昭和と令和はこんなに違う?『小石川の家』を紐解く
昭和と令和の違い、というものをテーマにした作品や番組を、近年よく見るようになった気がする。
私はそのあいだの平成生まれではあるが、ここ10年ほどで世の中が目まぐるしく変化してゆくのは確かに感じていた。
スマートフォンが普及してからというもの、写真や動画を撮ったり場面を録音したり……と、ネットやオンラインの活用範囲が急速に広がったのが大きな理由だろう。
また、SNSが誰にとってもより身近なものとなったことで、様々な人が自分の考えを発信しつつ、同時に遠くにいる他者の考えを知れるようになった。
それも世界を、ひいては視野を広げる契機となっているに違いない。
突然なぜこんなことを思ったかといえば、青木玉先生の『小石川の家』を読み返したのがきっかけである。
先生は小説家として知られる幸田露伴氏の孫、および幸田文氏の娘として生まれ、9つの歳から生活をともにして来られた。
同居を始めたのは昭和13年ということだから、つまりはまだ戦時中。
現代とは価値観がまったく異なるであろうことは容易に想像がつく。
とはいえ、本書を読んでいると、その前提があっても「お祖父さん(露伴)もお母さん(文)もあまりに厳しすぎない!?」と驚かされるくだりが多い。
- 小学生の孫が『お母さんに頼まれて』と薬を運んでくれたのに、『お前は何の薬かも聞かずにただ持ってきたのか』と糾弾する祖父
- あとで一緒に食べよう、と娘が自分のお土産に買ってきた苺を、問答無用で来客用にする母(てっきり喜んでくれたのかと思った、と娘が泣いたら給仕に差し支えるから顔を洗ってきなさいと言う)
- 母と寝る前に書き初めの練習をすることになるが、言われた通りにできないと平手打ちが飛んでくる(担任の先生に娘の字が上手くなった件を褒められると『ひっぱたいただけのことはありました』と笑い話に)
巧みな筆致で描かれる、なかなか今は共感されないであろうエピソードの数々。
他にもたくさんあるが、何というか心底「時代が違ったんだな」としか言えない。
もちろん各家庭の方針の差はあるし、創作者一家ならではの気難しさは否めないだろう。
けれども青木先生と同世代である私の祖父母から聞き知った話と比較すると、当時の家庭の在り方や、子どもへの教育として共通する部分はあるなあ……と感じる。
ちなみに、本書のレビューを見るに「自分だったらもっと怒られているだろうな……」「反発して家出しかねない」と苦笑する方は少なくないようだ。気持ちは分かる。
全体に言えるのは、どのような理由があっても年長者に従うべき、という点だろうか。
子どもだから、大人だからというよりは、年長者と扶養される年少者、という関係性が強調されている気がする。
むしろ来客対応等を手伝っている描写を見ると、子どもが子どものままでいられる期間は現代より短く設定されていたかもしれない。
加えて自分を客観的に評価しにくい時代であったがゆえに、家族や学校といった限られた世界で居場所を確立せねばならなかった、という側面も大きいはずだ。
断っておきたいのは、この本にはご家族への感謝がしっかりと記されている、ということ。
先生ご自身も厳しさの中に愛情を感じていたからこそ、幼き日々の理不尽(と言って差し支えないかは微妙なところだが)を後年に振り返ることができたのだろう。
私はどのような立場であれ自分の意志を明らかにできる昨今の風潮を尊く思っているが、昔には昔の流儀があった、という面は理解したいと考える。
例えば“うちはうち、よそはよそ”という精神。
子育ての変化や所謂ブラック校則の見直し、仕事との向き合い方の多様化など様々な課題が叫ばれる昨今、各々に“何が正しいか”の判断が委ねられるシチュエーションは少なくない。
どうしても「みんながどう考えるか」「周りはどうしているか」を気にしてしまいがちな世の中、時には確固たる信念を以て、自分なりの道を選ぶのも良いのではないだろうか?
【参考文献】