「砂かけ祭」で砂まみれ
関西在住の醍醐味のひとつが、京都・奈良の由緒ある多くの神社仏閣を気軽に参拝できることである。とくに個々の歴史・沿革に関心や造詣が深いわけではなく、主な目的は心のリフレッシュであり、精神統一であり、観光・運動の一環だ。しかし、建国記念日に訪れた廣瀬大社(奈良県河合町)の「砂かけ祭」は、静寂さや穏やかさとはおよそ程遠い。津々浦々の五穀豊穣を願い、大量の雨水に見立てた境内に積まれる砂を参詣者同士で投げ合うという全国屈指の奇祭に、上下レインコート、マスク、耳栓、ゴーグル着用のフル装備でエントリーした。
鳥居手前までにぎわう模擬店
神社は通常、清浄な地であることと同時に、災害時の避難先の役割も込めて、居住地より一段高い場所に創建される。しかし、廣瀬大社は、その町名の示すとおり、周囲の山渓から奈良盆地に流れ入る複数の河川が合流する低層地に本殿を構え、平安中期・延喜式の時代より続く “雨ごい”の祭礼の伝統を継承している。普段は落ち着いた面持ちであろう細長い参道には、数々の模擬店が軒を連ねて参拝者が列を成し、鳥居のふもとではポンチョが売られる手際の良さ。開始30分前には、怪しげな白装束の一団が、本殿前の庭場の一角・しめ縄(田んぼの見立て)で区画された砂地を取り囲んだ。
午後2時。田人(田を耕す農夫)役のお坊さんが木鍬をかかえて参詣者をゆっくりと周り一礼すると、にわかに砂をすくい上げて四方にまき散らす。不意をつかれた我々も、負けじと手元の砂をつかみ、田人(や周囲の参詣者)に投げ返す。幼い子どもや一眼レフカメラの携帯者、一段奥に設置された撮影機材の並ぶ報道席にも容赦なく浴びせられる砂の舞は、さながら青天の霹靂である。5分ほど砂が飛び交った後、太鼓が打ち鳴らされ、田人は社内に下がり、数分後、再び太鼓の音とともに現れて砂と人が入り乱れる。
このサイクルを3回くりかえすと、4、5回目は、田人が耕作用の牛に見立てた紺色衣装・数頭を引き連れ、彼らも加わった砂かけはさらに激しさを増す。もみくちゃになると、同じような色の制服を着た消防団員とよく見分けがつかない(誤ってかけてしまっていたらご免なさい)。
全員が“ずぶ濡れ”になり十分疲れたところで、田人と牛は脇へ退き、早乙女役の女性数人が砂場にかがみ込み、みどりの稲を丁寧に植え(る構えをして)、砂かけ祭「庭上の儀」はしめやかに終焉を迎える。植えられた稲は終了後、参詣者の間で分け合い、むこう一年の豊作と幸せを共有する。
改めて、砂が当たる刺激とは、傘を忘れて大雨に打たれたときの感覚とよく似ている。一部の特権階級をのぞき、飢えや渇きと隣り合わせの毎日を生き抜いた中世の人々。田植え期の降雨は、このお祭り騒ぎが象徴するように、身体全体で表現したくなるような興奮と歓喜に満ちた天恵であったはずだ。
童心に返った一時間強。万全な重装備で臨んだはずだが、駐車場で衣服をはたくと、靴底や襟元にかくれた細かな砂粒がふりはらわれる。気づかぬうちに不織布マスクも貫通したのか、帰りに参道の模擬店で買った柔らかいタコ焼きが、口の中でジャリジャリと音を立てた。