『もし1日が25時間あったら?』を考える―限られた大切なひと時とは
「もし、1日が25時間になったら、増えた1時間で何をしたいですか?」
昼の時間がようやく短くなってきた昨今、ふと思い出した問いかけがある。
あれは中学生の頃だったか、母が出先で「いただいたからどうぞ。こういうの好きでしょ?」と差し出してくれた本だ。
タイトルは『25hours』。
現在もライフスタイルブランドとして知られる株式会社サザビーリーグのカタログとして2002年に発行されたものようで、様々な職業の方へのインタビューとともに商品紹介が載せてある。
今はオークション等で探さなければ手に入らないのが残念だが、これが面白い。
インタビュアーは、文筆家の木村衣有子さん。
回答者のなかには写真家の蜷川実花さんやイラストレーターの山本祐布子さんも名を連ねており、おのおの“自分にとってのかけがえのない時間”を教えてくれている。
私も同じように、あともう1時間あったら……と想いを馳せてみた。
うーん、多分だけれど、ギリギリの仕事にあと少しの余裕ができるなあとか、睡眠時間がちょっと増えるなあとか、やや早い時間から飲み始められるなあとか、現実的にはそんなものかもしれない。
インタビュー内では自分を更に高める勉強をしたい、生きがいである趣味の時間を増やしたい、(ふだんてきぱきと動いているからこそ)ここぞとばかりにボーっとしたいなど全体的に高尚な回答が目立つのに対し、この体たらくぶりである。
しかし、1時間というのは考えてみれば結構短いのだ。
こうして文章を書いているあいだにもすぐに過ぎてしまうような時間で、きっかり有意義に過ごすのはとても難しい。
だからこそ一般的には「1日が48時間になったら」と望むことの方が多いと思うが、そこをあえて“限られた1時間”にしているからこそ、忙しい日々を送る方々からの貴重な声が聞けたのかもしれない。
買うだけ買って満足した英語教材の本。
講座を取り寄せたは良いものの、急にスケジュールが詰まってしまい受験を見送った資格試験。
時間ができたら読もう、と思ったままの積読たち。
ああ、振り返ればそういうものが私にもたくさんあるな、と気付かされる。
しっとりとした風が舞い込む秋の夜長、1時間だけ余裕ができたつもりで取り組んでみようかな、とわずかばかり意気込んだ。
皆さんはふいに生まれた1時間で、どんなことがしたいですか?