今思えば、けっこう無謀なチャレンジだったかもしれません(笑)。
でも実は似顔絵と鳥瞰図は共通するところがあるんですよ。似顔絵って人の顔をデフォルメして特徴を強調するじゃないですか。鳥瞰図というのも、街の中のある部分を強調して大きく描いたり、逆に極端に小さくすることで、特徴を際立たせるわけです。
デフォルメしながら“街の顔”を描くということなんですね。
似顔絵はその人の特徴をどこか大袈裟に描かないと、面白いね、似てるねってならないですよね。鳥瞰図の場合は似顔絵よりもさらに極端に強弱をつけて、全体の見立てをつけていきます。
昨年描いた「名古屋市大鳥瞰図」は、名古屋市役所の河村市長の応接室に飾られているそうですね。
看板絵のクライアントの方から市長に何か寄贈したいという相談を受けて、名古屋市の鳥瞰図なら歴史を記録する価値もあって良いのではと提案させていただきました。
名古屋の鳥瞰図でしたら、やはり名古屋城や名古屋駅前、栄あたりが強調されるわけですね。
そうですね、ピックアップした箇所を巨大に描いて、その他のものが小さければ小さいほど対比が際立つことになります。鳥瞰図を描き始めた頃はどれも大きく描いてしまって、まとまりがつかないこともありました。小さいものを極端に小さく描くようにしたらだんだん感覚がわかってきて、その土地を肌で感じられるような面白い地図が描けるようになりました。
「昭和食堂」店内壁画の依頼から看板絵師のキャリアをスタート
30歳の頃からは飲食店の看板の仕事も手掛けるようになりましたね。これはどういうきっかけだったんでしょう。
「昭和食堂」のフランチャイズオーナーさんから、店頭や店内の壁を絵で飾りたいというご依頼があったんです。昭和食堂のお店は昔のポスターを飾っていることが多かったので、自分のお店はオリジナルの絵にしようと。それで、誰か看板や壁画を描ける人はいないかという話になって、僕がやることになりました。
テレビ局の地図の仕事同様、まったく初めてのチャレンジだったわけですね。
似顔絵を描けるんだから、看板や壁画も描けるだろうという気持ちで(笑)。もちろん、直接手描きで壁に絵を描くなんて仕事を手掛けたことはありませんでしたが、昭和の感覚を描くことには自信がありました。
懐かしさを感じさせてくれて、視覚的に迫力があり、ユーモアもたっぷりという安楽さんの絵は、たしかに昭和テイストの飲食店の看板にぴったりですね。
看板を見た人が楽しい気持ちになってお店に入ってみようと思ってくれれば大成功ですよね。その後、ホルモン屋さんやたこやき屋さんをはじめ、色々なお店からお声をかけていただきました。
今年3月にはショッピングセンター「ヨシヅヤ名西店」の巨大壁画が完成しましたね。
全長8メートル、高さ6メートル、2階建ての家くらいの大きさですね。家族の団らんをテーマに、名古屋の歴史と未来、観光名所や愛知県名物と盛りだくさんに描かせてもらいました。
迫力のある構図の中に懐かしさを感じさせるタッチで笑顔が溢れていて、まさに“安楽雅志の絵”ですね。
商品パンフレットの仕事での“無謀なチャレンジ”が絵本作家の道を拓いた
今年2月には“コワくて笑える〈激辛〉食育絵本”『カレー地獄旅行』が出版され、絵本作家という肩書きも加わりました。
小冊子のオリジナル絵本を作って、イベントで販売するという活動を行っていたんです。そうした中で、たまたま絵本作家の荒井良二さんと出会って、「自分が本当に読みたい作品を作ったらいいんだよ」とアドバイスをいただいて描いたのが『カレー地獄旅行』だったんです。それが出版社の方の目に留まって、絵本になりました。
絵本作家になりたいという想いは以前から持っていたんですか。
初めから考えていたわけではなくて、色々な仕事を受けている中で、結果的に絵本に繋がったという感じですね。
似顔絵や鳥瞰図、看板とは違う仕事から絵本に繋がる道ができたわけですか?
商品パンフレットの作成の依頼があって、どうすればその商品をアピールできるかという打ち合わせをしている中で、マンガにしてみましょうと提案したんです。もちろん、マンガを描いたことなんてなかったんですけどね(笑)
またしても、無謀なチャレンジだったんですね(笑)
今まで描いたことがないから仕事を断るということはないですね。95パーセント、依頼は受けています。それで、1〜2ページ程度のマンガを自分でストーリー立てして描いている内に、マンガのストーリーはこうやって作ればいいんだなというのが徐々に掴めてきました。
新しいことに何度もチャレンジして、それを自分のものにしてしまうのが安楽さんのスゴいところですね。
失敗したこともありますよ。萌え系のイラストは無理でした(笑)。でも、最初はちょっと大丈夫かなと思うような仕事でも、そこから成長が得られることは多いんです。パンフレット用のマンガのストーリーを色々作ったことで、今度は自分のオリジナル作品を描いてみたいという気持ちが強くなりました。それで、小冊子の絵本を自分で作り始めたことが今回の出版に繋がったんです。
「カレー地獄旅行」は、カレー好きだけど野菜が大嫌いな主人公の男の子が、ワガママが過ぎてカレー地獄に落ちてしまうという物語ですが、「煮込み地獄」で煮込まれたり、「包丁地獄」で刻まれそうになったりと、一見恐ろしげな展開の中にユーモアたっぷりのお話ですね。
ダジャレが好きなので、その要素はたっぷり盛り込ませてもらいました。絵はがきも制作しているんですが、“透き通り過ぎる美肌をあなたへ 〈クラーゲン〉”や、“押しつぶされそうな心奮わす〈マケナイン軟膏〉”みたいに、絵の中に笑える要素が必ず入っているんです。自分にとっておもしろいと思うもの、口でつたえやすいものを描くようにしています。
広島県呉市出身の安楽さんは、大学進学を機に愛知県に出てきて、卒業後はフリーで名古屋を拠点に活動するようになったそうですが、どこかに就職することはまったく考えなかったんですか?
中国の文学や歴史、文化に関心があって、中国と繋がりの深い愛知大学に進みました。当時は中国ビジネスが台頭してきた時代で、貿易関係の仕事をしていければという思いもあったんですが、人のモノを扱うよりも自分の作品を売っていきたいという気持ちが強くなってきて、絵を描くことを仕事にしようと決めました。それで、在学中に知り合ったイラストレーターの方を頼って、名古屋に住み始めたんです。
特にコネのないフリーの立場で、すぐにイラストで食べていくことはできなかったと思うのですが?
「いつ公園で寝るようになるの?」と周りからは言われていました(笑)。そんなときに、プレジャー企画「お絵かき隊」の専属アーティストとして似顔絵の仕事がコンスタントに入るようになって、ようやく生活が安定しました。
名古屋での生活も、もう20年になりますね。
出身は広島で大学は豊橋でしたから、名古屋に来ても“よそ者”でしたし、駆け出しの頃は苦労しましたが、それでも、“ここで頑張ってやっていこう”という熱意と、そこから生まれた人とのご縁が積み重なって、ここで仕事を続けて来られたんだと思います。
UターンやIターンで名古屋に活動の場所を考えている人にも、安楽さんの経験は参考になりそうですね。
どこに住んで仕事をするかは本人次第ですが、“この街に住んでもいいかな”と思えるのであれば、真剣に関わっていくのが一番だと思います。色々な人との繋がりが構築していければ、最初は苦労してもきっと道は拓けるのでは、というのが僕なりの実感です。
第2の故郷”となった名古屋、そして愛知県との繋がりを深めていこうという活動もされているということですが。
20年間住んでいて、自分の住んでいる地域のために何かできることはないだろうかという気持ちはあります。愛知県や名古屋には海外からの観光客があまり訪れないというイメージがあるじゃないですか。それを何とかしたいと頑張っている人たちがいて、その仲間たちと一緒に愛知県の良さを引き出し、伝える運動にチャレンジしています。
また、新しいことへのチャレンジになるんですね。
日本の真ん中にこれだけ大きな街があって、周りにも魅力的な街がたくさんあるし。もっとそうした街の魅力を発見して、それを発信していくことが、結果的に僕の今後の創作にも活かされていくと思うんです。
さらにジャンルを広げてのご活躍を期待しています。ありがとうございました。
取材日:2017年6月21日 ライター:宮澤裕司
安楽 雅志(あんらくまさし)
1975年生まれ。広島県呉市出身。愛知大学文学部を卒業後、イラストレーターの道を歩み出す。25歳のときから名古屋の「プレジャー企画」専属似顔絵師として活動を開始。NCN全米似顔絵選手権で抽象/デザイン部門1位を受賞するなど似顔絵師として実績を積む。その後、鳥瞰図(イラストマップ)、昭和レトロ感覚の飲食店の壁画や看板、ユーモア感覚溢れるポストカードや絵本などさまざまなジャンルに活動の幅を広げ、現在に至る。名古屋市在住。
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