夢を実現するために、勇気を振り絞ってチャンレジした結果…

広島
コピーライター、エディター
Kyoko Kittaka
橘髙京子

私事で恐縮だが、2月9日、無事に誕生日を迎えた。誕生日というのは、いくつになっても大変めでたい日だと思う。そして、誰もが祝福されるべき日だと思う。でも、悲しいことに、世の中には親や環境に恵まれない人もいる。また、年齢を重ねることが苦痛に思うような出来事も多々ある。わたし自身も常に生きづらさを抱えているひとり。「産んでください」なんて頼んでもいないのに、勝手に世の中に産み落とされて、親の望むように「いい子」を演じ、学校でも人に嫌われないように極力自分の言いたいことを抑えて生きてきたので、自分らしくイキイキと生きている人が別世界の住人に見えてしまう。

わたしの夢は、芸能活動をすることだった。本当は「だった」なんて、過去形にはしたくない。しかし、SNSの発達している今の世の中、誹謗中傷が怖くて積極的に自己アピールする勇気もない。なので、ふだんのわたしは「今は現実を見て、堅実に生きてます」といった雰囲気を演出している。芸能界を夢見たきっかけは本当に単純で、幼少時代から芸術全般が得意だったから。絵を描くことや歌うこと、文章を書くことで自分を表現することが楽しくて仕方なかった。先生にもよく褒められていたので「こんなネクラなわたしでも、自信を持って堂々と生きてもいいのかな⁉」と思うようになった。そんなわけで「人前に立つ仕事をしてみたい」「タレントになりたい」と思っていたのだが…わたしを妬む者による陰湿ないじめと、芸能界に対するネガティブなイメージを持っている家族に夢を叩き潰された。そんな経験があり「本当に心底やりたいことは叶わない」「夢を抱いてはいけない」という思いが心にこびりついてしまい、未だにわたしを苦しめ続けている。

先日、某観光大使(仮)のオーディションを受けに行った。もう、二度と受けないと思っていたのだが、友人の声援に背中を押され、思い切ってチャレンジすることにしたのだ。今のご時世「ミス〇〇」「〇〇レディ」「〇〇コンパニオン」などという称号が無くなり、年齢の上限や性別、未婚・既婚は問わないオーディションが増えたように思う。このような傾向は幅広い人にチャンスが広がるので、とても良いことだと思う。しかし、まだまだ世間的には「ミスコン」のイメージが強いのか、応募者の多くは圧倒的に若い女性。わたしは「場違いなところに来てしまった‼」と、会場にいることが息苦しくなり、逃げ帰りたくなった。しかし、何日も前からスピーチの内容を考えて何十回も書き直し、繰り返し音読して、完璧に準備してきた。仕事柄、大勢の人前で話すことには慣れていなくても、長年プロとして文章を書いてきたキャリアがある。「広島の良いところをアピールする力は、この会場にいる誰にも負けない‼」という自信はあった。命がけというと大げさだが、それくらい全身全霊で臨んだ。それでも、この意気込みは審査員に伝わらなかったようだ。

落選したことは悔しいが、オーディション会場で感動的な場面を目の当たりにしたことが、わたしの人生に良い刺激をもたらしてくれた。それは、最高齢(であろう)応募者のスピーチを聞いたことだ。背筋をピンと伸ばしハキハキと明るくスピーチしている姿が、とても輝いていた‼  そして、何よりも心が震えたのが「このような素敵な皆さんと同じ空間に居られることが嬉しい。貴重な経験をさせていただき、ありがとうございます」という言葉。「ああ、なんて素敵な女性だろう!」と、彼女の心の美しさに魅了された。この記事を書きながら、またもや感動して涙が溢れてきた。しかも、ユーモアのセンスもあって場を和やかにしていたので「この人を絶対に選んでほしい!」「この人と一緒に活動できたら、どんなに楽しいだろう!」と心から思った。

「年齢なんて、ただの記号」と、ある女優さんがおっしゃっていたが「ほんまに、その通り‼」と思う。なのに「年齢の高さ」を理由に、面接もしてくれなかったという経験は多々ある。今どき、そんな会社があることが、とても残念だ。今回のチャレンジも「なぜ、選ばれなかったのか?」と悶々と考えてしまい、悔しくて涙が出て来る。死ぬまでに一度で良いので、幼いころの夢を叶えてみたい。そして、オーディション会場で出会った、あの女性のように、周りの人を笑顔にできたらいいなあ。

プロフィール
コピーライター、エディター
橘髙京子
大学卒業後、広告代理店のコピーライターや出版社の編集者・ライターとして勤務。現在は映像業界のプロデューサー、フリーライターとして活動中。

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