ガチャガチャがはらむ「希望と絶望」、演劇界注目の劇作家・造形作家、池田亮のクリエイティビティー
今やゲームセンターだけではなく、ファミリーレストランやエキナカ、ショッピングモールなど街のあらゆるところにあふれているガチャガチャマシーン。何が出てくるか開けてみないと分からないのに、子どもたちは今日もガチャガチャとマシーンのハンドルを回し続ける。そんな光景を見ない日はないほど当たり前になってしまったが、ここ5年ほど前から、ガチャガチャの省略語とも言える「ガチャ」という言葉は、運命や宿命、あるいは「予想できないこと」「自分では選べないこと」の代名詞となってしまった感がある。「親ガチャ」などの派生語も生んで、親の所得や財産、家柄などによって子どもの人生もあらかじめ決まっているという意味も発生。社会学や社会心理学、経済学、社会福祉などの分野で立派な社会問題として研究されたり、政治の世界で議論されたりする言葉になっている。
だからといって、「どうせ私は努力しても未来は変えられない」という言い訳に使われるのだとしたら、それはまさしく「思考停止」の世界だ。ガチャをどうクリエイティブなフィールドの中で考えていくか、それこそが今の若者たちに求められていることなのだ。
東京藝大大学院で美術研究科彫刻専攻を修了した池田亮は、造形作家として実際にガチャガチャの中に入れるカプセルトイを作って販売したこともあるクリエイター。その池田は今演劇界で誰よりも注目を集めている存在。なにしろ若手の劇作家の登竜門とも言われる岸田國士戯曲賞の第68回を今年はじめに、昨年上演した舞台「ハートランド」で受賞。その受賞後の初めての書き下ろし作品として、ガチャガチャマシーンをモチーフとした作品を創った現代アーティスト、本島(新原泰佑)が主人公の舞台「球体の球体 Sphere of Sphere」を発表した。
いつもの脚本・演出に加え、今回は美術も手掛けている。それだけに池田のガチャや美術に対する愛やこだわりが象徴的に表れていると言っていい。物語の始まりは、ある日本ではない国の現代美術館のロビーと展示スペース。本島が制作した現代アート「Sphere of Sphere」が展示されている。本島が2024年に発表した後、この国の大統領(小栗基裕)から展示を要請されたのだ。遺伝と自然淘汰をコンセプトに本島がガチャガチャマシーンを天井まで積み上げてタワーのようにしたアートとして創り上げたこの作品が、なぜ大統領の琴線に触れたのかはよく分からない。
本島とキュレーターの岡上(前原瑞樹)は大統領と会って話をするが、観客だけに見えている存在として、35年後の本島(相島一之)も登場する。彼は自分で「ホログラム」だと告白する。しかも彼は35年後の時点でこの国の大統領を務めている。
謎めいた設定だが、物語は本島の運命の行く末に深みを与え、奥行きのある世界を創り出す。そして「ガチャ」という言葉の持つ運命論的な「希望と絶望」を明滅してみせる。 池田はこの劇場(東京・三軒茶屋のシアタートラム)空間を現代美術館のロビーや展示室に見立てて物語を展開させるだけではなく、大胆なことに、美術館そのものの機能も持たせた。 開演前、観客はチケットをもぎってもらって中に入ると、客席スペースの階段を降りて、まず舞台に上がる動線を歩かされる。その中央にタワーのように展示されている「Sphere of Sphere」を実際に鑑賞し、舞台の反対側で舞台を降り、自分の席に座る。
作品をよく理解してもらうため、作品の世界観になじんでもらうため、作品そのものを理解してもらうためという理由もあるだろうが、これは一種の「儀式」なのだ。
作品を鑑賞したら、もうその観客は単なる観客ではない。作品の一部であり、物語の一部なのだ。
池田はホログラムという言葉によって異なる時間を、そして鑑賞という儀式によって虚実の空間を一瞬にしてつなげてみせた。しかも芝居として演じられる、そこでうごめく人々の営みを舞台の中央でクールに見つめているガチャという現代アートがある。 なんとクリエイティビティーにあふれた空間か。
舞台「球体の球体」は2024年9月14~29日に東京・三軒茶屋のシアタートラムで上演された。公演はすべて終了している。