現代能楽劇『デズデモーナ』&『鳴神後(シン鳴神)』

東京
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

、のうと言えば日本の伝統芸能。室町時代ころ、それまでの散楽や猿楽を集成して生まれた仮面芝居。能、と言われて抱くイメージはいかなるものだろうか。

素顔を隠し能面、重低音の語りによる男声合唱、イヨォの声と共に連打される鼓の音、裂帛の響きの能管…

「これぞ日本」のイメージ。

もっとも、現代に至っても新作が創作される歌舞伎や落語に比べれば、世間一般が能に抱くイメージは「堅苦しい」ものではなかろうか。実際、筆者からしてそのようなイメージだった。

 だがやはり能も日本の時流の中にある芸能である。明治から大正昭和、戦後を経て令和の御代。海外の文化を受け入れ現代の俗な世相も取り入れ、「新作能」も続々と創作されている。

 さる8月24日、筆者は能楽を鑑賞した。
会場は都内港区は表参道の雑踏を2街区越えたところにある「銕仙会 能楽研修所」。近代的なビル建築の内部には、伝統的な能舞台。鏡板の老松は深々と緑に鎮まる。

 今回の出し物は二本仕立ての「現代能楽劇」。

前段は「デズデモーナ

舞台の傍らには囃し方。大鼓に小鼓、小太鼓に能管と能楽伝統の楽器に加え、トゥバ共和国のイギルの擦弦楽器にチベットの鉦、さらに東南アジアはガムラン音楽のゴング。これこそが現代能楽のエッセンスか。

 舞台に立ち現れた人物は伝統的な能衣装、面は被らない「直面」。丸く重く深い能楽特有の発声法で「これは僧にて候」と、自身の素性を物語る。

ぎりしゃ国はいぷろす島の渚でひと夏を過ごす僧。彼の前に立ち現れたのは羽衣をまとう天女にあらず、美の神あふろでぃーて。その羽衣にはある夫妻の悲劇が込められていた。それは妻デズデモーナへを疑い嫉妬に狂う夫・オセロー…言わずと知れたシェイクスピアの悲劇だ。

これまで全世界で原作通りに、あるいは翻案され上演されてきたシェイクスピア劇が、能楽の元に演じられるのである。

 能楽の鼓は二種類。
革を極度に締め上げた大鼓(おおつづみ)は小脇に挟んで打てばカッと鳴る。
いくぶん低音にチューニングした小鼓(こつづみ)を肩に載せて打てばポンと鳴る。

教本によれば大鼓の打ち方は「チョン、ツ、ドン、チン」の四種、小鼓は「チ、タ、プ、ポ」とこれまた4種の打ち方があるとのことだ。素人の耳でも小鼓の音は「ポン」と「ポんん」との2種類までは聞き分けられる。

鼓を打てばイヨォ ホオの掛け声。小太鼓は連打されて性急を告げ、重低音のユニゾンコーラス・謡(うたい)に絡まれば、能管は旋律をまろやかに奏でることも無く場の空気を裂く。

 それに加わるのはアジアの民俗楽器。モンゴルの擦弦楽器が渋く泣く傍らで東南アジアのゴングが朗々と鳴る。能楽でシェイクスピア劇を演じるからには、能楽楽器にも異国の音色を添える面白さ。悲劇のオセローは直面にあらず植物繊維を編みあげた褐色の面。表情は遮られ声がくぐもれば内面はより陰鬱とする。

疑われるデスデモーナは直面にあらず真の女優、疑われ疑いを晴らす暇もない悲痛が絡みつき、悪役・イアーゴの豊かな声量が深遠たる悪意を予感させる。

 

休憩をはさんで二幕目は「シン鳴神」。
「鳴神」といえば本来は歌舞伎芝居。

子宝に恵まれない帝は鳴神上人の祈祷によって願いを遂げる。だが、あろうことか上人に約束した報酬を反故にしてしまった。かくて上人の呪いで国は干ばつに見舞われ、たまりかねた帝は上人のもとに美女を遣わせ「色じかけ」に及ぶ…生まれてこの方、恐らくは「母体」と「母の乳房」以外の女を知らなかったであろう上人は、胸に「くくり枕」のようなものを二つ付けた異形な、妙なる姿の者に心惑わせ、たちまち堕落してしまう。

 さて「鳴神」。実は能楽の翻案作品であるのだ。

その元ネタは「一角仙人
むかし天竺の地に仙人がいた。彼は鹿を母として生まれたので額に角があった。それゆえ「一角仙人」。ある時、この仙人は雨でぬれた岩場で転んだのを怒り、雨を招く龍神を岩屋に閉じ込めてしまう。仙人らしからぬ心の狭さ。かくて国中は大渇水に見舞われ、困り果てた王は国で一番の美女を差し向け、仙人の仙術を奪う策に出るのだが…

 雨乞いの影には女性がいる。

時代が下がって明治の怪奇作家・泉鏡花は、古来より伝わる雨と女性の物語から戯曲「夜叉が池」を書く。時は大正初期。民話採集旅行の旅の最中で行方不明になった友人を探し、主人公の青年は飛騨と越前の境の寒村を訪れた。彼はそこで美しい新妻と出会うが、彼女の夫こそ探し求めていた友人だった。彼は語る。この村の「夜叉が池」に棲む龍神を鎮めるため、日に3度の鐘を撞く役をうけたまわり、村娘の百合と結ばれこの村に住みついたという。折しも村は日照りに見舞われていた。雨乞いの儀式として夜叉が池への「生贄」が持ち上がる中、百合へ白羽の矢が立つ…

 

歌舞伎に能楽に新派の舞台。
時代も手法も異なる3種の舞台芸術を取り混ぜた「シン鳴神」。

雨乞いの影には女性がいる。降雨を妨げる仙人を婀娜に垂らしこむ生贄に捧げられる運命に悲嘆を嘆く。

妖艶に、悲痛に演じるのはすべて「女形」の役者。

嫋やかにゆれる振袖の袖。まさに妙。

 

シェイクスピア劇

歌舞伎

新劇

挙句はモンゴルの擦弦楽器に東南アジアのゴングも抱合するところを大小の鼓が打ち叩き、能管の気流が切り裂く。

 古今東西の芸術の魅力を取り混ぜた、それが現代能だ。

 

 

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。食文化やアウトドア、そして故郷である北海道の歴史文化をモチーフに執筆中。 著書に『図解アイヌ』(新紀元社)、執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ)など。現在、雑誌『時空旅人』『男の隠れ家』で記事執筆中。

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