江戸時代の未曾有の災禍
東京では先月まん延防止借等重点措置が終了したものの、まだまだ他国を含め未曾有の災禍が続いています。
日本の歴史上、波乱続きの年はあったのか調べてみたところ、江戸時代の東京で災害や疫病が重なった年があったのでご紹介します。
- 1854年嘉永7年11月 安政東海地震さらに翌日安静南海地震
- 1855年安政2年10月安政江戸地震
- 1856年安政3年巨大台風
- 1858年安政5年コレラの流行
- 1862年文久2年コレラの再流行 麻疹も同時流行
1854年10月にロシアのプチャーチンが来航し、日露和親条約を結ぶための交渉が行われました。その翌日に安政東海地震が発生。さらに翌日安政南海地震が発生しました。広範囲による大きな揺れが続き、津波による被害もあったそうです。
1855年の安政江戸地震は直下型の大地震で、1万人以上の犠牲者が出たとされています。
さらに1856年には巨大台風が発生し、江戸中が被害に遭いました。
海岸沿いでの波浪被害が大きく、この際にも大小の船が転覆する被害を受けました。
それから2年後の1858年にはコレラの流行。
嘔吐、下痢、体の痺れなどが起こり、多くの人が命を落としました。
火葬場では棺が山積みになり、埋葬も間に合わない状態。
現代のコロナでも似たような状況が起こりましたが、不安に駆られた人々の間でデマも拡散されたようです。
情報が錯綜する中で混乱する人々の気持ちは、なんだかわかる気がします。
記録を辿ると8年もの間、災害や疫病で人々が苦しんでいた事が分かります。
さらにこの時代を生きた偉人を調べると、歌川広重(浮世絵師)がいました。
東海道五十三次が有名ですね。
広重は1862年にコレラに感染したとされており、62年の生涯を閉じました。
この年は、麻疹(はしか)も同時に流行ったようで、一説によると30万人近い死者が出たとされています。
人口密度が高く、医療が今よりもずっと発展途上の時代ですので感染爆発したのではないでしょうか。
現在、日本を含む世界ではコロナが蔓延し、今もロックダウン中の都市もあります。加えて最近、関東では地震が起きていますし、あらゆる面で予防・備えの意識が大切です。
混沌とした時代が明けるのはいつになるのだろうと思わずにはいられないこの頃です。
けれどもいつの時代も変わらず桜が私たちを魅了してくれる事に、もののあはれを感じた春でした。
参考文献:大人の為の地元再発見シリーズ 東京の教科書 編集人:田中美穂/発行人:今井敏行