村上慧 移住を生活する展 「住むために生きる」
先日、金沢21世紀美術館でスタートした「村上慧 移住を生活する」展に行ってきた。
2014年から発泡スチロールの家を背負い日本中を巡る「移住を生活する」プロジェクトを行う村上さんは、これまで「住所のある家」をドローイングし、出会った人々との会話やエピソードを日記に綴り、家(土地)の所有者に敷地を借りて自作の家で生活してきた。
当然、生活するには最低限お金もかかるから、一見広告看板のようにみえるが内側で生活できる「広告看板の家」を制作するなど、収入と生活を並行させるその発想はおもしろく、かつシンプルだ。
別媒体の取材で村上さんにお話を伺うことになったのだが、見慣れた金沢市・犀川大橋を手と足が生えた家が歩いていく写真の奇抜さと、身ひとつで各地を回るというまさに寅さんやスナフキンのような暮らしへのあこがれで私の胸は高まっていた。
同展では村上さんのプロジェクトの全記録を追い、全3軒の「家」や各地で描いたドローイング、土地を借りた場所の写真や日記、Google Earthでこれまでの歩行ルートを表したものなどが展示されている。
家やドローイング、日記などを展示したメインスペースは、まるで迷路のように入り組んだ配置で、村上さんが歩いた道のりやその中で考えたこと、生まれたこと、得たものは、きっとこんな風に葛藤や多面性や変化を織り交ぜた、人間くささに近いものだったのではないだろうかと感じた。
村上さんがこのプロジェクトを始めたきっかけには、東日本大震災がある。
2011年3月、武蔵野美術大学造形学部建築学科を卒業する直前に東京都内で被災し、電車が運休し、多くの人が歩きながら移動する様子に驚きながら避難した実家では、家々が津波に呑まれていくニュースを見た。
建築学科に在籍しながら、資格がなければ自分の家も自分で建築できないという既存のルールへの違和感から、職業として建築士にはならないと決めていた村上さんは、震災で感じた家や土地、コミュニティ、ライフラインといった社会の地盤の脆さへの不安や疑問に対するアクションとして、「住み方」を考える旅に出ることにしたという。
日本だけでなく海外にも渡り、今年春には家ごと移動して生活する遊牧民の文化をさらに知りたいと2度目のモンゴル渡航を計画していた。
しかし、新型コロナウイルスの影響で国はもちろん、地域間の移動ができなくなった。移動自粛期間中は都内で野菜づくりをしていたという。
日本各地で同じように野菜づくりを始めた人と自作の野菜を送りあって交流を深めながら、いつもとは違う方向で経済が回っている様子を感じた。
これまで考え続けていた震災でローンが残っている家が流されていくのとは、また違う問題やテーマを新型コロナウイルスによる混乱から受けたという。
生活する上で消費するエネルギーを自分たちでもっと作れないかと常々考えていた村上さんは、自作のソーラーパネルを今回展示した広告看板の屋根に取り付けた。
「移住生活の中で大いにiPhoneに頼っている」という村上さんにとって、自分で電気を作れるという事実に「安心した」という。
金沢での会期中も地元の人や来館者と一緒に、落ち葉と米ぬかを混ぜて発酵させる際に出る熱で温床を作るワークショップを計画している。
プロジェクトを6年間続けてきた村上さんに、私は取材の最後に「住むこととはどういうことだと考えますか」と尋ねた。
村上さんはしばらく考えた後、逆に私に「どういうことだと思いますか?」と尋ねられた。
結婚して家があり子どもがいてその日の朝も学校に送り出して、だけど実はアドレスホッパーや日本一周という生き方への憧れもある私は、自分の環境や状況を踏まえて「そこにいなくちゃいけないから住む、義務や守るにも近いと感じます」と本心を伝えた。
そんな私に村上さんが聞かせてくれた答えはこうだ。
―人間は住む生き物で、住まないと人間ではない。それはみんなやっていること、心臓が動いているのと同じくらい自然なことで、自分も家には住んでいる。
バイトをして家賃を払って賃貸物件に住んでいたときは、「住むために生きている」と感じた。
「住むために生きている」
私はこの言葉にとても共感して、「それは移住を生活して、変わりましたか?」と聞いた。
家を維持するため、光熱費や食費を含め、そのためにも私たちは働き、生活している。
きっと私は、そんな当たり前が大切で愛おしい反面、どこか少し窮屈なのだろう。
その問いこそきっと、「移住を生活する」村上さんに私が一番聞きたかったことなのかもしれない。
「定住」や「固定」から解き放たれて、自由に見える寅さんやスナフキンのように生きたとき、私たちはもっと解放されるのかを知りたかったのかもしれない。
だけど村上さんは「プロジェクトをしていてもそれは変わらない」と言った。
―家を担いで土地に縛られず旅をしても、敷地を借りる交渉やお風呂場やトイレを見つけること、住むために生きることは変わらない。
村上さんの答えを聞いて、住むことは結局「生きていくことのすべて」なのだと私は思った。
定住することや土地に関係なく、人間は住むために生きている。
芸術も音楽も仕事も勉強も遊びも、住む=生きるというベースが当たり前にあってきっと成り立つ。
寅さんは浅草に、スナフキンはムーミン谷にいつか帰る。
もし、どこかに待っている人や帰る場所がいなくても、たった一人で住んでいても、住所が不定でも、「家」と一般に呼ばれる家でなくても、そこがネットカフェに間借りしたたった1畳のスペースでも、生きている以上はどこかに住んでいる。
住んでいるからこそ、人は生きていけるのかもしれない。
村上さんは私の問いの答えとして、こう続けた。
―ただ、人の住み方や振る舞い方は環境によって決められていて、受け身だなと感じている。もっと能動的に進んでいけたら、自分の住み方は自分で考えて決められたらと思っている。
震災やコロナの大混乱を受けて、今や誰もが「当たり前」は易々と壊れることを知っている。
当たり前にここにある家や電気やガスがもしなくなったら。考えたくないくらい恐ろしいけど、実際には十分ある得ることだ。
私たちの住み方、私たちの暮らしを、もっと現実的に考えていく時が来ているのだろう。
どこに住んでも変わらないもの。わたしはそれを「日常」と呼んで、大切にしようと思う。