『OFUKU5-KARATE CATHARSIS -』チェルシー映画祭2020ノミネート&上映決定!
東京
株式会社ハセガワエスティ
『OFUKU5~チェルシー映画祭2020年-KARATE- CATHARSIS -』がチェルシー映画祭2020年にノミネートされ、10月15日~18日の期間上映されることが決定した。同作品はOFUKU -the movie-、OFUKU2-mother-、OFUKU3-lose way-、OFUKU4-separation-に続く、5作目にあたる。
チェルシー映画祭では2016年以降、連続ノミネートおよび上映がされており、2作目のOFUKU2-mother-では主演女優賞を受賞。今年は上映に先駆け、監督・脚本の阿久津五代子(ハセガワエスティ代表取締役)へのオンラインインタビューも予定されている。
本シリーズは江戸時代に明暦の大火で別れた母を探すため、369年生き続け旅を続けているOFUKUが道中で出会う人々に勇気を与えるロードムービー。出会う人々はそれぞれ、絶望している人だったり、大切なものを失くし、失意の底にいる人だったり、借金に追われ苦労している人だったりするが、いずれもOFUKUと出会うことで、新しい自分に気付き始めるための、カタルシスがあり、それが作品の魅力にもなっているのが特徴的だ。
OFUKU5ではその「カタルシス」がタイトルに銘打たれていることに注目したい。
カタルシスとは「精神浄化の排泄」を意味する。今回の主人公、吉田は母と宗教のことで確執を抱え、母の愛を欲しながらも自ら母を遠ざけている。空手を通じて自分を強くしたいと願っているが、「人に迷惑をかけないように」と育てられたせいか、常に周りの空気を読み、自分を隠して他者と同調することが最強の処世術だと思い込んでいる。そのため、いつも淀んだ表情で、ニヤニヤ、おどおどしている。
本作はそんな吉田に苛立つOFUKUが持ち前のお節介パワーを炸裂させ、「恐れを吐き出し、自ら一歩を踏み出す勇気」に導くまでの物語だ。
369年生き続け、その人の様子から悩みや闇を見透かしてしまうOFUKUにとっては人助けのつもりでも、吉田にとっては迷惑でしかない。あの手この手で吉田の本質を引き出そうとするOFUKUの暴走気味のお節介パワーはそれゆえ、圧倒を通り過ぎて、吉田にとっては、「ドン引き」ではないか。だが、それは、見る者の心模様を写し出すための、ひとつの試金石なのだろう。
声をあげる人をとかく叩く風潮の中、自分の心の声を隠し、何事も冷笑してやり過ごす。
こうした同調圧力の中で、葛藤することもなく、知らず知らずに溜め込まれている心の澱(おり)に鈍感になっているのは私たちも同じはず。OFUKUはそんな私たちにも不動明王さながらの憤怒の形相で迫ってくるのだ。自分自身の隠れていた叫びを全て吐き出し、本来の自分を見つめ始める難しさは決して吉田だけの問題に限らないから……。
吉田の新しい一歩はエンドロール後のラストカットから始まる。「精神が浄化」され、
その「自分を発見した」表情をどうぞお見逃しなく。
HP : https://ofuku.tv/
Instaglam : @OFUKUTOKYO
情報:https://usfl.com/mimiyori/event/128690
本プレスリリースは発表元が入力した原稿をそのまま掲載しております。また、リリースへのお問い合わせは発表元に直接お願いいたします。
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