廃墟ならではの静けさ、愛おしさを感じる「旧志免鉱業所竪坑櫓」
役目を終え、徐々に朽ちてゆくものに退廃的な美を感じる人がいる。
中でも愛好家が多く、ひとつのジャンルとして確立されているもののひとつが「廃墟」である。
ただし、廃墟探訪は様々な面でハードルが高い趣味だ。外から見るだけだと言っても、他人の所有する土地に立ち入ることは基本的に違法となる。
年月が経過した建物は安全性の部分からもリスクが高く、虫やアレルギーなどの危険もあるだろう。
また、廃墟は心霊スポットのように扱われていることも少なくないが、それはつまり人の気配がない、いかにも何か起こりそうな場所にあるというわけで。
そんなところで万が一事故や事件に巻き込まれたら…と考えると、仮に合法であったとしても恐ろしくなるのは当たり前だと思う。
では、どうしてもあの雰囲気だけでも味わいたい!という場合にはどうすれば良いのか。
最も安定した策は、「文化財としても認められた、歴史的な廃墟を探す」ことではないだろうか。
長崎県の「軍艦島」や、和歌山県の「友が島」などしっかりと観光地化された廃墟を巡るという方法もあるものの、今度は距離的な問題が出てくるため、せっかくならと今回は身近で問題なく見学できる建物を探してみた。
そこで、特に魅力を感じたのが糟屋郡志免町にある「旧志免鉱業所竪坑櫓(きゅうしめこうぎょうしょたてこうやぐら)」である。
志免町の象徴となっている「旧志免鉱業所竪坑櫓」
外観参照:志免町公式サイト(https://www.town.shime.lg.jp/site/bunkazai/tatekou-yagura.html)
※諸般の事情により、写真等の掲載は控えさせていただきました。
こちらは石炭を移動させたり、鉱員を地下の石炭層へ運んだりするために建てられた巨大なビルディングで、間近にすると写真よりもうんと壮大に感じる。
単純な長方形ではなく、5階部分までは柱のみ、8階部分には吹き抜けを設けた大空間が設計されているなど、建築へのこだわりも目を惹かれるところだ。
無機質なコンクリートの質感と相まって、まるでそびえ立つ要塞のような空気もあった。
終戦前(1945年)に建築され、1964年の閉山とともに稼働を停止した竪坑櫓。
竪坑櫓じたいは九州に3か所存在したと言われているが、志免鉱業所は日本で唯一「開坑から閉山まで国営であり続けた」こともあり、国内最大規模の竪坑櫓としていまだダイナミックな存在感をたたえている。
この竪坑櫓は国指定の重要文化財であるいっぽう、周辺の坑口(トロッコで資材や人を運んだり、配水したりするためのシステム)等と合わせて福岡県の指定史跡にも認定されているとのこと。
近くに広場や福祉施設が設置されている事情もあってか、あたりは休日になると子ども連れの方々で賑わう様子だった。
かつては堅牢かつ力強い身体で炭鉱、そして人々の生活を支えてくれた竪坑櫓。
街のシンボルとなった今でも、その姿は地元民にとって誇りに映っているに違いない。