「なんでもやればできる!」新しいことへのチャレンジで常に最新の技術を磨く
- 札幌
- デザイナー&ECコンサルタント 花田 良 氏
- プロフィール
- 北海道札幌市在住、十勝出身。専門学校卒業後、デザイン事務所、フリーランス、インクジェットプリントオペレーター、ECサイト店長など様々な仕事を経験。グラフィックデザイン、Webデザイン、ECサイト制作、コーディングなど幅の広い技術を身に着け、2013
年に改めて独立。フリーランスでWeb制作、ECサイト制作などを請け負う。
多様な経験から幅の広い知識と技術を構築
花田さんはグラフィックデザインからWebデザイン、そしてコーディングまでされると伺いました。そのような幅の広い技術を身に着けた経緯を教えていただけますか?
仕事としてのスタートはデザイン事務所でのDTP業務ですが、学生時代は3DCGをやりたかったんです。専門学校のCG学科に入り、バイト代でMacを買いました。就職活動では東京の大手CGスタジオを受けたりもしましたが全滅。私は当時のCG制作用のソフト3d studio Max (スリーディー・スタジオ・マックス、現3ds Max)も触ったこともなく、無謀にもコンシューマー向けのソフトで作った作品を持って受けに行ったのですが、美大や芸大出身の方の作品を見て札幌と東京のレベルの差を思い知らされました。札幌には当時3DCGの会社はほとんどなく、いくつかあったゲーム会社もレベルが高くて正社員では難しい……結局、知り合いのつてで製版会社の下にあるデザイン事務所に就職をしてそこでDTPを担当したのが始まりです。専門学校ではCG学科だったので、DTPの知識は授業で習った基本的なものだけです。「アウトラインをとる」とか「RGBはCMYKに変換する」とかそんなレベルで入って、実務でDTPを勉強させてもらいました。デザイン事務所を2年ほどで退職し、その後はお付き合いがあった方から仕事をもらいながら仲間とフリーペーパーを作ったり、Tシャツのデザイン&販売に手を出して大借金を作ってみたりとフリーとして働きながらフラフラと過ごしていました。
デザイン事務所でDTPとグラフィックを学ばれたのですね。Webの知識はどうやって身に着けたのでしょうか。
フリー時代にADSLが出てきて「インターネット元年」と呼ばれる時期が来て、一般企業もこぞってホームページを作るようになりました。クライアントから「HPを作ろうと思っているのだけど花田さんできる?」と聞かれ、その時点でWebの知識は全くありませんでしたが「できます!」と答えて仕事を受注し、本を買ってきて調べながら制作しました。これがWebとの出会いです。当時はWebの技術もまだそこまで複雑ではなくて、グラフィックデザイナーがWebサイトを作るのも珍しくなかったと思います。5ページくらいのカンタンなサイトでフラッシュを使って動くバナーを作ったり、マウスポイントをキラキラさせたり、フォントタグで装飾したり、CSSを使ったらちょっとオシャレくらいの時代でしたから。
フリー時代にWebデザインの分野にも足を踏み入れたのですね。
その後、縁があって大型インクジェットプリンターのオペレーターとして再度就職しました。インクジェットでのぼりやポスター、看板などを出力、加工していました。社内の制作物はデザインをすることもあったのですが、基本は広告代理店から入ってくる案件で出力8割、断裁やパネルなどの加工1割、修正などのデザイン1割といった割合です。途中から広告代理店とのつながりで営業にも関わるようになります。その後ヘッドハンティングじゃないですけど印刷会社から声をかけてもらって「工務」という職種で転職しました。工務というのは営業と制作の橋渡しをする仕事です。営業が受注した案件に対して紙や工場の手配をしたり制作のスケジューリングを管理したり、今でいう制作管理的な職種ですね。
営業視点を持ち、「売れるページ」を作るクリエイターを目指す
本格的にWebに携わるようになったのはどんなお仕事でしょうか。
印刷会社もすぐに潰れてしまったので次はオフィス機器販売会社に入りました。残念なことに初月から給料が遅延するような会社だったので、ここも半年ほどで辞めることになるのですが、この次に転職した会社がちょうど楽天市場へ出店をするということで、ここでWebとECに本格的に携わることになりました。ゼロベースでイチから調べ学びながらECサイトの作り方や出店作業を覚えていきました。
その後はちょうど自社サイトや楽天市場への出店を始めたばかりという北海道の海産物を販売する会社に転職。ここでは楽天市場や自社サイトの店長としてEC部門の責任者を任されました。
店長というと売上数字に対する責任もあるのではないでしょうか?
当時その部署の業務領域としてこの商品、このページでいくら数字を作るという売上責任も持たされていました。そして同時にサイトのクリエイティブの点でも成果を求められていて、営業とクリエイティブの責任を同時に背負う特殊な部署でした。ECサイトは最終的には売上を上げるのが目的ですが、数字を見ながらクリエイティブをできる人はなかなかいません。その点私は過去の経験の中で営業や管理業務を経験していたことが大きな強みとなっているなと感じました。
その会社を退職後にフリーランスとして独立されたわけですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
これと言ったきっかけはないのですが、仕事がとにかく辛かったんですよね。ちょっと心を病んでしまって「もう数字とか言われたくない。毎日自分が作りたいものだけ作って生活していきたい。」と思って辞めてしまいました。元同僚が制作案件を振ってくれて、やってみたら「意外とできるもんだぞ」って。今から考えるとまだまだ足りてない部分も多かったと思いますが、そこは思い切ってみてよかったと思います。もちろん、今もデザイン案件だけ受けているわけではないので、WebにしてもECにしても目的を果たすために企画や制作をする部分は同じです。この会社での経験も当時はとても大変でしたが、今の仕事に活きていると思います。完全制作サイドの視点だったのが、営業的視点を持てるようになったのが大きいですね。
まずはやってみる!業務を通して学びながら必要な技術を身に付ける
現在の仕事はどんな分野が中心ですか?
Web制作が7~8割、残りの2~3割がEC制作&コンサルです。ECコンサルと言ってもコンサルフィーをとっているわけではなく、ページを作るにあたってこんな企画をやってみませんか?とか、他社ではこんな商品展開してますよ、などのアドバイスをして、それに基づいたデザインをする感じです。Web制作に関してはデザインのみ、コーディングのみを受けることもありますが、プランニングからローンチまで一貫して受けることも多いです。紙のデザインは年に数件程度ですね。
コーディングは進化が早いので技術的についていけなくなり、手が回らなくなってしまうデザイナーも多いと思うのですが、花田さんはどうやって日々学んでいるのでしょうか?
時間効率を考えるとデザインだけを担当していた方が儲かるとは思うんです。ただ、個人的な嗜好として、試行錯誤しながら新しい技術を学んで新しい挑戦をすることが好きだったから今まで続けてこられたと思っています。例えばHTML5にバージョンアップした時、どんなことができるんだろう?と新しい機能を試すのも楽しいですし、デザインする際には技術を学ぶためにもできるだけ新しい機能を取り入れたデザインにするように心がけてもいます。最初にWebサイト制作を受注した時もそうでしたが、基本的には今わからなくても「やればできる」というスタンスです。予算と時間さえ叶えばアプリ開発だってやりますよ!仮に予算が少ない案件でも新しいことにチャレンジできるのであれば、半分勉強だと思って時間をさいても良いと思っています。
今後新しく挑戦したいことはありますか?
私は十勝出身なのですが、地元の同級生に農家の跡取りが多く、農場を法人化したり、ネット通販を始めたり新しい挑戦をしている人がたくさんいます。地元への恩返しではないですが、ゆくゆくはWebやECの分野でお手伝いができたらいいなと思っています。ネット通販に挑戦してみたいと思っている農家は多く、実はネット通販パッケージの営業もけっこう来るみたいなんです。ただ、現状では現場のマンパワーとリテラシーが足りていないので、大金をはたいてECサイトを作っても作っただけで終わってしまうことは目に見えています。色々課題はありますが、サイト制作から運営代行までしっかり組み込んだパッケージを安く提供できれば実現するのではないかと前々から考えています。あとは社内の構造改革ですね。特に店舗や卸などの本業があるところほど、ネット通販を始めてもサイトだけを作って、その後は放置となってしまうことが多いですから。第1次産業のネットリテラシーがまだ低い業界に切り込んでいきたいと思っています。
取材日:2018年12月25日 ライター:小山 佐知子
花田良/デザイナー&ECコンサルタント
北海道札幌市在住、十勝出身。専門学校卒業後、デザイン事務所、フリーランス、インクジェットオペレーター、ECサイト店長など様々な仕事を経験。グラフィックデザイン、Webデザイン、ECサイト制作、コーディングなど幅の広い技術を身に着け、2013年に改めて独立。フリーランスでWeb制作、ECサイト制作などを請け負う。