AI時代だけど勉強はやっぱり要るよね
技術の進捗はめざましいですね。
最近流行っているのはAIとの一問一答。「AIにこんな質問してみたよ!」というSNSの投稿をのぞいてみると、まぁ……当たらずとも遠からず、みたいな回答がぼちぼちあります。今はまだ過渡期なので、精度が上がればもっと便利になると思います。
今から生意気な小学生みたいなこと言います。
「AIが発達すれば勉強する必要ないんじゃね?」
これ、実は自分が高校生の時に思ってました。高校3年間は英語漬けの学科に通学してました。
当時はパソコン普及率が今ほどではなく、岩崎家にパソコンはありませんでした。スマホもなく、ガラケーしかありませんでした。
なので時々学校のパソコンで翻訳サイトにアクセスし、宿題をズルしようとしたことがありますが、訳された文章はいつもしっちゃかめっちゃか。普通に辞書を引けばよかった。むしろ二度手間……と後悔することも(笑)
それでも「翻訳技術は恐らくこれからものすごく発達して、もっと良くなるだろう」と、ぼんやり考えていました。
あれから10年以上(歳の話はスルーして)。当時と比べて英語はかなり喋れなくなりましたが、スマホのアプリに言いたいことを日本語で入力すれば、意味がぼちぼち通じる英語に訳してくれる時代になりました。
おかげで、SNSで英語圏のユーザーさんと難なくコミュニケーションが取れるようになりました。以前プロ野球にどハマりしてしまったとお伝えしましたが、外国人選手の投稿に英語でコメントしたらイイネ!をいただいちゃったりして。
だがしかし!
先ほどもお伝えしたように、私たちはまだ過渡期を生きています。
たまーに、アプリで翻訳された英文に「ん?」と違和感を感じることがあります。
「あれ?ちょっとこの文章変だな」と。そこで、意図することは同じでも違う言葉を入れて訳してみると、そっちの文章の方が日本語としてしっくり来たりして。
こればっかりはAIを責められません。日本語は世界有数の難しい言語と言われていますから、ミスは多めに見てあげたいものです。「てにをは」とか。
で、この違和感を感じられるか否かが、学問・教養の有無の差になるなぁ、としみじみ思います。
英語は喋れなくなりましたが、当時培った下地があるおかげで「勘」みたいなものが働くからです。
そのおかげで、小さい恥はたくさんかいているかもしれませんが、大恥をかくことはほとんどなくなりました。
AI時代が到来しても、やっぱり勉強は必要です。
オバサンの独り言でした。