本当に「誰もが自分の物語の主人公」なのか?、問題作「物語なき、この世界。」
今、あなたが生きているのは自分の物語ですか?
ややロマンチックな問い掛けをしたのは何も、これから素敵な青春物語を聞かせたいからではない。「誰もが自分の物語の主人公」という言い方があるように、1人1人に自分だけの物語があって、その中をただひたすら生きていく、それが人生だというのが、多くの人の支持を集める考え方である。それは間違いではないのだが、それらの人生は互いに関連しあっているはずで、時には全く同一の物語の中で生きている(演じている)こともあるはず。社会全体は物語ではないのか、1人から見る物語だけが本当の物語なのか。考えれば考えるほど分からなくなってしまう。物語というほど波乱万丈でもなければ、何らかの教訓を示唆することもない、あくびの出るような退屈な人生さ、物語なんてあるわけない、とうそぶくのもまた真実である。
こんなはてしない人生と物語の関係をベースに、演劇界と映画界をまたにかけて活躍するクリエイティブ界の鬼才で演出家・劇作家・映画監督の三浦大輔が新たな作品を創り上げた。舞台「物語なき、その世界。」である。
都会の中で浮草のように生きて漂うだけの自分の人生。殺伐とした荒野を歩く自分には物語などないし、必要ないと思っている若者たちが突然、運命の裂け目に遭遇し突き付けられる選択や決断。物語の中では生きていないはずの自分が実はとんでもない物語を生きている、そんな作品である。(画像は舞台「物語なき、この世界。」とは関係ありません。イメージです)
学生時代の友達と再会したものの、互いに相手のことをあまり思い出せない男2人(岡田将生と峯田和伸)。適当な再会の儀式をして別れた後、風俗店というとんでもないところで顔を合わせてしまう。そこにはさらにとんでもない中年男が現れ、彼らはハチャメチャな事態へと連れていかれてしまう。
恐ろしくなった2人は、それぞれ待ち合わせていた恋人(内田理央)や後輩(柄本時生)と新宿・歌舞伎町をさまよううち、あるスナックに入店。そこは中年男とも、あの風俗店とも関係のある場所だった。ここに来て、この「物語なき」物語は一気に深みを増していく。
かつて秘密の乱交パーティーを生身の役者が演じる舞台作品にして絶賛された(私はその上演現場にいたが、最前列の観客がつばを飲み込む音まで聞こえた)三浦のことゆえ、この作品でも、その猥雑な筆さばきは縦横無尽に駆け抜ける。風俗産業の描き方や水商売で生きる人たちの悲哀、ろくでもない人生に対してさえ無責任な若者の姿など、都会の喧騒とともに絶妙な表現で切り取っている。
岡田の役柄は目立った仕事のない役者というしょぼい男。しかも恋人のヒモ同然の生活だ。岡田の実際のイメージとは正反対の役柄を巧みに表現しながらも、人間の本質を見せつけていく岡田の演技力の壮絶さに驚かされる。
本業はバンド「銀杏BOYZ」のボーカルというミュージシャンながら、役者としても三浦に起用され続けている峯田。あっけらかんとした現代性と凄みのある魂レベルの演技のギャップがいい柄本。そしてフレッシュな表現が魅力的な内田。中年男は「ほっしゃん。」こと星田英利、スナックのママは寺島しのぶというのだから、そのキャスティングの妙に恐れ入る。
結局、人は自分の人生では主役、他人の人生ではわき役を演じながら、そのさまざまな人生が短いタームで激しく交わり合っている、というのが冒頭からの問い掛けへの答えのひとつだろう。
人は何があろうと自分の人生を必死に生きるしかないのである。たとえそれが物語であろうと、そうでなかろうと。
舞台「物語なき、この世界。」は8月7~11日に京都市の京都劇場で上演される。それに先立ち、7月11日~8月3日に東京・渋谷のシアターコクーンで上演された東京公演はすべて終了しています。