わが家の能楽ブームはとっくに来ていた
ここ最近、世の中はうっすらと能楽ブームである。
「すゑひろがりず」の狂言漫才しかり、クドカン×長瀬の新ドラマ「俺の家の話」も能楽師一家を中心に繰り広げられるホームドラマだ。
ここ金沢は「空から謡(うたい)が降ってくる」と言い伝えられるほど、前田利家の時代から能楽が盛んで、中学3年生になると必ず兼六園近くの能楽堂で狂言の「附子(ぶす)」と能の「羽衣」という演目を鑑賞することになっている。
もちろん私も中3の時に能楽堂で観たのだが、やはりわかりやすい狂言の「附子」のイメージが強くて、金沢人ならだいたいこの太郎冠者と次郎冠者のドタバタ劇のあらすじを覚えているんじゃないだろうか。
しかし、大人になってからは、改めて能楽堂に出向いて鑑賞することはなかった。
難しい言い回しは能になるとなおさら、ストーリーすら理解できないくらい、なんと言っているのかがわからない。
そんな無粋なわたしだが、意外なところから能楽への道が再び開かれた。
長男が保育園のころだ。たまたま、本当にたまたま、保育園のカウンターのいろんな施設のパンフレットが並んでいるところに、金沢能楽美術館の子ども向けパンフレットがあって、なぜかわが息子の感性にクリティカルヒットしたのだ。
息子はなにより、そこに載っていた能面に食いつき、生まれつき持った凝り性を存分に発揮させ、以来図書館などで能楽の専門書を何冊も借りてきてはひたすらに能面の写真を眺めた。
子ども向けの能楽の本が見つからなかったので、わたしが手製の能面図鑑を作ると文字通り穴が開くほど読んで面の名前を暗記し始めた。
4歳のとき、ずらりと能面が並ぶ北陸能面展に連れていくと着物姿のおじさま、おばさまに交じり、「顰(しかみ)や!」「これは大飛出かなぁ」「これは小面じゃなくて孫次郎だねぇ」と大興奮の幼児に場内騒然。
彼曰く、「のーめん、かっくいい」であり、般若や細い目の小面など幼い子どもにはトラウマ級恐怖の対象になってもおかしくない面たちをこよなく愛したのだ。
金沢能楽美術館に出向いては本物の能面を眺め、体験コーナーで付けさせてもらい、小学生になると夏休みや秋に開催される子ども向けの体験教室で、狂言や仕舞を習った。
最終的には能楽堂の大舞台で、練習の成果として仕舞や狂言を披露するのだ。なんて贅沢。
そしてさらに、能楽師の先生たちはみなさま揃って渋いイケオジである。あぁ、贅沢。(母は何を見ている)
そんな長男もこの春、中学生。小4でミニバスを始めるととたんに忙しくなって、気が付くと能楽への興味は薄れ、今では見向きもしない。
能楽師になってほしかった母の淡い期待は脆く崩れ去り、ミニバスを引退すると彼の興味は次にラップへ向き、何かありゃ返事は「It’s lit!」だ。(なんなん、それ)
「親から子どもへの刷り込み」ってよく聞くが、「子どもから親への刷り込み」というものもあるとわたしは思う。
ウルトラマンも仮面ライダーも能楽も、子どもたちのブームはとっくに去ったのにわたしだけが取り残されてなぜかいつまでも好きなのだ。なんてこった。
この能楽ブームに乗ってまた能楽教室行くっていってくれないかしら…そう思い今日もわたしはわざとらしく彼の前ですゑひろがりずのYouTubeチャンネルを見るのだった。