風化する戦争の記憶と立ち尽くす日本人、演劇ができることは何か
演劇は体験だ。登場人物の誰かに感情移入してその人になり切ることもできるし、誰かの視線で全体を見渡してみることもできる。行ったことのない場所にも、過去から未来まで自分が存在しない時代にも行ける。だから、ちまたで「戦争体験が風化しつつある」と聞くたびに、戦争を扱った演劇や、戦前戦中戦後の時代を舞台に設定したお芝居をできるだけたくさんの人に見てもらえばいいと思い、実際にそういう作品をお勧めしたりもしてきた。しかし、今回のロシアによるウクライナ侵略戦争によって、長い眠りについていた日本人は否応なく目を覚まされ、「戦争」というものをわがこととして考えざるを得ない状況に立たされている。何年も再演が繰り返されている戦争ものの作品でさえ、観客の受け取り方が違ってきているのだ。原爆投下の3カ月前という終戦直前の広島で、素人も含めた移動演劇隊で演劇を続けようとした人々の物語を描いたこまつ座の舞台「紙屋町さくらホテル」は戦争体験を広く世間に伝えるとともに、戦争の恐怖を前に立ち尽くす私たちに、本当に大切なものは何なのかについて冷静な判断をするためのヒントをくれる作品のように思えた。(写真は舞台「紙屋町さくらホテル」の一場面=撮影・田中亜紀、写真提供・こまつ座))
舞台「紙屋町さくらホテル」は7月3~16日に東京・新宿南口の紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAで、7月30日に群馬県高崎市の高崎芸術劇場で上演された。なお、7月17~18日の東京公演と24日の川西町フレンドリープラザでの山形公演は公演関係者の中に新型コロナウイルスの陽性者が出たため、中止された。公演はすべて終了している。
舞台「紙屋町さくらホテル」は新国立劇場のこけら落とし作品として井上ひさしが書き下ろした。森光子の主演で大きな評判を呼び、2001年には宮本信子の主演で上演された。2003年には、井上作品を上演するこまつ座がキャストを一新して上演し、以降、再演を繰り返している。
「新劇の團十郎」と呼ばれていた俳優、丸山定夫は体制側が組織化を奨励した移動演劇隊桜隊を結成。宝塚歌劇出身の園井恵子も加わり、一般からの参加も募って各地で公演を続けていた。広島での公演では、逗留したホテルの女将やオーナー、宿泊客までが出演。日系二世のオーナーをスパイとして監視すると乗り込んで来た特高刑事やホテル内を遠目にうかがっていた2人の怪しい男まで取り込んで「劇団」に膨張。本番に向けて稽古を重ねる日々を綴ったものだ。
稽古だから飛び交う演技論や演技指導の実際が再現される。庶民たちは戦争ならではの不条理に悩まされ、特高刑事は威張りくさっている。しかし、こんな寄せ集めの即席劇団も、稽古が進むうち演劇にのめり込んでいく。
毎日のように繰り返される空襲警報と防空壕への避難。お米だけではなく、物資や食料は足りないものだらけ。劣勢のくせに毎日宴会をしている軍隊だけがにぎやかで、庶民たちはそれでもみんな耐え抜くしかない。さくらホテルにも何もない。それでも築地小劇場の裏話に膝を打ったり、言語学が発見した世界共通の真理などの話に感動し合ったりして、楽しそうだ。
いや楽しいのではない。ひととき現実逃避できるという面もあるだろうが、お芝居を上演するという共通の目的があるから、前を向けるのだ。
だから演劇は素晴らしい、世界を変える力がある、などとは言わない。しかし、この登場人物たちの終戦直前の日々を演劇で同時体験した観客の心の中には間違いなくぽっと明かりが灯る。
この中の何人かは、原爆の業火の中に消えただろう。何日間も苦しみの中でもがき息絶えた人もいた。しかし彼らが稽古の中で抱いたお芝居をすることの愉しみや、苦しみの中でも希望を持つことの大切さは、永遠に観客の心の中に残る。
たとえ戦争の記憶が風化しても、悠々と空を飛んで、次の安楽の地に未来のもとになる何かを運んでいくたんぽぽのように、記憶を運んでいけばいい。やがて根をはり花咲かせ、新しい命を生む。
演劇がそんなお手伝いをできるのだとしたら…。
まだ、絶望するのは早い。