NHK朝ドラ「おかえりモネ」でりょーちんと父が暮らす気仙沼市内の仮設住宅について、当時の状況を思い出しながら補足します
NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」が好評放送中である。
その中で、主人公モネの幼馴染み「りょーちん」の父親が酔い潰れ、自身が暮らすプレハブ仮設住宅団地で帰れなくなっている描写があった。
港で仕事をしていたりょーちんが現場に駆けつけると、警察官が「これだけ似たような建物が続いてりゃ仕方ないか……」と話し、一瞬だけ団地全体が映し出されるというシーン。
このシーンのロケ地は東日本大震災で建てられた宮城県内最後の仮設住宅「反松公園仮設住宅」で、最盛期には約100世帯が暮らしていた。
現地は撮影後に解体されたそうなので「NHKよく撮ったな〜」と関心するばかりである。
河北新報によると東日本大震災で市内に整備されたプレハブ仮設住宅は96カ所3504戸、ピーク時は8288人が入居したそうだ(https://kahoku.news/articles/20200328kho000000045000c.html)。
気仙沼市内陸部は起伏のある丘陵(というかほぼ山と森林)で、数少ない平地が津波に襲われてしまったため、山間部の小さな土地に仮設住宅を作るしかなかった事情がある(学校の校庭も利用されていたが、学生たちのため他の地域より比較的早めに解散・解体されている)。
場所も点在しており仮設住宅間の移動が大変だったため、所によっては見守り支援団体やボランティアがなかなか入らない団地もあった。りょーちんと父が暮らしていた仮設住宅もその中のひとつだったのかも知れない。
また、当時は震災前はそれぞれ異なる地域に住んでいた人たちが一カ所にまとまって入居するということがよくあり、孤立解消のための新たな地域コミュニティ形成が課題とされていた時期がある。
りょーちんと父もあの団地の中で顔見知りがおらず、ひっそりと暮らしていたんじゃないか……と想像すると、涙を流さずにはいられない。宮城出身者として、そこをリアルに作ってくれたNHKには感謝しかない。
手元に、仙台市内で最初に建設され最大規模の団地となった「あすと長町仮設住宅」の画像が残っていた。
233戸175世帯が暮らしていたこの団地では「殺風景な団地に彩りをつくりたい」ということで壁に絵を描いていたが、今思い返すと迷子防止にも役立っていたのかも知れない。
1000年に一度の大災害と言われた東日本大震災。
津波やボロボロになった被災地が取り上げられることが多いが、その中をたくましく生き抜いた人たちがいたからこそ今の東北がある。
ドラマを通してそのことを少しでも感じ取っていただければ幸いである。