「生命のメッセージ展」突然に命を奪われたメッセンジャーたちが伝えること
それは偶然の出会いだった。金沢港クルーズターミナルで1日限り開催された「生命のメッセージ展」。
その日は金沢港開港周年祭のイベントで、知り合いの方が演奏会に出演されるのを中学1年生の息子を連れて観に行った。演奏が終わり、ふと息子の姿が消えたので辺りを探すと、人型のパネルの前で立ち止まって何かを見ている。
「何を見てるの?」と聞くと、息子は「亡くなったんだって」。
私は意味が分からず、一緒にいくつかのパネルを見て回った。人型のパネルは1つ1つ大きさが違い、楽しそうな笑顔の写真と文章、足元には使い古された靴が置かれている。徐々にその展示物の意味がわかってきた。
「生命のメッセージ展」。交通事故やイッキ飲みの強要や体罰により、突然命を失った人たち。その生前の身長にあわせた人型のパネルに、その方の写真と亡くなった際の状況などが書かれている。靴は生前にその方たちが使っていたものだという。
人型パネルになった被害者の方たちを、この展示会では「メッセンジャー」と呼ぶ。
私は群馬県であおりハンドルの挙句、横断者の確認を怠ったトラックの犠牲になったという13歳の少年のパネルの前に立っていた。レスキュー隊に救助された際に発した感謝の言葉、その後24時間以上戦った壮絶な手術が克明に記されている。そして、その隣には七五三の着物で可愛い笑顔を見せる、同じく交通事故に遭った7歳の女の子のパネル。小さな小さな靴に胸が張り裂けそうになる。
そこへ、にこやかな笑顔を見せてスタッフの女性が声を掛けてくださった。息子が受け取っていたパンフレット入りのクリアファイルの中に、赤い毛糸が入っているという。
「よかったら、あちらにある毛糸玉に結んでいってくださいね。毛糸玉を育てているんですよ」
私は「わかりました」と答える。クリアファイルの中に、確かに赤い毛糸がある。
女性は私がさっきまで見ていた、13歳の男の子のパネルに目をやる。
「息子なんです」
私が「そうなんですか」というと、女性は微笑んで頷いた。
それ以上の言葉を、見つけられなかった。その笑顔の裏にどんな想いを今日までされてきたのか。私が想像できた辛さの、実際には一体何倍、何十倍、何百倍だろう。
同じく13歳になる息子と一緒に、1本の赤い毛糸を持って毛糸がぐるぐる巻きついた玉の前へ行った。全国を巡る展示会の来場者に「命への愛おしさ」を込めて結んでもらっているという赤い毛糸が、球状になっている。
息子は手先が不器用なので、ぶら下がっている毛糸にもらった毛糸を結べないという。
「ママが結んでよ」
すぐに私に甘える。私は息子から毛糸を受け取り、毛糸玉につなげて輪っかを作った。最後まで結ばず、糸と糸をぎゅっと引っ張るのは息子にさせた。冬の日本海側にしては珍しく空は久しぶりに晴れて、館内のイベントスペースには明るい光と楽しい演奏と、人々の活気が満ちている。フードトラックが何台か来ていて、おじいちゃんとお母さんと一緒にいた幼稚園児くらいの男の子が、くるんくるんとカットされたポテトフライを持ってはしゃいでいる。
穏やかな日曜日の午後に、生きている私たちとパネルになったメッセンジャーの人たち。何が違うんだろうと考える。
本来、きっと何も違わない。明日には私も死ぬかもしれない。それは、人間である以上、生きている以上、誰ひとり例外なく向かい合っているはずの事実だ。
だけど、私たちはそれを見ないふりをして、実は知っているのに知らないふりをして生きている。私たちは愚かだから、メッセンジャーの人たちや遺族の方が直面している現実を、こうやって突き付けられないとそれを思い出せない。
「自分が事故を起こすはずがない」という慢心。「死ぬなんて思わなかった」という想像力の欠如。ノリという名の悪意。自分の中にも決してないとは言い切れないそんな感情に殺された人たち。
加害者にも、被害者にもなるかもしれない。当たり前だけど、そう思いたくない。でも、この「生命のメッセージ展」はすぐ隣にそんな現実はあるのだと、教えてくれた。大切な家族や友人が当たり前に生きて、側にいることのありがたさを苦しいほど感じさせられた。
この原稿を書いている時、私の頭の中で自然と女王蜂の「鉄壁」が流れていた。女王蜂で1番好きな曲だ。
-誰もがいつか土に還るわ 生き抜いた者を讃える美しい場所だと聞くわ
生きてゆくこと 死が待つことは 何より素晴らしいこと
誰にも奪わせないで
あたしが愛した全てのものに どうか不幸が訪れませんように
ただひたすら祈っているの-
年末の慌ただしくなりがちなこの時期に、かけがえのない毎日を大切に生きよう。私はハンドルを握る手にいつもより緊張感を込めた。
取材協力・画像提供:特定非営利活動法人いのちのミュージアム
東京都日野市百草999
市立百草台コミュニティセンター3階