渋い題材も総合力で極上のエンターテインメントに、ミュージカル「蜘蛛女のキス」
小説、映画、舞台とエンターテインメントの全領域に拡大して、なおかつそれぞれの分野でこれほどの高い評価を得た作品もないだろう。アルゼンチン生まれだが亡命も余儀なくされたマヌエル・プイグが1978年に発表した「蜘蛛女のキス」は監獄での同房者同士の会話劇という、エンタメ関係者の食指を最も動かしにくい渋い内容でありながら、小説の幻惑的な文章のうねりや、映画での斬新な映像と徹底した人物造形、舞台での暗い監獄と華やかな映画の世界の対比と融合という、それぞれの分野の特徴を生かした創意工夫が作品としての大ブレークにつながった。そこには海外での実地修行もいとわなかったプイグの映画やミュージカルに対する愛と、プイグ自身が置かれた性的マイノリティーとしての苦悩が色濃く反映し、逆に差別や偏見を跳ね返す原動力になっているからだ。今や性的マイノリティー「LGBTQ+」の問題を語る時に欠かせない作品になっている「蜘蛛女のキス」は、日本人キャストによる新演出のミュージカル版が東京で上演中。連日大きな拍手を浴びながら、大阪公演にも期待が高まっている。(写真はミュージカル「蜘蛛女のキス」の一場面。中央が石丸幹二=撮影・渡部孝弘、写真提供・ホリプロ)
実際、この特異な設定にはクリエイターたちも苦労した様子。プイグ自身が戯曲化したストレートプレイ版とは違い、ミュージカル化を目指したのは、「マスター・クラス」で知られる脚本のテレンス・マクナリーと、「シカゴ」「キャバレー」「ニューヨーク ニューヨーク」などで知られる「ジョン・カンダー&フレッド・エフ」の作詞作曲ユニット、そして稀代の演出家、ハロルド・プリンスだ。このメンバーをもってしても、当時の業界からは「最悪のアイデア」だと反対されたのだという。
「虐待と死の恐怖におびえる政治犯と同性愛者の会話劇」に腰が引けたのも人権への理解が進んでいなかった当時の状況を考えれば無理はないが、そこに突破口を開けたのが、この同性愛者が語る女優オーロラと彼女が出演した映画のシーンたち。映画版でももちろんそれはきちんと描かれていたが、ミュージカルではその部分をたっぷりとショウアップして、会話劇と同時にショウと演劇が展開しているように見せることで、幻惑的な融合がなされている。
結局、非公開で上演したステージに修正を加えて1991年には改訂版がロンドンで初演。1993年にブロードウェイまで駆け上がり、見事トニー賞7部門受賞という快挙を成し遂げたのはご承知の通りだ。
なぜこんなにも受けたのかは、今回の日本人キャスト版を見ているとよく分かる。今回は骨太な題材で登場人物のキャラクターを根こそぎ引きずり出してくることで知られる劇団チョコレートケーキ主宰の日澤雄介が新たに演出に入ったことで、同性愛者のモリーナ(石丸幹二)と若き革命戦士(村井良大と相葉裕樹のWキャスト)という全く正反対の属性を持つ二人が心を通い合わせていく過程がはっきりと分かる上に、過酷な監獄からの単なる現実逃避のようにも見えていたオーロラ(安蘭けい)の出演シーンを語るモリーナの心の世界が、はっきりとバレンティンの心の中にも映し出されるからである。
その上にオリジナルのクリエイターたちが磨き上げた華麗な楽曲と震え上がるような現実とのコントラストの悲しいほどの美しさや、さらにはバレンティンが抱えている革命家としての秘密をモリーナに聞き出させようとする刑務所長(鶴見辰吾)らのたくらみもあって、物語はサスペンスフルな緊張感にも揺り動かされていく。
会話劇として秀逸なストレートプレイ版もいいが、ミュージカルという総合力が求められる表現形式によって、この物語は小説、映画、舞台がひとつの地平でつながっていくのだ。
ミュージカル「蜘蛛女のキス」は11月26日~12月12日に東京・池袋の東京芸術劇場プレイハウスで、12月17~19日に大阪市の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで上演される。