馬はなぜ「いななく」のか
犬は吠える 猫は鳴く
馬はなぜ「いななく」のか
犬はワンワンと吠える。
猫はニャーと鳴く。
鳥はピィピィとさえずる。
牛はモーと鳴く。
秋の虫はリンリン、ガチャガチャ、ルルルと鳴く。
生き物が音を発する。
吠える、囀る(さえずる)と変則系こそあれど、たいていの場合は「鳴く」と表現される。
だがここで疑問
馬はヒヒンと嘶く(いななく)。
馬はいななく。
なぜ馬に限っては「いななく」のか。
それには「日本語」の意外な歴史がある。
古代日本語のハ行は
パピプペポと発音した
言語学の世界では有名な話だが、古代日本語、おそらく弥生から古墳、さらに奈良時代ころの言葉には「H」の子音が無かった。かわりに「P」の子音で発音されていた。
分かりやすく言えば、「はひふへほ」ではなく「ぱぴぷぺぽ」と発音されていた。
それが証拠に、現代日本語で「はひふへほ」と、「ぱぴぷぺぽ」と発音すれば口の形が変わる。「はひふへほ」と「ばびぶべぼ」も発音する際の口の形が異なる。
だが、「ぱぴぷぺぽ」と「ばびぶべぼ」は発音する際の口の形が異ならない。
つまりハ行半濁音とされる「ぱぴぷぺぽ」は、本来はハ行の清音だったのだ。
邪馬台国の女王はヒミコではなくピミコだったのだ。
さて
古代日本語でハ行がパ行だったならば、古代の馬は「ヒヒン」とは鳴かなかった。
単純に考えれば、当時の人は「ヒヒン」を「ピピン」と発音したであろう。是では鳥の声と聞きわけがつかない。
そして古代日本語には、語尾にンの音が付かなかった。
ならば「ピピ」?これでは小鳥の鳴き声となんら聞きわけがつかない。
万葉集から推察する
古代日本の馬の鳴き声
ならば古代日本の馬は何と鳴いていたのか。
ここでヒントになるのが「万葉集」である。
飛鳥時代から奈良時代後期までの百数十年間。天皇に貴族、下級役人。さらには東国の農民までもが詠んだ短歌に長歌と4000首以上もの古代歌謡が載せられた、現存最古の歌集である。
さて万葉集は、当然ながら日本語で詠まれた歌が載せられている。だが編纂された当時の日本には、カタカナやひらがなのように、日本語の音を自在に表せる表音文字が無かった。当時の文字と言えば、弥生時代後半頃に日本に伝わってきた「漢字」のみだった。その漢字の意味を無視して「発音」のみを拝借して、日本語の音を表す。
現代中国人が、欧米の地名や人名を「弗拉基米尔·泽连斯基」(ウォロディミル・ゼレンスキー)、「乔·拜登」(ジョー・バイデン)と漢字表記するのと同じ理屈である。
漢字の発音のみを借りて日本語の音を表す。この表記法を「万葉仮名」という。
万葉集は、その「万葉仮名」によって和歌を書き記している。だが漢字は多彩である。日本語の音を表せる漢字は多様にある。そして、当時の人にも「遊び心」がある。
ここで見ていただきたいのがつぎの歌
垂乳根の 母が飼ふ蚕の 繭隠り
いぶせくもあるか いもにあはずして
(母が飼う蚕が繭に籠っているように、恋人に逢えず心が塞がることだ)
だが当時は漢字のみしか書き言葉がない時代。上記の歌の表記は、あくまでも現代人が分かりやすいように漢字かな交じりで「当世風」に書き改めたものだ。万葉集の原文では次のように書かれていた。
垂乳根之 母我養蚕之 眉隠
馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿 異母二不相而
上の句はわかりやすい。母、養う、蚕、隠れる、と漢字の意味を理解した上での表記だ。
問題は下の句だ。ここに古代の言葉遊び、そして今回の本題がある。
馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿
分解すれば
馬声 蜂音 石花 蜘蛛 荒鹿
馬声で「い」
蜂音で「ぶ」
石花で「せ」
蜘蛛はそのまま「くも」
荒鹿は「あるか」
ハ行はパピプペポだった当時、馬の鳴き声は「い」と表現された。
蜂の音はそのまま「ぶー」
石花、とは海岸に生息するカメノテ
これらを繋ぎ合わせて「いぶせくもあるか」と読ませる、古代人の洒落だ。
さて万葉仮名のように、ハ行がパ行だった時代、馬の鳴き声は「いー」と表現された。
馬は「い」と鳴く。
だから「いななく」
古代人の意外な言葉遊びから、
失われた日本語の謎が見いだされるのが面白い。
※メインビジュアルは
Dietmar Rabich, Dülmen, Merfeld, Dülmener Pferde im Merfelder Bruch — 2022 — 1076, CC BY-SA 4.0